goo blog サービス終了のお知らせ 

アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

表千家不審庵

2015年10月24日 17時01分57秒 | 史跡・旧跡

 

茶道宗家表千家は、千利休豊臣秀吉から死を命ぜられた後、一家離散の憂き目にあったが、

その後、千家再興を許されて、利休の子少庵宗淳が大徳寺門前にあった利休の遺席をこの地に移し、

屋敷を構え、「不審庵」と号したのが始めである。

宗淳の子宗旦はその後を継ぎ、

正保3年(1646)には三男の宗左にゆずって隠居し、「今日庵」を営んだ。

この今日庵が不審庵の北裏にあることから「裏千家」とよばれ、

表の本家は「表千家」と称した。

現在の建物は天明の大火後の再建。

表門は紀州邸からゆずられたという重層門で武家構えの門である。

 



最新の画像もっと見る