アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

まち歩き伏0274  下ノ郷橋  新しい

2016年11月26日 21時51分41秒 | まち歩き

 

川も改修されています

まち歩き 前回の記事  ➡  まち歩き伏0273  この角石の役割は何

川柳

寝返りを打って女房に誤解され    /トロと猫

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まち歩き伏0272  近藤勇 遭難の地

2016年11月26日 21時33分31秒 | まち歩き

 

 

 この清和荘には 名水 「清和の井」 がある

 

街道の宿場町としての拠点がここ墨染界隈にもありました。京都へ通じる伏見街道、大津へ至る大津街道、そして、八科峠を越えて六地蔵から宇治に向かう道、墨染は大きな3つの街道の分岐点にあたり、人馬の往来が激しく、土産物屋では伏見人形・深草団扇・深草焼塩・伏見鋸などが売られていました。参勤交代の大名行列はこの墨染から藤森神社の南鳥居の前を進み、西寺町、谷口町を経て山科の勧修寺前に出ます。そして、山科川を渡り、小野随心院を北に折れて追分けへと大津に向かう道が定められていました。

幕末の慶応3年(1867)12月18日、伏見奉行所に陣を移した新選組の隊長・近藤勇は京都町奉行所の若年寄・永井玄播頭との軍議のため、二条城に赴きました。この頃すでに、幕府軍と薩摩長州軍との間に戦いがいつ始まっても不思議ではない緊張関係にありました。近藤は護衛約20名を伴っての帰り道、伏見街道が屈曲する墨染通り附近で狙撃されました。狙っていたのは御陵衛士の生き残り阿部十郎と、伏見薩摩藩邸にいた篠原泰之進、加納道之助、富山弥兵衛らでした。弾は左肩に命中しましたが致命傷には至らず、そのまま馬を走らせて伏見奉行所逃げ込みました。近藤は治療のため大阪に退き、副隊長・土方歳三が新選組の指揮を執り、近藤は鳥羽伏見の戦いへ参戦するすることができなかったのでした。

伏見観光協会 (社)伏見納税協会 青年部会

平成21年12月 建立

遭難の地  こちらを主張する人もある  ➡  まち歩き伏0269   墨染 の 交差点

関連記事  ➡  新選組

まち歩き 前回の記事 ➡  伏0271

 

川柳

 

2億円買えば当たるか2億円   /茂木

 

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まち歩き伏0273  この角石の役割は何

2016年11月26日 21時26分08秒 | まち歩き

 

まち歩き前回の記事  ➡  まち歩き伏0272  近藤勇 遭難の地

川柳

酔った時Rの発音とてもいい    /後藤

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寺院伏0224  墨染寺 日蓮宗 桜寺 秀吉 瑞竜尼 長谷川等伯

2016年11月26日 07時17分11秒 | 寺院

 

 

 

墨染櫻寺

深草山と号する日蓮宗の寺。俗に「桜寺」とよばれる。天正年間、秀吉の姉瑞竜尼は日秀上人にふかく帰依し、秀吉もまた上人を厚遇し、深草貞観寺の旧地に一宇を建立したのが当寺の起こりで、その後現在の地に移ったと伝わる。

創建当初は多くの堂があり、秀吉も親しく当寺を訪れたと言われている。今は本堂と庫裏があるだけ。寺宝に長谷川等伯の筆と伝わる秀吉の画像や秀吉自筆の短冊等がある。

 

墨染桜 本堂の前にある。

この桜は平安時代の歌人 上野岑雄が昭宣公基経の死を傷んで

深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け

とうたったことから墨染に咲くようになったといわれ、これに因んで墨染寺といい、地名も墨染とよぶようになったと伝わる。

今のは何代目かの桜であり、花は小さく白色の単弁で、

薄墨にようなところからこの名が生じた。

 

壽碑

惟るに当寺は清和天皇の勅創たる貞観寺の旧跡なり堀川左大臣藤原基経昭宣公 薨じて遺骨を此の地に殯したもうや上野峯雄哀傷の情を和歌に托して曰く

「深草の野辺の桜之心有らば今年ばかりは墨染に咲け」と

此の地の墨染めの称は(或は此の地を墨染と称するは)蓋し此の歌詞に因るなり後に大僧都日秀上人道譽頗る崇し

豊公(秀吉)深く之を信じ挙げて此の地を上人寄附して本宗に属し銘を墨染桜寺と改む殿堂高閣にして輪かんの美備わる爾来星霜数百年寺運振わず塚を破り碑を断ち累々として四方に狼藉する荒涼の状轉感慨の情堪えざるなり爰に第三十七世学妙上人先に宇治直行寺に住し次いで梅津本福寺に転ずるも夙に当山の廃類せるを慨き意に回復の事を期し入りて此寺に主となるや乾々赬尾寒暑にして虚日なく復興に是務む 依って聊か師恩に酬いんがために寿碑を寺の側に建て日常の微事をきざみて之を伝へて不朽ならしめんと欲し文を余に微す

余と上人とは同じく達門の流類なり敢て辞せす゛乃ち上人の行跡を按じて其の梗概の系を叙し以て銘じて曰く

千載跡遠く 廟影空しく  傾く

乾に力を致して  忽ち法城を現す

顕徳測叵し 誠の点睛を積むは

維れ労維績 勒んで永く  彰旌

平成十六年 十二月吉祥

 

 

西村慶珠翁之塔

 

関連記事 秀吉の姉  ➡  善正寺  豊臣秀次の菩提寺・母の悲しみ

秀吉のゆかりの地  ➡  有名人ゆかりの地

寺院 前回の記事 ➡  寺院伏0223  西福寺  浄土宗   光厳天皇ゆかりの寺

 

川柳

 

安全な道だけ回るパトロール   /Q太郎

 

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地蔵尊伏022  墨染地蔵尊   紀元2600年の石柱

2016年11月26日 06時03分07秒 | 地蔵尊

 

ここは 墨染会館の看板も出ています

 

墨染地蔵尊 です

 

ゴミだしのお知らせ看板に覆われて全容はわからず

千六百年記念

 

伏見   こちら側も ゴミだしお知らせに覆われて全容わからず

 

関連記事  ➡   紀元2600年石碑・献木・奉納額 等

地蔵尊 前回の記事  ➡  地蔵尊上021 騎士像と地中から出てきた地蔵尊のある児童公園

 

 

川柳

 

話すたび振り向くタクシー運転手    /のん太

 

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