アートプラス京めぐり

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陵墓山012   人康親王

2016年11月17日 18時56分48秒 | 陵墓

 

人康親王 御墓  とある


 

仁明天皇 皇子  人康親王

 

 

 

関連記事 ⇒ まとめ042  陵墓

陵墓 前回の記事  ➡ 陵墓山011  天智天皇陵

川柳

人間性チラリと見える信号待ち  /座布団

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石仏山009  泉水町の三尊石仏

2016年11月17日 15時43分34秒 | 石仏

 

四ノ宮泉水町広場

御足摺池  仁明天皇第4皇子人康親王が28歳で目をわずらい山科に住んだとき、悔しくて悲しくて涙ながらに足をこすったところ、泉が湧いたと伝わり、泉水町の名の由来になっています。

        

 

 

 

四ノ宮泉水町広場

四宮大明神 人康親王をお祀りする本広場は町内はじめ有志の方々のご尽力により美しく整備されてきました。この度歴史と由緒ある地の信仰と景観を守り伝えるために法縁深い当山が寄進を受け飛び地境内地として末永くお守りしていく次第となりました。参詣の皆さまには一層のご理解とご支援をお願い致します。平成27年1月吉日

 

 

行者神変大菩薩

人康親王の時代の園城寺(三井寺)再興者、智証大師円珍さんが慕われ信仰された大峰山修験道の祖として知られる役行者さんの石像が安置されています。

 

琵琶琴元祖 四ノ宮大明神

琵琶法師さんたちが神様として祀った人康親王(天世命)をはじめ、琵琶法師さんたち(月世命)や稲荷大明神の三柱がお祀りされています。

 

不動明王・大日如来・地蔵尊

一番右側が不動尊とされています。高さは83cm。古い看板に「弘法大師不動尊」と書かれていましたが、おそらく円珍派が受け継いだ三井寺金色不動明王(黄不動尊)信仰のの流れと思われます。

中央の三体石仏は大日如来と伝わり、右の不動明王が大日如来の化身とされることからも、対で祀られたものと思われます。石仏は専門家の所見により、鎌倉時代と伝わっています。

徳林庵お茶所の四尊石仏と同じころに造られている。弥陀の念佛を唱えて敬虔に祈った当時の人々の信仰の様子がわかる。

一番左は地蔵尊。平安の昔から開けた街道、東海道隣接地の信仰の場として多くの人々から愛された石仏群です。

 

 

御足摺池  仁明天皇第4皇子人康親王が28歳で目をわずらい山科に住んだとき、悔しくて悲しくて涙ながらに足をこすったところ、泉が湧いたと伝わり、泉水町の名の由来になっています。

 

明治41年3月吉日  と書かれています

 

関連記事 ➡  人物まとめ

石仏 前回の記事 ➡ 石仏左008  蹴上 大日堂 阿弥陀石仏

川柳

孫ひとり大人5人でタコ揚げる /イサオチャン

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道標山0075  波切 不動尊 参道  四ノ宮で 

2016年11月17日 10時13分18秒 | 道標

 

 

波切  不動尊 參道  

是ヨリ  北ヘ四丁余

昭和12年4月

不動會

 

 道標 前回の記事  ➡  道標東0074  尊勝院  庚申堂   立派な土台付きです

 

川柳

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人物001  木食養阿上人

2016年11月17日 08時23分22秒 | 人物数々

 

 

 石碑山0068  粟田口の大名号碑  木食上人遺蹟

 松明殿稲荷神社  養阿上人の井戸あり、この辺り朝市・夜店で賑わったのだろう

 木食上人 碑

 安祥院  まだ行けてない

 教宣寺