山村留学体験記&棚田復活!         あの山の向こう

横浜→長野へ山村留学した長男(中学3年間)と次男(小4-5)の記録と山留「その後」+山村の耕作放棄棚田の再生挑戦記♪

山村留学の「今」

2009年11月05日 | 育てる会「山村留学」のこと
気になる記事を見つけたので

参考までに。。。。


育てる会の山村留学は 数少ない成功例のようです。。。。

「山村留学」曲がり角 財政難・高齢化で受け入れ難しく/asahi.comより

<一部抜粋>

都市を離れて自然豊かな地域で学び、暮らす――。そんな「山村留学」が
ここ数年、全国的に縮小している。
自治体の合併や財政難、高齢化……と受け入れ側に余裕がなくなる一方、
不況の影響も希望者の減少に拍車をかける。
地域の活性化を目指して各地で設けられた山村留学の制度は、曲がり角に来ている。

傾向は全国的に同じだ。全国山村留学協会によると、08年度までに302校が
留学制度を設けたが、制度を中止したり、学校自体が休校・廃校になったりした
ところが127校に及ぶという。


 山村留学は、76年、長野県八坂村(現大町市八坂)で始まったとされる。
1人の教師が「都会の子どもを農山林でたくましく育てたい」という理念を掲げて
実践した。その後、地域の活性化に期待をかけた受け入れが全国に広がった。

山村留学「第1号」の大町市立八坂小学校は、合併で八坂村から大町市に変わった今もしっかり続いている。
ここでは「育てる会」という財団法人(本部・東京)が受け入れを担う。
子供たちは、財団が運営する生活センターで専任職員や仲間と生活をともにし、
月の半分は地元の農家などで暮らしながら学校に通う。

 「育てる会」は、長野県内で他に三つのセンターを持つ。こうしたやり方は、他に例がない。
同会の担当者は「片手間ではできないので財団で運営している。
地域レベルで成功させるには住民の情熱、行政、学校と皆の気持ちが一致しないと難しいだろう」と話す。

 全国山村留学協会は、全体的な縮小傾向について、
「学校の存続にばかり目が向きすぎた結果ではないか」という。
「来てくれた子どもたちに一層社会性を身につけさせたり、地元の子にも
より地域のことを知ってもらったりと、山村留学ならではの教育理念を持たないといけない」と指摘する。
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