山村留学体験記&棚田復活!         あの山の向こう

横浜→長野へ山村留学した長男(中学3年間)と次男(小4-5)の記録と山留「その後」+山村の耕作放棄棚田の再生挑戦記♪

山留に関わる人々②

2011年03月27日 | 育てる会「山村留学」のこと
八坂美麻センターで、絶対に欠くことのできない人がいます。

毎日毎日、 みんなの胃袋を 「幸せ」いっぱい満たしてくれる、

THE料理人 MURAIさんです。

たいてい いつも調理場にいるので 行事で親がセンターに行っても

そう頻繁に交わることがなくて 

かく言う私も4年もいたのに ちゃんとお話したことがなく。。。。。


現役父母にとっては なぜか「敷居の高い」調理場なので

なかなか こちらから気軽に入っていけなかったりします。


大きな行事がある時は、OB母がわざわざお手伝いにかけつけてくれて

現役父母が行事参加している間に、 調理場に入って切り盛りしてくれるのです。

私も、これからはOBとして もっとMURAIさんと交われたら良いなあと思います。


子供たちは、MURAIさんと、食育担当KAORIさんの愛情たっぷり料理を

毎日いただいて 元気な心と体の元を作っていただいています。

Joのように、センターや農家さんでの食事で 野菜嫌いが治った子はいっぱいいます。


特に山村留学生は お金を一切持っていませんし、好きなものを買い食いしたり

「今日はこれが食べたい」 という希望は叶いません。

小中学生の食欲旺盛な時期でもあり 子供たちにとって 

「ごはんの時間」「食べる楽しみ」は1日の中でもすごく大事なイベントです。

ちょっとぐらい嫌なことがあっても おいしいものを食べれば

それで気が治まることも多いのです。


そんな大事な大事な毎日の食事を作ってくれるMURAIさんは、

センターの隠れた?ヒーローです。


さらにもうひとつ、子供たちがMURAIさんの凄さを味わう時が

通年のランニングと、冬のスキー活動です。

motoは かつて 「 MURAIさん、すごいっ!! 」 を連発していました(^^

とにかく 走る走る走る・・・・

motoも山留後半、けっこう走りこんでたようですが

MURAIさんの山道を軽快に走る姿は憧れだったようです。

そして MURAIさんと言ったらスキー! という子供たちも多いです。

走って滑れるMURAIさんは、実は超アスリートな料理人でした!


いつも美味しい手料理をありがとうございました(^^
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山留に関わる人々①

2011年03月26日 | 育てる会「山村留学」のこと
無事に 修園の集いを終えて 我が家の4年に渡る「山村留学」が終了しました。

今日は、これまで あまり詳しく書くことがなかった、山村留学の「指導員」さんに

スポットをあてて書いてみようと思います。


長男は、小3から夏休みや冬のスキー班など、

短期山村留学の常連?になっていましたが

その頃は、親が指導員さんらと直接交わるチャンスはほぼ皆無。

親は子供を集合駅まで送迎するだけで、その先は一切音信不通?のまま

お迎えの日になります。


子供が帰宅後、「どうだった? どんなことしたの?」「何が一番楽しかった?」

ちょっとでも様子を知ろうと聞いてみるものの

子供は、あまりに盛りだくさん、ドラマチックで毎日が刺激的で、楽しすぎて・・・

何から話して良いか、もう収拾付かない! といった感じ。

そんな子供の口から出てくるのが、指導員さんの名前です。


同じ名前が頻発されて、だんだん・・逢ったこともないのに親近感が沸いてきます。

指導員さんは、何でも知っていて、何でもできて、何でも頑張る。

子供たちの「憧れ」です。


長男は、彼らと出逢って 「自分も将来、指導員になりたい」 と言い、

短期だけでは飽き足らず、長期(通年)の山村留学に意欲を燃やしました。


指導員さんの多くは、20代で未婚者、子育ての経験がない方が多いのですが

どの指導員さんも個性的で子供たちを惹きつける魅力を持っています。

” 子供たちが好き!子供たちの成長に真剣 ” 

その気持が、ちゃんと子供たちに伝わるのだと思います。


時には がみがみ?(笑)叱る お母さんのように

時には がつんと渇を飛ばす お父さんのように

時には 物言わずそっと見守ってくれたり

時には 悩みを聞いてくれる お兄さん、お姉さんのようで

時には はっちゃけて 一緒に遊べる気の置けない仲間であり

時には 優しく包んでとっぷり甘えさせてくれる安心できる存在。。。



親元から離れて 子供(命)を預かるということ、

親の期待、

日々のこなさなければいけないこと、

指導員さんの重圧を考えると

「どうしてこの仕事を選んだの?」

現場を見れば 誰でもが感じるだろうこの疑問。


4年間、見てきて私なりに思うのは

その応えは、1年が終り最後の「修園の集い」の日にあります。

大きく成長した子供たちや親御さんの言葉や涙に

1年のいろいろな苦楽のカタマリは どれもがキレイな宝物に浄化されて

指導員さんの心の何処か深いところに ほんのりと納まり

彼らがこの1年の間に 時に痛めてしまった心の傷や葛藤を 

そっとあたたかく癒してしまうのだろと。


こんな仕事があることを 知らない若者もいると思う。

どんな仕事も大変だし、もがく分だけ成長もすると思うけれど

この仕事は、きっとこの1年、自分が何をやってきたのか、

自分なりに その応えを少しは感じながら、

誇を実感できる仕事のひとつだと思うのです。


ひと頃前は

“指導員さんは ずっと指導員さんでいてくれる” 

という勝手な思い込みがありました(笑)

なので1年目、修園式の最後にある指導員さんが「自身の夢を追いかけたい」と

離職すると聞いたときは 衝撃を隠せませんでした。


でも今は、それってアリだなぁと思いますし

夢への1ステップとして、この仕事を選ぶことも とても価値のあることと

感じています。


子供たちの憧れの指導員さんにも 自身の憧れや夢をどこまでも追いかけて

欲しいと思います。 

目の前のことに一生懸命。

前に向かって一生懸命。。

だからカッコイイのです(^^


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修園間際

2011年03月15日 | 優しい時間
地震の混乱も続く中ではありますが

今週後半には、山村留学先の学校の卒業式、続いてセンターの修園式+謝恩会などが

行われる予定です。


山留生の保護者は、全国各地に住んでいるので

停電やガソリン不足、交通機関の乱れなど・・・

今回ばかりは、全員が参加できるかどうか不安がありますが

センターでは、お迎えに来れるまで子供たちを預かってくださるとの

心強い対応です。

地震や被爆不安などについても、タイムリーにメールで対応内容の配信を

してくださっています。


我が家は、 既に修園した長男の山村留学から次男に引き継いで 

八坂・美麻で、4年間お世話になりました。

最後の春。 感謝を込めてしっかりお手伝いしてきたいと思っています。


長男motoからも、山留の修園式に行きたい! とスカイプメール。

もちろん、ぜんぜん無理ですが(^^; テスト期間、真っ最中ですし。



ほんとは、こんな時に横浜を離れることに とても不安を覚えています。

会社の事務所の復旧作業も まだ途中。

なんといっても、お店のほうは連日予定が変わる計画停電を交わしつつ

営業を続けていますが、何かとイレギュラーなことが多くなりますし

任せて安心なスタッフの面々ですが 何日もそばにいれないことが

さすがに気がかりです。


原発のことも今後の成り行きが心配です。

サービス業ですからお客様がいらっしゃれば、もちろん対応するのが責務ですが

スタッフの身の安全も大切です。

ほとんどの会社やお店は営業を続けていますが、

ある意味 身の危険を押して 働いてくださっているのだと思うと

経営者としては複雑な気持ちになります。


私の実家は岩手の北上ですが、姉の旦那さんは、地元の大きなスーパー勤務。

地震で棚から全部 食品が落ちて、片付けるのも大変だったそうです。

働いている人たちの家庭でも 欲しいものはみんなと一緒ですが

目の前の売り物は お客様が優先ですから先に確保なんてことはできません。


大きな余震も続く中、休まず働く人たちに本当に感謝です。

被災地でも危険を承知で現場で動いている人たちがいっぱいいると思います。

サービスやを受ける側も、感謝の声をかける、ちょっとの余裕があると良いですね。

譲り合う気持、助け合う気持。。。 日本人の誇でありたいです。
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地震その後

2011年03月13日 | 優しい時間
3月11日の大地震は本当に凄まじい大惨事になってしまいました。

被災地の報道を見ると、本当に心が痛みます。

言葉を失います。


今も、連日 安否確認のメールや電話が飛び交っています。

とりいそぎ、安否報告を。

スタッフ、家族、親族(岩手の郷里も含めて)、はみな無事です。

長野の山村留学先からも、地震発生のたびに 「子供たちは、みな変わりなく無事」

だというメールが届いています。


地震発生時、私は新横浜の事務所にいました。

免震構造のビルということで 多少のことは大丈夫なんだろう~という安心感を

持っていましたが、ビルの高層階で初めて強い地震を体験し

それなりの備えが必要であることを改めて知りました。


都心や副都心など 30階とか60階とか・・・もっと高いビルもありますが

もう想像できません、、、、

9階にいて、絶対震度7はある! もうこれで終ってしまうかも(人生が)と

大げさではなく、真面目に思った瞬間があったくらいです。


今回の地震の教訓で、多くの企業は地震対策が強化されることと思います。




亡くなられた方のご冥福と被災地の皆様に心よりお見舞い申し上げます。

一人でも多くの命が救われますように。。。。
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