山村留学体験記&棚田復活!         あの山の向こう

横浜→長野へ山村留学した長男(中学3年間)と次男(小4-5)の記録と山留「その後」+山村の耕作放棄棚田の再生挑戦記♪

山留に関わる人々①

2011年03月26日 | 育てる会「山村留学」のこと
無事に 修園の集いを終えて 我が家の4年に渡る「山村留学」が終了しました。

今日は、これまで あまり詳しく書くことがなかった、山村留学の「指導員」さんに

スポットをあてて書いてみようと思います。


長男は、小3から夏休みや冬のスキー班など、

短期山村留学の常連?になっていましたが

その頃は、親が指導員さんらと直接交わるチャンスはほぼ皆無。

親は子供を集合駅まで送迎するだけで、その先は一切音信不通?のまま

お迎えの日になります。


子供が帰宅後、「どうだった? どんなことしたの?」「何が一番楽しかった?」

ちょっとでも様子を知ろうと聞いてみるものの

子供は、あまりに盛りだくさん、ドラマチックで毎日が刺激的で、楽しすぎて・・・

何から話して良いか、もう収拾付かない! といった感じ。

そんな子供の口から出てくるのが、指導員さんの名前です。


同じ名前が頻発されて、だんだん・・逢ったこともないのに親近感が沸いてきます。

指導員さんは、何でも知っていて、何でもできて、何でも頑張る。

子供たちの「憧れ」です。


長男は、彼らと出逢って 「自分も将来、指導員になりたい」 と言い、

短期だけでは飽き足らず、長期(通年)の山村留学に意欲を燃やしました。


指導員さんの多くは、20代で未婚者、子育ての経験がない方が多いのですが

どの指導員さんも個性的で子供たちを惹きつける魅力を持っています。

” 子供たちが好き!子供たちの成長に真剣 ” 

その気持が、ちゃんと子供たちに伝わるのだと思います。


時には がみがみ?(笑)叱る お母さんのように

時には がつんと渇を飛ばす お父さんのように

時には 物言わずそっと見守ってくれたり

時には 悩みを聞いてくれる お兄さん、お姉さんのようで

時には はっちゃけて 一緒に遊べる気の置けない仲間であり

時には 優しく包んでとっぷり甘えさせてくれる安心できる存在。。。



親元から離れて 子供(命)を預かるということ、

親の期待、

日々のこなさなければいけないこと、

指導員さんの重圧を考えると

「どうしてこの仕事を選んだの?」

現場を見れば 誰でもが感じるだろうこの疑問。


4年間、見てきて私なりに思うのは

その応えは、1年が終り最後の「修園の集い」の日にあります。

大きく成長した子供たちや親御さんの言葉や涙に

1年のいろいろな苦楽のカタマリは どれもがキレイな宝物に浄化されて

指導員さんの心の何処か深いところに ほんのりと納まり

彼らがこの1年の間に 時に痛めてしまった心の傷や葛藤を 

そっとあたたかく癒してしまうのだろと。


こんな仕事があることを 知らない若者もいると思う。

どんな仕事も大変だし、もがく分だけ成長もすると思うけれど

この仕事は、きっとこの1年、自分が何をやってきたのか、

自分なりに その応えを少しは感じながら、

誇を実感できる仕事のひとつだと思うのです。


ひと頃前は

“指導員さんは ずっと指導員さんでいてくれる” 

という勝手な思い込みがありました(笑)

なので1年目、修園式の最後にある指導員さんが「自身の夢を追いかけたい」と

離職すると聞いたときは 衝撃を隠せませんでした。


でも今は、それってアリだなぁと思いますし

夢への1ステップとして、この仕事を選ぶことも とても価値のあることと

感じています。


子供たちの憧れの指導員さんにも 自身の憧れや夢をどこまでも追いかけて

欲しいと思います。 

目の前のことに一生懸命。

前に向かって一生懸命。。

だからカッコイイのです(^^


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