鉄道模型工作記録帳

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続・2004年のキハ183系200番台

2010-12-13 01:17:00 | 模型工作雑ネタ日誌

今日もいろいろ仕事なんだか調査なんだか。
モデルできずに今の時間。


こんな図面書いていたりして。
まぁ、簡単なもんなんでちゃっちゃと。
「これを辻褄合うように比率を変える作業」

だって、まともな寸法の無い図面からまともっぽく見える図面起こさないと成らないんだもん。
ヒントは総面積とドアの定尺を信じるのみ。

あ・・・・さてーーー。
と小林完吾バリのスタートです。

昨日の記事について
「よくわかんね」
「モデラーが苗穂の所作でもがき苦しんでいる」
「キハ20に興味持たなくて良かったねー」
「場所が違うのは解った」

「で?」

はい、そのとおりでございます。


この編成のことを書こうとして、すっかり横道で終わった昨日。

これはある日のとかちですと言う記事に戻したいと思います。

RMMで発表させていただいたとかちも「ある日のきっとあるはずのとかち」であり、何年何月何日のとかちではありませんでした。

可能性のある所作のひとつです。

で、真逆にこの日のとかちを紹介してみましょう。


釧路側先頭車キハ183-210(釧)
特徴は昨日散々書いたのでパスです。
床下機器の色は、エンジンがグレー、吸気フィルター周辺が銀、あとは黒です。

煙突はこんな調子です。
細い土管状態でしょ?
配置は釧路運転所です。



2号車はキハ182-227(札)
ミャンマーに行ってしまった車です。


このエンジンが曲者でした。
汎用を目指して頓挫したエンジン。
結局鉄道では4台にしか使用されませんでした。
エンジンの色が3色に分かれています。


反対側です。
筒状の二本の物体はサイレンサーですね。
直六エンジンですからこちらにはシリンダヘッドがありません。


床下は黒ですね。


別日写真ですが3号車はキロ182-9(札)でした。
唯一の平屋キロとして今も活躍中です。




RMMでも書きましたが、こちら角に銀色の小さな手すりが見えますね。
この写真を元にアンテナとか手すりを作りました。


4号車キハ182-4(釧)です。基本的にキハ182-0番台が入ると言うのは増結扱いです。
最後の最後になりとかち運用終了後、とかち色に塗り替えられて札幌に転属。まもなく廃車となり釧路に廃車留置、ミャンマーに旅立ちました。


5号車キハ182-13(釧)です。やはり増結。今日は2台の増結だったようですが、基本的に5両の所定編成より増結を何台か行うほうが多かったのです。


この車もミャンマーに第二陣で旅立ちました。


6号車キハ182-505(釧)


この車はとかち運用終了後、エンジンをディチューンしてキハ182-405となり、函館区の波動用となっています。


7号車キハ183-101(釧)
とかち運用終了後にあえなく解体されてしまった車です。
輪切りにして工場を後にしました。


床下機器が灰色です。
そう、このとかち末期に床下機器の色が灰色から黒に変わっていった時期なのです。

あまり言われたことの無い事実かも?
最も遅く2007年まで101と102は灰色だったようなんです。
しかも廃車時は101が濃いブルー、102が苗穂ブルーとも言える薄いブルーでした。

103が濃いまま旅立ったので薄いブルーを纏ったのは102だけかもしれません。


これがある日のとかちです。
ほかのパターンも見てみましょう。


これは2004年7月15日のとかち4号。
先頭だけがキハ183-1553でしたが、記録によるとそれ以外は今回紹介した編成そのままでした。
札幌側先頭車だけ差し替えたものと思われます。


この編成は異なる組成で
2004年8月16日とかち2号とあります
釧路側から
キハ183-209(釧)+キハ182-226(札)+キロ182-507(札)+キハ182-5(釧)+キハ182-106(釧)+キハ183-1554(釧)
順番に・・・札幌転属、ミャンマー輸出、解体、ミャンマー輸出、ミャンマー輸出、札幌転属
であったようです。
キハ182-106の場所に本来、キハ182-500が入ることが専らだっただけに結構珍しい編成です。


これは2004年12月31日とかち3号とあります。
キハ183-207(釧)+キハ182-224(札)+キロ182-508(札)+キハ182-1(函)+キハ182-2(函)+キハ182-505(釧)+キハ183-1551(釧)とあります。
順番に・・・ミャンマー輸出、ミャンマー輸出、解体、ミャンマー輸出、ミャンマー輸出、函館転属400番台化、札幌転属
歳末応援編成ですね。


2004年7月14日とかち2号
キハ183-209(釧)+キハ182-224(札)+キロ182-9(札)+キハ182-5(釧)+キハ182-503(釧)+キハ183-1553(釧)
順番に・・・札幌転属、ミャンマー輸出、札幌在籍、ミャンマー輸出、函館転属400番台化、札幌転属


2004年7月14日とかち3号
キハ183-210(釧)+キハ182-227(札)+キロ182-506(札)+キハ182-504(釧)+キハ183-1551(釧)
順番に・・・札幌転属、ミャンマー輸出、解体、函館転属400番台化、札幌転属
ここの紹介例では珍しい?所定編成です。

2004年3月11日の苗穂停留では
キハ183-207(釧)+キハ182-225(札)+キロ182-9(札)+キハ182-10(釧)+キハ184-2(釧)+キハ183-501(釧)
と記録があります。
順番に・・・ミャンマー輸出、ミャンマー輸出、札幌在籍、ミャンマー輸出、解体、苗穂工場内で除籍放置中


この写真撮影時の記録です。
今考えればきちんと編成を撮影しとくんでした。


2004年3月2日の苗穂停留では
キハ183-209(釧)+キハ182-225(札)+キロ182-508(札)+キハ182-4(釧)+キハ182-503(釧)+キハ183-101(釧)
順番に・・・札幌転属、ミャンマー輸出、解体、ミャンマー輸出、函館転属400番台化、解体


同じく2004年5月8日の苗穂停留では
キハ183-217(釧)+キハ182-225(札)+キロ182-507(札)+キハ182-45(札)+キハ182-108(釧)+キハ182-5(釧)+キハ182-513(釧)+キハ183-1553(釧)
順番に・・・ミャンマー輸出、ミャンマー輸出、解体、旭山動物園号転用、ミャンマー輸出、ミャンマー輸出、函館転属400番台化、札幌転属
と記録があります。



8連じゃないですか。
今考えると8連の編成記録写真が無いんです。

それにしても重複があってイメージしにくいものの、「チームとかち」は完全解散し、殆どが余生になっていっているのは感慨深いものがあります。


    ↑それにしてもこの頃、よく通ったもんです・・・。
     これでもほんの一部なんですから。


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