加島祥造続きで読んだ本。
随筆集のようなこの本は、加島祥造氏が63歳の時から知人に向けて出し始めた『通信』が、岩波書店の編集者の目にとまって2001年に単行本化され、さらに2007年に文庫版になったものです。
ここに書かれた21の文章は、加島氏の60代に書かれたものです。
60代になった加島祥造氏は、それまでとは違ったものを求めるようになっていって、60代の後半に老子に出会って心に大きな転機をもたらされ、住まいも横浜から伊那谷へ移り住み、85歳になられる今も伊那谷に独居されているようです。
潜在能力 Ⅰー鳥の絵の話 <本文から抜き書き>
画家の中川一政さんの本『腹の虫』(日本経済新聞社)によると、少年期の終わりころに、自分が何をしたらいいか分からず、貯金局に働いて最初の給料をもらった時、中川さんの腹の虫が泣き出したので、貯金局を辞めたのだそうです。
私の場合は、小学校の同級生たちに笑われて、私のなかの腹の虫は眼をつむって冬眠してしまったというところでしょう。
「潜在的可能性」は英語potentiality(ポテンシャリティ)の訳語だと思います。もしかすると昭和にできた訳語かもしれません。それ以前は日本語で何と言ったかと考えても思い当たらなくて、やはり「腹の虫」などという言葉を使うのですが、とにかくそれは「人のなかに隠れ潜んでいる能力」のことです。これは意識される前の、潜在状態の能力であり、それがどのように、いつ現れるか当人に予測できない。しかしそれは誰のなかにも潜在し、生きている。
このように、この力は確かに自分のなかにあるけれども、意識できないものであり、自分の意志で開発することは難しい。無理に引きだそうとすると、死んでしまう。自発的に動くのに任せることで、芽を出し伸びてくほかに手はないようです。親にはげまされて早期教育をうけた子は、ほとんどかえって、その潜在能力の芽を摘みとられてしまう。とにかく私は、そういう教育を何ひとつ受けなかった。それで私の潜在能力はずいぶん芽を出すのがおくれたけれど、しかし死ななかったわけです。
ひつだけ、潜在能力が出てくる道筋は私にも明らかに見えています。「自分」にとって面白いことをする、興味のあることをする、という道筋です。
随筆集のようなこの本は、加島祥造氏が63歳の時から知人に向けて出し始めた『通信』が、岩波書店の編集者の目にとまって2001年に単行本化され、さらに2007年に文庫版になったものです。
ここに書かれた21の文章は、加島氏の60代に書かれたものです。
60代になった加島祥造氏は、それまでとは違ったものを求めるようになっていって、60代の後半に老子に出会って心に大きな転機をもたらされ、住まいも横浜から伊那谷へ移り住み、85歳になられる今も伊那谷に独居されているようです。
潜在能力 Ⅰー鳥の絵の話 <本文から抜き書き>
画家の中川一政さんの本『腹の虫』(日本経済新聞社)によると、少年期の終わりころに、自分が何をしたらいいか分からず、貯金局に働いて最初の給料をもらった時、中川さんの腹の虫が泣き出したので、貯金局を辞めたのだそうです。
私の場合は、小学校の同級生たちに笑われて、私のなかの腹の虫は眼をつむって冬眠してしまったというところでしょう。
「潜在的可能性」は英語potentiality(ポテンシャリティ)の訳語だと思います。もしかすると昭和にできた訳語かもしれません。それ以前は日本語で何と言ったかと考えても思い当たらなくて、やはり「腹の虫」などという言葉を使うのですが、とにかくそれは「人のなかに隠れ潜んでいる能力」のことです。これは意識される前の、潜在状態の能力であり、それがどのように、いつ現れるか当人に予測できない。しかしそれは誰のなかにも潜在し、生きている。
このように、この力は確かに自分のなかにあるけれども、意識できないものであり、自分の意志で開発することは難しい。無理に引きだそうとすると、死んでしまう。自発的に動くのに任せることで、芽を出し伸びてくほかに手はないようです。親にはげまされて早期教育をうけた子は、ほとんどかえって、その潜在能力の芽を摘みとられてしまう。とにかく私は、そういう教育を何ひとつ受けなかった。それで私の潜在能力はずいぶん芽を出すのがおくれたけれど、しかし死ななかったわけです。
ひつだけ、潜在能力が出てくる道筋は私にも明らかに見えています。「自分」にとって面白いことをする、興味のあることをする、という道筋です。