goo blog サービス終了のお知らせ 

爛漫日記

インターネット古書店 独楽知の、春爛漫ではなくて、秋爛漫?の日記です。

加島祥造『老子までの道 60歳からの自己発見』

2008-04-13 22:20:19 | 私の本
加島祥造続きで読んだ本。

随筆集のようなこの本は、加島祥造氏が63歳の時から知人に向けて出し始めた『通信』が、岩波書店の編集者の目にとまって2001年に単行本化され、さらに2007年に文庫版になったものです。

ここに書かれた21の文章は、加島氏の60代に書かれたものです。
60代になった加島祥造氏は、それまでとは違ったものを求めるようになっていって、60代の後半に老子に出会って心に大きな転機をもたらされ、住まいも横浜から伊那谷へ移り住み、85歳になられる今も伊那谷に独居されているようです。


 潜在能力 Ⅰー鳥の絵の話 <本文から抜き書き>

 画家の中川一政さんの本『腹の虫』(日本経済新聞社)によると、少年期の終わりころに、自分が何をしたらいいか分からず、貯金局に働いて最初の給料をもらった時、中川さんの腹の虫が泣き出したので、貯金局を辞めたのだそうです。
 私の場合は、小学校の同級生たちに笑われて、私のなかの腹の虫は眼をつむって冬眠してしまったというところでしょう。
 「潜在的可能性」は英語potentiality(ポテンシャリティ)の訳語だと思います。もしかすると昭和にできた訳語かもしれません。それ以前は日本語で何と言ったかと考えても思い当たらなくて、やはり「腹の虫」などという言葉を使うのですが、とにかくそれは「人のなかに隠れ潜んでいる能力」のことです。これは意識される前の、潜在状態の能力であり、それがどのように、いつ現れるか当人に予測できない。しかしそれは誰のなかにも潜在し、生きている。
 このように、この力は確かに自分のなかにあるけれども、意識できないものであり、自分の意志で開発することは難しい。無理に引きだそうとすると、死んでしまう。自発的に動くのに任せることで、芽を出し伸びてくほかに手はないようです。親にはげまされて早期教育をうけた子は、ほとんどかえって、その潜在能力の芽を摘みとられてしまう。とにかく私は、そういう教育を何ひとつ受けなかった。それで私の潜在能力はずいぶん芽を出すのがおくれたけれど、しかし死ななかったわけです。
 ひつだけ、潜在能力が出てくる道筋は私にも明らかに見えています。「自分」にとって面白いことをする、興味のあることをする、という道筋です。



加島祥造『タオー老子』

2008-03-12 21:44:09 | 私の本
この本は、詩人加島祥造が『老子道徳教』八十一章の英訳版に出会って驚き、二千五百年前の老子の言葉を、「生動するいまの言葉」で表現した本です。

この文庫版あとがきにこう書かれています。

<詩を書いたり英米詩を愛好したりする性向だったので、『老子』八十一章をすばらしい「詩」だ、それも古風な漢詩ではなくて、トップクラスの現代詩だと感じたのです。>

八十一章の中からひとつ抜き書き。


  第9章 さっさとリタイアする

弓をいっぱいに引きしぼったら
あとは放つばかりだ。
盃に酒をいっぱいついだら
あとはこぼれるばかりだ。
うんと鋭く研いだ刃物は
長持ちしないーすぐ鈍くなる。
金貨や宝石を倉にいっぱい詰めこんでも
税金か詐欺か馬鹿息子で消えてなくなる。
富や名誉で威張る人間は
あとでかならず悪口を言われるのさ。
何もかもぎりぎりまでやらないで
自分のやるべきことが終わったら
さっさとリタイアするのがいいんだ。
それが天の道に沿うことなんだ。



マギー司郎『生きてるだけでだいたいOK』

2008-01-29 11:20:21 | 私の本
おしゃべりマジシャンのマギー司郎が、60才を過ぎた自分の人生のありのままを語った本でした。
マギー司郎さんの語り口そのままの文章なので、お話を聞いているように読めてしまいました。
暖かい人でした。

ごく自然に、素敵なことばをいっぱいしゃべっています。
それらのことばは、目次のタイトルになっていて、本文中では太字で表現されています。
何回も読み返せるように。

太字で書かれたことばの、最後の方の一つを抜き書き。

「ダメなところは自分の財産
 弱点はいつか武器になる
 だから焦って無理してまで
 頑張らなくていいんだよ」



車谷長吉『物狂ほしけれ』

2007-12-18 22:05:43 | 私の本
昨日読み終わった、車谷長吉のエッセイ『物狂ほしけれ』がおもしろかった。

車谷長吉は、高校の国語の時間に吉田兼好の徒然草を読んで、<何か自分によく似た人に出会って、困惑したのをいまによく憶えている>そうです。
次ぎに徒然草を読んだのは、三十歳の冬、東京で職を捨て、無一物になって、親の家へ逃げ帰った時、<自分に似た人に救いを求めるような気があった>そうです。
そういう心で徒然草全段をはじめて読んだら、<多くの言葉が心に刻まれた>そうです。

私も高校の国語の時間に徒然草を読んだけど、退屈な話~と思っていたので、へ~?徒然草ってそうだったの?と、興味を持って読み出したら、すごくおもしろい本でした。
車谷長吉が、徒然草の中から選び出した段を、現代語訳しながら解説しているのを、とても納得して読んだ。

第百八段を「死の準備」と題して、こう解説している。

 <兼好は謂ゆる厭世家だった。それは兼好が三十三歳の頃から約十年間、比叡山中の横川に出家遁世したことによっても明らかである。遁世の理由は、無常を感じたからだろうが、私はこういう厭世家の文章に接すると、安心する。なぜ安心するのか、不思議である。現世執着の強い文章や、この世で成功者になるにはいかに生きるべきか、というような文章を読めば、反吐が出る思いがする。きっと私も絶えず無常を感じているからだろう。この傾向は三十過ぎからはじまり、六十一歳になったいま、自分の持ち時間が残り少なくなったのを、まざまざと感じている。私としては二十五歳の頃から「死の準備」をはじめた積もりであるが。>

自分の持ち時間が残り少なくなったというのは、私も感じている。

<私たち人間は生まれた瞬間、すでに死刑を宣告されているのである。謂ゆる死刑囚だけが死を宣告されているのではない。されば、発心が大事である。大事を思い立つことが大事である。>

どんな生き物も必ず死ぬという運命をしっかり受けとめて、私もそろそろ「死の準備」をはじめたほうがいいようだ。


『重森三玲ー永遠のモダンを求めつづけたアヴァンギャルド』

2007-10-20 12:15:36 | 私の本
「重森三玲の庭 地上の小宇宙」を見てきた。
静岡駅南口のサウスポット3階の静岡アートギャラリーで開催されている。

「庭は大地に描かれた立体的な絵画であり彫刻である。」(三玲の庭園観)



受付で買ったこの本。
亡くなって30年以上経って再評価されるようになったという重森三玲。
重森三玲の手がけた庭の美しい写真とともに、三玲が庭に込めた想いと背景が書かれていて、とても魅力的な本だ。

最後の座談会「21世紀は重森三玲をどう感じるか」がとてもおもしろかった。
三玲の門人たちが自由に話し合っていて、強い個性の三玲から受けた影響をどの人も誇りにしているのが感じられて、興味深かった。

私も名前しか知らなかった重森三玲の庭を見たくなった。
京都で紅葉と一緒に見られるだろうか?



内田樹『街場の中国論』

2007-07-29 11:51:08 | 私の本
おもしろい本でした。

「あとがき」に、著者本人もそう書いています。

「書いた本人が言うのも何ですけど、読み返してみて、ひさひぶりに面白いものを読んだなあという満足感を覚えています。
 この本はお二人の中国人ゲスト聴講生以外は「中国問題専門家が一人もいない大学院生たち」が集まって、わいわいと議論したときに私が思いつき的に口走ったことを素材にして、そのあとに調べたことを多少書き加えてみたものです。
(中略)
 私は自分が読みたいものがないときは「自分で書く」ということにしております。武道論でも教育論でも映画論でもユダヤ人論でも。「こういうことを書いた本が読みたいなあ」と思ったときは面倒がらずに自分で書くことにしています。
 2005年の春には「日中の世界像の<ずれ>を中心的な論件にした中国論が読みたい」と切実に思っていたのですが、残念ながら注文通りの本が見あたらず、しかたがないので、大学院の「比較文化」の演習で1年間そのことばかり話していたのでした。」(「あとがき」から抜粋)


林信吾『これでもイギリスが好きですか?』

2007-07-17 12:45:30 | 私の本
ロンドンまでの長時間の飛行機の中で、気を紛らわすために持っていった数冊の本のひとつ。
旅行の数日前に本屋さんでたまたま見つけて、イギリスに行くというのにこのタイトルに惹かれて?買ってみた本。

今回のロンドン見物は、別にイギリスが好きというわけではなくて、15年前に一人参加でロンドンへ行ったことがある私と、急に自由時間保持者になった娘と二人で、ロンドンなら片言英語で自分たちで勝手に動いて観光できるだろうと計画した旅だったのです。


この本に繰り返し書かれていることは、「英国は階級社会である。」ということ。

「英国はいまだに、上流階級、中産階級、そして労働者階級という、いわゆる三階級制度が生き残っているわけだ。」
「英国においては、新聞までが、中産階級向けの高級紙と労働者階級向けの大衆紙とに分かれている。」

この本を半分あたりまで読んでからロンドン見物したので、この本の視点でいろいろ観察してました。


旅に行く前は、有名な紅茶のおいしい店でアフタヌーンティーもしようなんて考えていたけど、紅茶とケーキセットが30ポンド以上(日本円で7200円以上)もするので止めました。
考えてみたら、私達は日本人だけど、お茶室でゆっくりお茶をいただくなんて生活をしているわけではないなあと気が付いてね。

地下鉄にも街にも様々な人種の人がいて、ロンドンはルーツが多国籍の人が多い街だと感じました。
そして、地下鉄は地下深~くて、古くて、ここで何かあったら大変だと感じながら、便利に乗ってました。
地下鉄や街で出会った、たぶん労働者階級の人々の表情は、ロンドンの天気のように曇っていて明るくないなと感じました。


今回の旅で、私たちは毎日地下鉄の一日券を買って動いて、食事はほとんどテイクアウトに近いものばかりだったので、典型的な労働者階級の人たちと近い動きをしたようだと振り返りました。
 

 

ひろさちや『「狂い」のすすめ』

2007-06-20 23:56:27 | 私の本
よく売れてるって新聞の書評にあったけど、ひろさちやさんだし買ってみた。

相変わらず、世間の常識?とは違ったことを言って、私達が囚われている心配や不安を捨てさせてくれる本でした。



 <12「現在」を楽しむ> から抜粋
 
 人生の旅もナメクジになったほうがいいと思います。カタツムリのように、大きな殻を背負ってはいけません。
 大きな殻というのは、目的地です。人生の旅には、目的地があってはならないのです。目的地に到達できるかできないか、わからないからです。
 目的地というのは、「人生の意味」や「生き甲斐」です。人生に何かの目的を設定し、その目的を達成するために人生を生きようとするのは、最悪の生き方です。
 (中略)
 人生の旅は、ぶらりと出かけるのがいいのです。どこに行く当てもない。いわば散歩の要領ですね。

 (この章の最後)
 でもね、何度も念を押して言っておきますが、楽しむといっても、うはうは、おもしろおかしく、笑いころげることではありませんよ。笑えるときは笑っていいのですが、泣いて苦しむときは泣き苦しめばいいのです。苦しみを楽しむことができれば、あなたの人生はすばらしい人生になります。それが「現在」を楽しむことです。




そのほかにも、<未来に対する権利放棄>なんてことばも印象に残りましたね~。


『わたしの外国語学習法』

2007-01-16 11:20:58 | 私の本
ちくま学芸文庫の『わたしの外国語学習法』を読み終わって、感動してる。

ハンガリー生まれの現在90歳を越えたロンブ・カトーさんという女性の、14のヨーロッパ系言語と中国語、日本語を、ほとんど自国を出ることなく、純粋に学習という形で身につけた外国語習得術の本です。

訳したのは、去年の5月に56歳の若さで亡くなった米原万里さん。
「文庫版 役者あとがき」によると、この本は1981年に翻訳され、米原さんが翻訳刊行した唯一の本だそうです。
米原万里さんが、この本の魅力を言い当てているので、書き写しました。

「ちょっと大げさに聞こえるかも知れないが、本書との出会いが無ければ、わたしは通訳という稼業に就いていなかったと思う。少なくとも、今のような通訳者にはなっていなかった気がする。今のような、というのは、通訳以外の人々にその体験や観察や、そこから導き出される諸々の発見について語らずにはいられないほどに通訳という仕事を愛し面白がるような、通訳が仕事でもあり同時に快楽でもあるような通訳者という意味である。
 この快楽主義こそ、本書に一貫してみなぎる精神である。ロンブ・カトーさんの本質と言い切ってもよい。本来、退屈と苦行の代名詞だったはずの外国語学習を、比類無い快楽に化学変化させる方法を伝授してくれているからである。方法というよりも、生きるスタンスと言った方が正確かも知れない。伝授してくれるというよりも、感染させられると言った方が的を射ているだろう。」


私はこの歳になって、軽い気持ちで中国語という外国語の勉強を始めているんですが、この本を読んで「そうなんだ~」と思ったことは、

「外国語学習は毎日学習すること。」

という当たり前のこと。
ところが、これが私にとっては当たり前じゃなかったんですね。
振り返ってみると、これまでいろいろな事すべてに、「一日も休まず」というのをやったことがないような気がする。
やるべき事の直前に一気にとか、工夫して間に合わせるとか、ばかりしてきたような……。
「一日も休まず」ってことばの生真面目さがなんとなく好きじゃないというのは、私の不真面目な考え方だったのね。

だからこの発見?はとても新鮮!

「外国語学習は毎日学習すること。もしまったく時間がないというなら、最低10分はやること。」

やってみようっと!(できれば1日1時間半くらいの勉強が理想です。)
しかも好きな外国語の本を見つけてやってごらんというのも嬉しい。
今年はこれを実験してみようという気にさせられた本でした。







都築響一『夜露死苦現代詩』

2006-12-20 23:15:26 | 私の本
すごく素敵な本だった。

「はじめに」の冒頭はこう始まっている。

< 夜の国道を走る。ヘッドライトに照らされた歩道橋に、スプレーで殴り書きされた「夜露死苦」の文字が一瞬浮かび上がり、頭上に消えていく。
 なんてシャープな四文字言葉なんだろう。過去数十年の日本現代詩の中で、「夜露死苦」を超えるリアルなフレーズを、ひとりでも書けた詩人がいただろうか。>

だから都築響一は、<ほんとうにドキドキさせてくれる言葉を生み出してくれる、現代詩のアウトサイダーたちを僕は探しに行きたい。>と、雑誌『新潮』で毎月連載したのがこの本になったようです。

痴呆老人たちが発する独り言
駄菓子屋の点取り占い
玉置宏の話芸
32種類にもヴァージョンのある「夢は夜ひらく」
エミネムに代表されるヒップホップ詩
ワープロ誤変換の笑える傑作文
ラップに特化したダメレコーズというレーベルの日本語ラップ詩など

どれもおもしろかった。

一番強烈に印象に残ったのは、死刑囚が詠んだ俳句を集めた『異空間の俳句たち』だった。

<菊生という朝鮮人の囚人は昭和25年6月15日に、強盗殺人の罪に問われて死刑を執行されたが、そのたった5ヶ月前の1月末から俳句の指導を受けはじめた。それまで日本語を話すこともたどたどしく、書くことはもちろんできなかったし、読むことすらあいまいだったのが、生まれてはじめて筆を持ち、連れてこられた異国の言葉と格闘し、別れに際して詠んだのが、

  つばくろよ
  鳩よ雀よ
  さようなら            >          

「あとがきにかえて」は、「相田みつを美術館訪問記」で、

<便所と病室にいちばん似合うのがみつをの書だと、多くの人が知っている。立派な掛け軸になって茶室に収まるのではなく、糞尿や芳香剤や消毒薬の匂いがしみついた場所に。>

私も相田みつを美術館へ行ってみたくなった。