爛漫日記

インターネット古書店 独楽知の、春爛漫ではなくて、秋爛漫?の日記です。

映画『カミハテ商店』

2012-12-02 20:28:40 | 映画
静岡市出身の山本起也監督の『ツイノスミカ』以来の新作。
今日、サールナートホールで特別先行上映されるというので見に行ってきた。

この映画は、京都造形芸術大学映画学科が立ち上げている北白川派の第三弾作品。
北白川派とは、プロと学生が共同で毎年個性的な劇場公開映画を作るという学科プロジュクトで、高橋伴明監督は現学科長でプロデューサー。
上演後、脚本兼出演の水上竜士氏と3人の舞台挨拶があった。

山本起也監督は、2006年の『ツイノスミカ』の舞台挨拶の時より若々しいくらいで素敵でした。

牛乳配達の青年を演じた深谷健人君がすばらしかった。
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映画「私を離さないで」

2011-07-13 15:01:11 | 映画
見たいと思っていた映画の「私を離さないで」が静岡シネギャラリーでかかったので、初日に見に行ってきた。

プロダクション・ノートによると、カズオ・イシグロの小説をイシグロの友人のアレックス・ガーランドが脚本にして、監督探しを始めたプロデューサーのところへ、イシグロファンのアメリカ人マーク・ロマネク監督から連絡が来て、イシグロも賛成して映画作りが始まったようです。

この映画の中には、小説「私を離さないで」を読みながら私が描いていたイメージがそのまま表現されているようで素敵だった。
小説の設定と変えたところもあるけれど、小説の中の印象的な場面が、それぞれ巧みに映像化されていて、とても納得した。
キャシー、トミー、ルースを演じた若い俳優たちも、この小説に描かれている特殊な境遇の若者たちがふと立ち現れたような気にさせた。

イギリス中をロケハンして探したというヘイルシャムやコテージや病院などが、映画の中に漂う寂寥感を具現化している。
特に最後で、キャシーがビニールがからまった有刺鉄線の向こうの広大な農地の前に立ちつくす映像は、涙が止まらなかった。

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映画「ハーブ&ドロシー」

2011-02-15 09:50:05 | 映画
ハーブは定年まで郵便局で郵便物の仕分けをしていたおじいさん。
ドロシーは図書館の司書をしていたおばあさん。
二人はマンハッタンの1LDKのアパートに40年間住み続けながら、ドロシーの給料で生活して、ハーブの給料で買える範囲の、まだ評価の定まらないミニマルアートやコンセプチュアルアートを収集していった。

アート作品でいっぱいになったアパートを見たナショナル・ギャラリーのキュレーターが、価値の高騰した美術作品を保護するために美術館の力が必要だと二人を説得する。
子どものいない二人は4000点ほどに膨れあがっていたコレクションをナショナル・ギャラリーに寄贈した。

若い頃は画家志望で絵を描いていた二人。
描くのを止めて、二人でギャラリー巡りをしながら現代アートのコレクションを始める。

収集するアート作品の基準は、おもしろくて誰もやったことがないようなもので、安くて、アパートに入る大きさのもの。
そうやってこつこつ集めていった膨大な数のコレクションに囲まれて、その生活を楽しんでいた二人。

アメリカでは有名なこの二人を映画に撮ったのは、日本人の佐々木芽生監督。
初めてのドキュメンタリー作品だそうです。

映像の中で、いつも手をつないでいたハーブ&ドロシー・ヴォーゲル夫妻。
ほんとに仲がよくて、可愛い二人でした。
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映画『ドアーズ/まぼろしの世界』

2010-12-17 10:07:18 | 映画
気になる映画が時々かかるシネ・ギャラリーで上映されてると知って、見に行ってきた。
ドアーズにハマッていたことがあったからね。

時代背景と共に振り返るドアーズの歴史ダイジェスト版という感じ。
ナレーターがジョニー・デップ。

ドアーズのビデオテープも買って見ていたくらいのめり込んでいた時期があったから、ドキュメンタル映像は見たものが多かった。
でも、最近は見たり聞いたりしなくなっていたから、懐かしかった。

レイ・マンザレクのエンドレスなキーボードとロビー・クリーガーのスライドギターとジョン・デンズモアのタイトなドラムとジム・モリソンの独特な詞のボーカルがうまく融合したバンドだったんですね。

それが60年代後半のアメリカで生まれて、急速にセンセーショナルな人気になって、バンド活動が振り回されてしまった感じ。
数々のスキャンダラスなエピソードが変な伝説バンドにしてしまったと思う。

ジム・モリソンの詩はロックのリズムにのると魅力的になる。
「月光のドライブ」とか「ソウル・キッチン」とか今でもとても好き。
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映画『ボブ・デュラン ノー・ディレクション・ホーム』

2010-04-22 11:59:25 | 映画
4月初めに上京した時、渋谷のイメージ・フォーラムで見た、マーティン・スコセッシ監督の長いドキュメンタリー映画。

いろいろな質問に答える60才を超えたボブ・デュランの姿の間に、時代のニュースを入れながら、若いボブ・デュランの魅力的な映像がたくさん見られて、とても興味深かった。
スコセッシ監督が言っているように、この映画は「あるアーティストの成長と、彼のしてきた選択の数々が見られる」のが、おもしろかった。
皺の多い現在のボブ・デュランの顔と、ぴちぴちしたほっぺたの若いボブ・デュランの顔の対比がよかった。


ボブ・デュランに詳しくない私は、この映画を見て、以前に見た『アイム・ノット・ゼア』(監督トッド・ヘインズ)の謎が解けた。
実在のボブ・デュランの人格を投影した「6人のデュラン」が繰り広げる「6つの物語」という不思議な映画の意味がやっとわかった。



変わらない人も魅力的ですが、こんな風に変わり続ける人もまた魅力的だなあと感じました。
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映画『アンヴィル!』

2010-02-07 10:52:12 | 映画
監督のサーシャ・ガバシは、高校生の頃メタルバンドに夢中だった。
1982年4月ロンドンのクラブにやってきたアンヴィルに出会って、夏の北米ツアーには2か月間ローディーとして参加した。

華々しくデビューしたアンヴィルだったが、なぜかその後成功せず、注目されることはなかった。
2005年、ふとしたきっかけで20年ぶりに連絡をとったガバシ監督は、アンヴィルが今もメタルバンドを続けているのに驚いて、彼らのドキュメンタリー映画を作ることを決意する。

映画は、1984年SUPER ROCK IN JAPANで演奏するアンヴィルの映像から始まっている。
アンヴィルの最初からのメンバー、リップスとロブは生活の糧の仕事をしながら、カナダで20年以上もメタルバンドを続けていた。
久しぶりのヨーロッパ・ツアーに同行した撮影隊は、惨憺たるツアーの様子や、リップスとロブのケンカを映したりしている。
でも、強い絆で結ばれているリップスとロブはロック・スターになる夢を諦めていない。
映画の最後は、2006年日本で開催されたメタル・フェスティバルLOUD PARK 06に出演して、渋谷を嬉しそうに歩く二人を映している。

50才を超えても夢を諦めていないカナダのメタルバンドのリップスとロブの映画が、日本で始まり日本で終わるのが、なんだか嬉しかった。

この映画を見て思い出した、素敵な言葉がある。
時々覗かせていただいている若い人のブログで知った、アップル社のスティーブ・ジョブスの言葉。

Stay Hungry, Stay Foolish !
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映画「台湾人生」

2009-12-22 22:22:29 | 映画
1969年生まれの酒井充子監督の、初ドキュメンタリー映画。
この映画は、酒井充子さんが台湾へ旅行へ行った時に、バス停で一人のおじいさんに流暢な日本語で話しかけられたことがきっかけで作られたそうです。

1925年~1928年生まれの「日本語世代」と呼ばれる5人が、向けられたカメラの前でインタビューに答えて、日本語で自分の思いを熱く語っている。
男女5人の台湾の老人たちは、日本統治時代最末期に日本語教育を受け、第二次大戦中は日本人として生きていて、しかも今尚心の中に「日本人」を色濃く残して生きていた。

私は、この台湾の5人の老人が語る「日本」への思いを聞きながら、台湾のこれからなどを思って、複雑な気持ちになった。
でも、高齢の老人たちの貴重な話は、映像として残された。
この映画で台湾の歩んだ波乱の歴史に出会うことができた気がする。
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映画『花と兵隊』

2009-09-20 22:39:07 | 映画
渋谷の宮益坂を上った先にあるイメージ・フォーラムで上映している『花と兵隊』を見てきた。
予想以上に良い映画で、すごく感動した。

1979年生まれの若い松林要樹監督の、第1回作品。
<『花と兵隊』は、タイ・ビルマ国境付近で敗戦を迎えた後、祖国に還らなかった6名の日本兵、すなわち「未帰還兵」を描いたドキュメンタリー映画である。>

この映画は、この劇場用パンフレットの中でジャーナリスト鳥賀陽弘道氏が書いているように、<どこかしら「元日本兵の老人の家にビデオカメラを持った兄ちゃんが転げ込んで写したホームビデオ」のような、くつろいだ空気がずっと流れている。>

マイクを持って老日本兵にインタビューする若い松林要樹監督が、画面に時々現われるのが、とても新鮮で、印象に残った。
一緒に老人に出会っているような感じになって、老日本兵が語りたくなさそうに話した戦争の話に胸を打たれた。
 
鳥賀陽弘道氏はこう書いている。
 <その瞬間、僕は理解した。あの戦争は「若者の戦争」だったのだ、と。画面の松林のような28歳の青年が、殺戮と破壊の悪夢に放り込まれ、やりたくもない血みどろの人殺しを経験することなのだ、と。そして、28歳の青年が90歳の老人になるまで、永遠に人生を変えられてしまう、後戻りのできない過酷な体験であることを。
 現場で考えずにいられなかった、松林は言っていた。もし生まれるのが60年早ければ、自分も元日本兵の老人たちのように銃を持って殺人者になっていたはずだ、と。そして元日本兵たちが60年後に生まれていれば、自分のように楽しく世界を旅して青春を謳歌していたはずだ、と。>
 
この映画の中では、元日本兵たちが敗戦後離隊して、現地で結婚した妻たちの話も、また魅力的だった。
元日本兵は敗戦後に日本へ還る道は捨てたけど、そこで過ごした長い年月は実り多い生活だったのかもしれないと。

3年の製作期間中、登場する元日本兵のうち、2人が鬼籍に入った。
貴重なドキュメンタリー映画が、これから各地で上映されるのを願っている。

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映画『嗚呼 満蒙開拓団』

2009-08-18 11:58:36 | 映画
記録映画を撮り続けている羽田澄子監督の『嗚呼 満蒙開拓団』を、先月上京した時に岩波ホールで上映していたので、見てきた。

私はこの映画で、いろいろなことを初めて知った。
満州国建設から満蒙開拓団派遣、ソ連軍の侵攻、敗戦へと向かった歴史の流れで、満州奥地の開拓村から悲惨な逃避行の末にたどり着いた方正という地で、亡くなった数千人の日本人がいたこと。
戦後年月を経て、山間に散乱している遺骨の山を見た残留婦人、松田ちゑさんが「この遺骨をお墓に」と願い出て、その時の周恩来総理の判断で「方正地区日本人公墓」が建てられていること。

羽田澄子監督は、この方正県への墓参りツアーに参加しながらこの映画を撮り始め、敗戦後の満州奥地で起こった出来事を知っている人々を訪ね歩き、貴重なインタビューをたくさん収録している。

89歳の松田ちゑさんの都内のアパートを訪ねて、日本語がわからないちゑさんの息子にインダビューした時、日中バイリンガルに育った若々しい孫が、流ちょうに通訳したのが印象的だった。



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映画「精神」

2009-06-24 15:50:51 | 映画
 この映画は、監督想田和弘が、外来の精神科診療所「こらーる岡山」に通う患者たちの中から、撮影に同意してくれた方々にカメラを向けて、山本昌知医師との診察風景や、古い民家の待合室風景や、ショートステイを利用する患者へのインタビューや、事務室等でのスタッフの様子などを撮影したドキュメンター映画です。

 監督想田和弘の妻の舞踏家柏木規与子が、以前「こらーる岡山」で踊ったことがあるので、一緒に患者に撮影許可をもらうなど制作補佐を務めている。


 『精神』にはいわゆる「言いたいこと=メッセージ」も、明確な結論もない。むしろ、映画を単純なメッセージに還元するプロパガンダ的な姿勢から、最も遠いところで作品を作ることを目指した。観客が作品を通じて、なるべく「す」の状態で精神科の世界を観察し、あれこれ考えたり疑問を持ったり刺激を受けたりできれば、作者として幸せである。 <監督からのメッセージ>


カメラの前で語る患者たちの想いに、私はいっぱい驚いて、いろいろ考えた。
この映画を見て、私は監督の狙い通りになったようだ。

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