爛漫日記

インターネット古書店 独楽知の、春爛漫ではなくて、秋爛漫?の日記です。

夏の着物

2005-08-31 20:39:34 | 着物
今日の着付け教室は、8月最後の日なので、夏の着物の着納めに、透ける単衣の着物を着た。
この着物も義母の遺した着物。
しゃきっとして肌につかず、柄行も涼しげで、みんなの評判もいい。
帯は、友達のおばあさんが遺した帯をいただいたもの。
帯締めは、組み方を教わりながら、自分で組んだ夏の帯締め。
わーわーおしゃべりしながら、着物を着付けて、どこへも行くわけではない。
まあ、着物の風通しの代わり。
これで夏が終わったね。
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漫画本

2005-08-31 03:19:29 | 新着本
久しぶりに、漫画本を登録しました。
コミックと呼ぶのがなじめないので、漫画本と呼んでます。
残念ながら、途中までで、全巻揃っていません。

高橋留美子『犬夜叉』(小学館)第1巻~第13巻
CLAMP『カードチャプターさくら』(講談社)第1巻~第11巻
片山愁『ドラゴン・フィスト』(新書館)第1巻~第10巻

表紙の写真は、「インターネット古書店 独楽知」の新着情報に入れました。
ご注文は、「インターネット古書店 独楽知」新着情報からどうぞ。

<CLAMP『カードチャプターさくら』(講談社)第1巻~第11巻 売り切れました。(10月27日)>
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『埴谷雄高作品集 別巻 埴谷雄高論』

2005-08-28 18:17:45 | 新着本
『埴谷雄高作品集』が第1,2,3巻と別巻がまとめて手にはいったので、登録しました。
読んだことはありません。
晩年の端正なお姿をテレビで拝見して、お年を召しても語り口が情熱的なのが印象的でした。月報に書かれている魅力的な俗人振りは、難解な文章とほんとに不思議な組み合わせですね。

<月報から・俗人・埴谷雄高ー平田次三郎>より抜粋

埴谷雄高は、俗に言う実に「面倒見のいい」男である。埴谷雄高を、<文学上の師>と仰ぐよりも、<身上相談人>として頼る友人の方が、格段に多いのではあるまいか。(中略)実のところ、わたくし自身がそうであった。昼は「近代文学」の編集会議のあとで、「埴谷さん、埴谷さん、この原稿依頼はあなたからして下さいな。あの件はあれでいいんでしょうな。編集雑費をもう少し増やせませんかな。」と相談する。と、夜は夜で、会議のあと新橋のバラックのカストリ焼酎屋で、「埴谷さん、あそこのダンサーはいったい何者でしょうかね・・・」と、相談をもちかける。そんな時、埴谷雄高は、「平田くん、それはだなあ・・・」と一々教え諭し、異臭を防ぐかのように鼻をつまみ、カストリのコップに口をつけるのであった。「埴谷さん、埴谷さん」と呼びかけ寄る人々は、最初はむろん『死霊』の作家埴谷雄高におそるおそる接見するのだが、ひとたび埴谷雄高に相まみえるや、その俗人的魔力にしばられてしまい、従ってその後は文学上の師としてよりも、人生相談人としての埴谷雄高に見参するという仕組みなのであった。この仕組みは、むろん埴谷雄高の仕組んだものでもなく、呼びかけ寄る人々の仕組んだものでもない。<闇のなかの黒い馬>などという夢と妄想のなかに<存在>を問う男の、実人生におけるなんともはや見事なる俗人振りが、偶然まねいた巧まざる人生の面白くも不思議な仕組みとでもいうべきものなのだ。

売り切れました。(2006年3月3日)
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和田誠『倫敦巴里』

2005-08-26 22:50:21 | 新着本
今日、登録したのは和田誠『倫敦巴里』(話の特集)です。
この本は、和田誠のパロディ満載で、刺激的な「殺しの手帖」で始まり、川端康成の『雪国』をいろんな作家が書くというシリーズも笑えます。
この絵は、「ニクソンの夢は夜ひらく」から。


<本文>から抜粋

このテの遊びは、雑誌では『話の特集』に書いたのが多いね。でも『話の特集』以前から結構やってるんだよね。「殺人(マーダー)」みたいに。それとライトパブリシティに勤めてた頃にはね、勤務時間中にそんなことばかりやってた。デザイン会社だったからさ、当時評判になったポスターやら新聞広告をすぐモジっちゃうのね。手描きで作るわけ。サッポロビールのポスターをサッポロラーメンに変えたりさ、『アンネの日記』の芝居のポスターを、例の「アンネ」と混ぜちゃったりさ。「ホネケーキ」なんか当然、骨が石鹸持ってるわけね。ヒマだったんだなあ、俺。

<売り切れました。(9月3日)>
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森南海子『千人針』

2005-08-25 18:11:24 | 新着本
森南海子さんの本が手に入ったので、登録しました。
手縫いで様々なものを作る森南海子さんが、8年かけて訊ね歩いた千人針の、それぞれの針目に刻まれた男と女の物語に、言葉を失います。


「まえがき」から抜粋

ですからはじめは単なる千人針コレクターであったのです。まわりの人たちから、いま何枚になりましたか、などと問われて、二十枚です、といったりしました。
しかし、一枚一枚の千人針に手で触れ、眺め、感じ、今日まで残されねばならなかったその理由をさぐりはじめましたとき、私はその針目の中に、女たちの男への囁き、誓い、約束といった"言葉"が縫い綴られているのを感じはじめたのです。
 その針目の中に宿されている女の想いは容易ならざる重さを持っているらしいーそのことに気づきました私は、同時に、それを贈られた男たちのかなしみや淋しさにも触れたのでした。
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今日の浴衣

2005-08-24 22:02:27 | 着物
真夏の着付け教室が始まった。
当然、みんな浴衣を持ってきた。
今日の私の浴衣は、義母の遺してくれた浴衣と友達にもらった半巾帯。
半巾帯の結び方は数通り教わってるのに、毎年夏に1回浴衣を着るかどうかなので、いつも忘れてしまっている。

私たちの世代は、親から着物の着付けを習わないできてしまった。
友達のお母さんが着付けの先生なので、有志が集まって、毎週1回自分の着物を持ち寄って着付けを教わっている。
続けているうちに、自分で着付けられるようになってきて、みんなで着物の魅力に目覚め始めている。
箪笥の中で眠っていた母の着物に、古着屋さんで買った帯を合わせると、新鮮な組み合わせになったりするので、おもしろい。
着物は、年齢に合わせた楽しみ方ができるのが、何より頼もしい味方になりそう。
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『ジャズ詩大全[第1巻]』村尾陸男著

2005-08-24 00:09:53 | 新着本
今日の新着本に登録したのは、JAZZのスタンダードナンバーを、英語の原詩と比較して、きちんと訳し直し、とても丁寧に説明してある本です。Love for sale,This masquerrade,Mistyなど、日本でもよく知られている曲ばかりで、ビートルズのYesterdayも含めてられて、全部で40曲を解説してある、興味深い本です。


「はじめに」から抜粋
 そこでこの誤訳という問題についてもう少し具体的に説明してみます。[But beautiful]というスタンダード曲があります。これは「恋というものは楽しかったり、辛かったり、狂おしかったり、また時にはいいものでも悪いものでもあり、困難なものでもあれば、一方たやすいものでもある」というような歌詞のあと、but beautifulとくるのですが、日本人なら十人中十人が「しかし美しい」とやるわけです。私は歌手がマイクをとおしてそう言っていたのも聞いたことがありますし、ジャズ評論家がそう書いているのも目にしたことがあります。かくいう私もそれが正しいとずっと思っていました。ところがたまたまあるアメリカ人にそうでないと指摘されて、びっくりしました。何度も訊き返しましたが、これは「美しい」とは関係ないと言います。意味は<それでもいい>というようなもので、やや皮肉や苦渋のこもったイエスであり、反語的肯定とでも言うのでしょうか、恋のなかには辛いことも嫌なことも沢山あるけれど<でもいい、とにかくそういうものなんだから、いいじゃないか>、<それでいいんだ>というようなことを言おうとしているわけです。すると確かに「美しい」とは関係ありません。その後、私は何人かの英米人にこのことを訊ねてみましたが、答えはみな同じでした。皮肉っぽい肯定であり、美しいとは関係ない、というわけです。


売り切れました。(8月27日)
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塩野七生『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年』

2005-08-22 22:21:15 | 新着本
今日、新着本に登録したのは、塩野七生著『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年』(中央公論社)の<正・続2冊揃い>です。
『続 海の都の物語』の最初に塩野七生さんが書いている「読者に」から抜粋。


 第1作を書いた当時から、一貫して私の製作態度の根底をなしてきた考えは、歴史は娯楽である、ということにつきる。なにもわざと面白い事象ばかり取りあげなくても、それ自体すでに面白いのが歴史である。教訓を得る人は、それでよい。しかし、歴史から学ぶことなどに無関心で、ただそれを愉しむために読む人も、私にとって大切な読者であることに変わりはない。いや、そのような人を満足させえてはじめて、真にためになる教訓を与えることも可能なのだと信じているくらいだ。
 現代で歴史を娯楽と考える民衆は、アングロ・サクソンではないのかと思う。そのためか、彼らの国では、学者も文章が上手い。作家が読者を啓蒙するのではない。読者が、作家を育てるのである。それに、古代ローマの文人のホラティウスも、言っているではないか。
「面白くてためになる書物が、良書なのである」と。
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『わたしのなかのかれへ』(倉橋由美子・講談社)

2005-08-21 15:54:40 | 新着本
<カミユの『異邦人』やカフカの作品ーわが青春の読書ー>から抜粋

 青春というのはだれかを愛して夢中になりたい時期なので、同じことを読書においても求めがちである。精神は一種の充血状態にあって、人間であれ書物であれ、恋の相手と出会うことを待っている。(中略)

 ところで青春の読書がそういうものだとすると、それははたして読書なのだろうか?偶然出会って恋をした一冊(または数冊)の書物との媾わりで精神が形成されてしまうのは耐えがたいことではないだろうか?いまになって考えると、このような青春期の読書そのものは未定形の精神がかかるひとつの病気であって、大切なことはこの病気からの回復に成功するかどうかということである。これには十年を要することもあり、病気がひどくて治癒のみこみのないこともある。
 このあとの場合、ひとはたとえば太宰治風の顔をもった侏儒のまま老年に達することになる。このような精神の畸形をつくることが読書であるならば、そして一冊の書物または一人の作家がそのような力を精神に対してもちうるとすれば、読書とはまことに恐るべきものというほかはない。(中略)

 わたし自身にも青春ということばと結びつくような何冊かの本があって、たとえばカミユの『異邦人』やカフカの作品その他をあげることができる。そしてそれらについて語ることは自分の過去の恋と病気について語るにひとしいので、現在青春の時期にいるひとの読書に資するものはなにもない。
 くりかえしになるが、青春というのは恋をしたがっている、どうしようもない時期なのである。好きなものを読んで病むほかはない。精神にとって重要なことは、この前後の時期に、古典に対してどのような関係をもつかということにつきる。

「インターネット古書店独楽知」の新着本の登録しました。
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中国語

2005-08-21 01:02:45 | Weblog
毎週土曜日の夕方、中国語を習い始めて約1年5ヶ月になる。
きっかけは、台北へ観光で行った時、街にあふれる漢字の大体の意味がわかるけど、発音が全然違うし、変な?漢字が多いので、何だこれは?って興味をもったことから。

軽い気持ちで始めたら、先生が熱心だし、語順がシンプルでおもしろいなあと、結構楽しんでいる。
まだ単語をポツポツしか言えないけど、話せるようになりたいと思う。
私の性に合う言語のような気がする。
英語より、ず~っとやってて楽しいもの。

先生が、北京オリンピックまではまだ3年あるよと励ましてくれるので、続けてみようと思ってる。
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