爛漫日記

インターネット古書店 独楽知の、春爛漫ではなくて、秋爛漫?の日記です。

城繁幸『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』

2008-04-24 23:48:19 | 私の本
今年35歳で”若者”を卒業する城繁幸氏のこの本、とても共感して読みました。

年功序列制度や長時間労働などの昭和的価値観に見切りをつけたいろいろな若者たちが紹介されていますが、その多様な生き方はそれぞれに頼もしくて素敵でした。

真剣に日本の将来を心配している城繁幸氏の「あとがき」から一部抜粋します。



 一向に上向かない出生率や、高止まりし続ける自殺件数、そしてエリートの日本企業離れといった問題は、僕にはいずれも同じ根っこを持つ問題に映る。それらに正面から切り込むことなしに、体の良い先送りを続けるだけでは、日本がこの先も発展し続けることは困難だろう。
 上記の目指すべき社会を、個人の生き方で説明するなら、それは多様化ということにつきる。大きく分けるなら、人生のすべてを自己啓発と仕事に捧げても、物質的に成功したいと願う人がいる。かたや、夕方までぼちぼち働き、そこそこの暮らしを望む人もいる。それぞれがそれぞれの生き方を可能にする社会こそ、目指すべき方向だ。
 従来の日本社会は、どっちのタイプもひっくるめて、過激な滅私奉公を強いてきた点に問題がある。いや、それでそこそこの暮らしが出来たのならまだ良いが、そこまでやらせといて生涯ヒラ、定期昇給無しなんて、もうブラックジョークとしか思えない。社会全体としてのワークバランスを受け入れる価値観が必要だろう。<「あとがき」から>


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加島祥造『老子までの道 60歳からの自己発見』

2008-04-13 22:20:19 | 私の本
加島祥造続きで読んだ本。

随筆集のようなこの本は、加島祥造氏が63歳の時から知人に向けて出し始めた『通信』が、岩波書店の編集者の目にとまって2001年に単行本化され、さらに2007年に文庫版になったものです。

ここに書かれた21の文章は、加島氏の60代に書かれたものです。
60代になった加島祥造氏は、それまでとは違ったものを求めるようになっていって、60代の後半に老子に出会って心に大きな転機をもたらされ、住まいも横浜から伊那谷へ移り住み、85歳になられる今も伊那谷に独居されているようです。


 潜在能力 Ⅰー鳥の絵の話 <本文から抜き書き>

 画家の中川一政さんの本『腹の虫』(日本経済新聞社)によると、少年期の終わりころに、自分が何をしたらいいか分からず、貯金局に働いて最初の給料をもらった時、中川さんの腹の虫が泣き出したので、貯金局を辞めたのだそうです。
 私の場合は、小学校の同級生たちに笑われて、私のなかの腹の虫は眼をつむって冬眠してしまったというところでしょう。
 「潜在的可能性」は英語potentiality(ポテンシャリティ)の訳語だと思います。もしかすると昭和にできた訳語かもしれません。それ以前は日本語で何と言ったかと考えても思い当たらなくて、やはり「腹の虫」などという言葉を使うのですが、とにかくそれは「人のなかに隠れ潜んでいる能力」のことです。これは意識される前の、潜在状態の能力であり、それがどのように、いつ現れるか当人に予測できない。しかしそれは誰のなかにも潜在し、生きている。
 このように、この力は確かに自分のなかにあるけれども、意識できないものであり、自分の意志で開発することは難しい。無理に引きだそうとすると、死んでしまう。自発的に動くのに任せることで、芽を出し伸びてくほかに手はないようです。親にはげまされて早期教育をうけた子は、ほとんどかえって、その潜在能力の芽を摘みとられてしまう。とにかく私は、そういう教育を何ひとつ受けなかった。それで私の潜在能力はずいぶん芽を出すのがおくれたけれど、しかし死ななかったわけです。
 ひつだけ、潜在能力が出てくる道筋は私にも明らかに見えています。「自分」にとって面白いことをする、興味のあることをする、という道筋です。


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