爛漫日記

インターネット古書店 独楽知の、春爛漫ではなくて、秋爛漫?の日記です。

お正月の花

2007-12-30 10:25:38 | Weblog
あと2日で今年が終わります。
年末年始は、ばらばらに住んでいる家族が集まる時。

玄関にお正月の花を飾って、みんなが揃うのを待ってます。
この青い花瓶は、若い女性の陶芸家の展示を偶然見かけて手に入れたもの。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

車谷長吉『物狂ほしけれ』

2007-12-18 22:05:43 | 私の本
昨日読み終わった、車谷長吉のエッセイ『物狂ほしけれ』がおもしろかった。

車谷長吉は、高校の国語の時間に吉田兼好の徒然草を読んで、<何か自分によく似た人に出会って、困惑したのをいまによく憶えている>そうです。
次ぎに徒然草を読んだのは、三十歳の冬、東京で職を捨て、無一物になって、親の家へ逃げ帰った時、<自分に似た人に救いを求めるような気があった>そうです。
そういう心で徒然草全段をはじめて読んだら、<多くの言葉が心に刻まれた>そうです。

私も高校の国語の時間に徒然草を読んだけど、退屈な話~と思っていたので、へ~?徒然草ってそうだったの?と、興味を持って読み出したら、すごくおもしろい本でした。
車谷長吉が、徒然草の中から選び出した段を、現代語訳しながら解説しているのを、とても納得して読んだ。

第百八段を「死の準備」と題して、こう解説している。

 <兼好は謂ゆる厭世家だった。それは兼好が三十三歳の頃から約十年間、比叡山中の横川に出家遁世したことによっても明らかである。遁世の理由は、無常を感じたからだろうが、私はこういう厭世家の文章に接すると、安心する。なぜ安心するのか、不思議である。現世執着の強い文章や、この世で成功者になるにはいかに生きるべきか、というような文章を読めば、反吐が出る思いがする。きっと私も絶えず無常を感じているからだろう。この傾向は三十過ぎからはじまり、六十一歳になったいま、自分の持ち時間が残り少なくなったのを、まざまざと感じている。私としては二十五歳の頃から「死の準備」をはじめた積もりであるが。>

自分の持ち時間が残り少なくなったというのは、私も感じている。

<私たち人間は生まれた瞬間、すでに死刑を宣告されているのである。謂ゆる死刑囚だけが死を宣告されているのではない。されば、発心が大事である。大事を思い立つことが大事である。>

どんな生き物も必ず死ぬという運命をしっかり受けとめて、私もそろそろ「死の準備」をはじめたほうがいいようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする