goo blog サービス終了のお知らせ 

爛漫日記

インターネット古書店 独楽知の、春爛漫ではなくて、秋爛漫?の日記です。

『石田徹也遺作集』

2006-12-17 23:00:41 | 私の本
静岡駅前の国1沿にある小さな駿府博物館で開催されている、「石田徹也展」を見てきた。
1973年焼津市生まれのこの若い画家は、去年の5月に事故で既に31才の生涯を閉じていた。

アクリル絵の具で描かれた大きな絵がたくさん展示されていた。
どの絵にも、画家自身のような青年が描かれ、学校やコンビニや病院やトイレや部屋の中で悲惨な姿をしている。
画面いっぱいに細密に描かれている不気味な現在社会の姿。
チケットに描かれている「囚人」というタイトルの学校の絵も、今の学校の息苦しさを表している秀作だと思う。

しばし立ちつくして見た後、この短く生きた焼津生まれの画家の遺作集を買ってきた。
家で開いて見ながら、グロテスクな絵だけど、若い画家の真面目な絵だなあ~と感じた。






藤原新也『黄泉の犬』

2006-12-11 21:25:01 | 私の本
最近出版された藤原新也のこの本を読み終わった。
実はこの本は、1995年7月から1996年5月まで「週刊プレイボーイ」に連載されたものに、今回あることをやっと書き加えられ、出版することができた本でした。
いろいろ驚くことが書いてあったり、いろんな話が入り組んでいて、どれもおもしろかった。


大学を止めてインドへ行った若い頃の藤原新也の、そこで身近に出会う人間の死への受け止め方がシンプルでいいなあと思う。

「火葬との出会いは本当はそのような平和国家における小市民的エゴイズムを一挙にくつがえす手荒な場面だった。しかし、それがあまりにも自分の育った世界とかけ離れていたために私ははじめそれを見たとき戸惑ったんだ。人間が粗大ゴミみたいに目の前でどんどん燃やされていく。それが正しい光景なのか、間違っている光景なのか若い私には判断できなかった。というよりこんなに人間の生死があられもなく衆目の前にさらされ、丸見えになっていいのだろうかというおののきの方が先に立ってね。
 それで私は見つづけたんだ。一体これはなんなのだろうって。その不思議なマジックを来る日も来る日も見つづけた」


いつもながら、藤原新也の本を読むと何か刺激される。
今回気が付いたんですが、藤原新也さんて私より7才年上なんですね。



リリー・フランキー『東京タワー』

2006-05-20 16:46:43 | 私の本
人から借りて、リリー・フランキーさんの『東京タワー』を読み終わった。
遅読の私が読むのを止められず、2日間で読み切ってしまった。
読み終わってすぐに本屋へ出かけて、ここにアップしてある本の写真は、その買ってきた新しい本。

ベストセラー本に疑いを持ってる私は、この本を買うのを躊躇していて、読み終わった知人から借りて、なにげなく読んだ本。

……う~ん、いっぱい泣いた。

リリーさんのオカンが亡くなった時、駆けつけた女優の松田美由紀さんがリリーさんに言ったことば。

 「淋しいだろうけど、男は母親が死んでからやっと一人前になんのよ」

う~ん、そうなのかも知れない……。
「男」を「子ども」と置き換えてもいいのかも知れない。

両親がいる私は、老齢の親の「その日」を受け止めてから、やっと一人前に成るのかも知れない。
息子と娘を持った「母」としての自分は、いつか死ぬことで息子と娘が一人前になるのならいいやと、こっちの方は気が楽だけど。

『茨木のり子詩集』から「首吊」

2006-03-02 21:52:24 | 私の本
茨木のり子さんが亡くなられたので、本棚から、思潮社の現代詩文庫『茨木のり子詩集』を引っぱり出して、ぱらぱらとめくって読んだ。
そしたら、「未刊詩篇から」の中に「首吊」というタイトルの詩を見つけた。
え? と思って読んだら、「田舎の外科医の娘」だった「茨木のり子」さんの、若い頃の姿が眼に浮かんできた。
茨木のり子さんの死生観の根っこのようなものが書かれていると思う。

思潮社現代詩文庫20『茨木のり子詩集』から転載。

 首吊

町で一人の医師だった父は
警察からの知らせで
検死に行かねばならなかった
娘の私は後についていった
父は強いて止めなかった
その頃の私ときたら自分の眼で じかに
なんでも見ておきたい意欲で
はちきれんばかりだった
手術室にも入っていって
片足切断を卒倒もせずに見ていられることを
確めた
つきあっていた若い英文学者に話すと
「まるで肉屋のようですね」
唇をゆがめて外科手術を評したから
その英文学者はふってやった

海べの松林の ほどよい松の木の
ほどよい枝に 首吊男は下がっていた
そして頼りなげにゆれていた
よれよれの兵隊服で かすかな風に
てるてる坊主のようにゆらめいて
彼は最初海へ入って死のうとしたのだ
ズボンが潮で べとついている
ポケットには ばら銭がすうこし
ゆうべ町の灯は一杯ついていたろうに
声をかけられる家は一軒としてなかったのか
死んだのは 食べもののことでも
お金のことでもなかったのだろうか
こわごわ見て 帰ってくると
母は怒って塩をぶっかけた
娘だてらに! と叫んで

首吊を検視した父もまた死んだ
遠い昔の記憶なのに
この世の酷薄さをキュッとしぼって形にしたような
てるてる坊主は
時として 私のなかで いまだにゆれる
ひとびとのやさしさのなかで
ひとびとのいたわり深さのさなかに


『日本美術応援団』(赤瀬川原平・山下裕二対談)

2006-02-07 15:54:05 | 私の本
本の帯にもあるけど、「日本美術はおもしろい!」と思う。

山下裕二さんのあとがき「歴史的に見ない快感」から抜粋。

 最初のうち、雪舟、等伯、若冲ぐらいまでは、都心の料亭かなんかで画集を拡げながらだったけれども、やっぱり本当の快感を味わうにはナマでなくちゃ、というわけで、北斎、竜安寺石庭あたりから、現地に出かけるようになった。
 こうなるともう、どうしてもナマでなくては気がすまなくなってくる。「ナマ日本美術応援団」である。いつしか、二泊三日が定番になって、徐々にこの対談は、旅ものの色彩が強くなっていったのである。


いいなあ!贅沢な旅!
二人の案内人の会話が笑えるし、写真も豊富で、すごくいい絵ばかり!
巻末に「この作品はここで見られる」と教えてくれてるから、やっぱりナマで見に出かけるしかないか・・。

久しぶりに本屋をぶらぶら・・

2005-12-23 15:13:50 | 私の本
    

久しぶりに目的もなく本屋に入って、ぶらぶらした。
私がこういうことをしなくなった原因、それは老眼!にある。

愛用している使い捨てコンタクトレンズは遠くは視力がでてるので、年をとってきたら、近くが見えにくくなってしまった!
もう新聞を読むのも本を読むのも、老眼鏡なしでは読めない。
で、一番困ったのが、本屋で立ち読みができなくなったこと!
鞄の中から老眼鏡を出す動作は、本屋の店頭ではやりにくいし・・。

でも昨日、久しぶりに谷島屋(静岡の本屋)へふらっと立ち寄った。
最近は表紙を見せる陳列をしてるので、さすがに本のタイトルくらいは読める。
そこで目に止まったこの2冊、買ってしまった。

もう2冊とも読み終わったけど、よかったよ。
丸山健二さんて、私より8才上なんですね。
長野の自宅で、作庭にのめり込んで、育てた美しい花々を自ら写して、言葉を添えた本。
花のアップの写真が、凛としたエロスを放っている。
厳選した言葉が、般若心経みたい。
「花々の美しさを真に理解しようと思うなら、
 花を夢見るしかない雪の半年をくぐり抜けたほうがいい。」

深沢七郎さんの生まれた石和町は、私の育ったところのすぐ隣町。
深沢七郎さんが話す甲州弁は、子どもの頃に聞いたしゃべり方ばかりなので、懐かしい。
すごく自然なことを、力まずに話してる、土いじり大好き爺さんの話みたい。

深沢七郎の本は、「独楽知」も収集に力を入れてます。
興味のある方は、覗いてみてください。


中山康樹『スイングジャーナル青春録 大阪編』

2005-12-18 21:16:32 | 私の本
寒い日曜日、「きょうも一日~、本を読んですごした~。」(RCの古い歌の中のフレーズから)

読んだのは、中山康樹著『スイングジャーナル青春録 大阪編』(径書房)。
この本は、パソコンを持っていなくてメールで依頼してくる「オッサン」からの探求書。
検索したらすぐに見つかって、注文依頼して届いたので、いつものように発送前に先に読ませてもらった本。

全く知らない本だったけど、引き込まれて一気に読み終わった。
自伝をドキュメンタリー風に再現している、おもしろい書き方。

スイングジャーナル編集長だった中山康樹さんが、小学生時代にプロレスに夢中になった頃に始まり、その後自分が夢中になっていった音楽の変遷を、友人の名前を挙げながら会話を詳しく再現しているので、ドラマを読んでるような気分になった。
大阪弁の会話が、まるでそのままテープに録音してでもいたかのようにリアルに再現されていて、笑えて楽しかった。

中山さんは私より1才下のほぼ同年代の、テレビが初めて家に来たのを記憶している世代なので、読んでいるうちに一緒にタイムスリップしていた。
ジャズ喫茶で音楽に浸っている!という感じも懐かしかった。
上京して、スイングジャーナル入社で終わっている。

入社後から退職まで14年間の『東京編』は、オッサンが持ってるというので、借りて続きを読もうっと。

『ぼくらはみんなハゲている』

2005-12-04 17:44:07 | 私の本
今日はどんよりと曇った寒い日曜日、一日コンタクトレンズを入れないで、家の中で本を読んで過ごした。
読んだのは、新聞の書評でおもしろいとあったので、ネット注文した藤田慎一著『ぼくらはみんなハゲている』。
自らもハゲていることで担当に指名され、同名のドキュメンタリー番組を手がけたことから、若いTVディレクターの藤田慎一氏(31才)が、いろいろなハゲた人たちと出会って話を聞きながら、考えていったことが、とても素直に書かれている本だった。
藤田慎一さんは、ものごとの受け止め方がとても柔らかくて素敵だと思う。


<本文から抜粋>
 ハゲを苦しめているもの。それは男たちの互いを値踏みし合う視線なのかもしれない。
 僕たちは、「男らしさ競争」の中で互いを値踏みし合っている。そして、誰かに敗者を押しつけることによって、自らの勝利をようやく確認し、男としての自信、存在証明をかろうじて維持している。そしてまた、他の誰かに値踏みされ見下ろされることを極端に恐れている。ハゲはそんな「男らしさ」の犠牲者にちがいない。僕らは、いつになったらそんな競争から抜け出すことができるのだろうか?

 誰もが愛されたい、受け入れられたいと思っている。しかし、僕たちの社会は、いつもその欲求を満たすための条件をつけてくる。条件つきでしか僕らは受け入れてもらえない。学校では成績で選抜され、会社では従順な部下であることが求められ、友達や恋人からはイケていることが求められる。最も無条件に受け入れてくれるはずの親でさえ、「良い子」であることを要求してくる。僕らには絶えず様々な条件が突きつけられている。もしも根底で揺るぎなく、自分は世界から受け入れられているという実感があるのならば、そんな条件つきの自己肯定など必要ないにちがいない。しかし、僕らがそれほど世界から受け入れられているという実感を得ることはたやすくはない。

 人を丸ごと受け入れてくれるような社会のあり方、それは単なる夢想なのだろうか?

 切実なる生き難さをどうしようもなく背負って、それでもなお、生き続けようとする人たちよ。もう自分を許してあげましょうよ。そんなに完全でなくてもいいじゃないですか。素直に自分を丸ごと「笑って許して」生きていこうじゃないですか。


「母親」をやめられるか?

2005-11-10 11:39:16 | 私の本
斉藤学(さとる)さんの『「家族」という名の孤独』という本を読んだ。

この本を読んで、私に課題ができた。
息子と娘がいるが成人なので、一応子育ては終了と思っているけど、ほんとうに「母親」をやめているのか?って。
斉藤さんが言うには、いつまでも「母」でいるのは、子どもに迷惑なんだって!
自分に置き換えて考えてみるとわかる、親に向かって言えないけど・・。
でも、親である自分が迷惑な存在なんだと認めるのは、ちと辛い・・。
「母」でいるのって、いい気分なんだよね~。
しかし、何事も引き際が大事だし・・。

ま、きっぱりとはいかないけど、もう「母」は止めていこうと思ったよ。


第4章 「健全な家族」という罠 から抜粋。

 要するに、現代人は15歳になると次の世代をつくる能力を持つ。
 確かに社会的能力の点では一人前とは言えないが、15歳の子はすでにアダルトである。こんな「子どもと呼ばれる大人」を抱え込んで家族をやってるのが、現代の核家族である。
 15歳以前であれば、子どもの成長の役に立った「愛のミルク」「愛の世話焼き」も、15歳を越えた子どもに与えれば下痢を起こす。できれば一切やらないほうがいいのだが、そうもいかないのが現在の社会である。15歳にとってのミルク、つまり教育費や小遣いは15歳以後の何年間の間、以前よりずっと多くなってしまう。
 子どもへの世話焼きも、急にはストップできないので、もう大人になっている子どもに向かって、
「そろそろ起きなさい。学校遅れるわよ」
 などとやってしまう。
 仕方がないから、極力少ない量のミルクに止めることにして、それを飲ませる際には「悪いことをしている」と、後ろめたい気分になるくらいでちょうどいいのである。
「ごめんなさいね。小遣いをあげてしまって。悪い親ね」
 と言いながら、金を渡す。親の世話焼きをいやがらずに受け入れるような「できの悪い子」には、「いつまでも子どものフリをしてくれてありがとう」と感謝するのがいい。
 一つ提案したいのは、子どもが15歳を越えた翌日の「お別れパーティー」である。
「今まで私たちの子どもでいてくれてありがとう。でも、これで親子関係はおしまいね」
 と言ってやると、子どもは仰天するだろうが、自分の現実を受け入れるのに役立つだろう。
 その日以来、このアダルト子どもを、一人前の大人の同居人として扱うのである。このことをきちんとやれば、そのうちこの同居人は、部屋代と食費くらいは持ってくるようになるかもしれない。
 今のほとんどの親たちには、これはできないだろう。親たちは親の役割を手放せない。それを手放したら、自分の性にもう一度直面しなければならなくなってしまうから。一番下の子の「お別れパーティー」がすむと、母や父の肩書きがなくなって、女と男に戻る。戻ったところで、「さあどうする、このままパートナーを続けるの」という相談を夫婦でしなければならない。
 これから女ないし男をやって、配偶者を見つけ直すというのも結構しんどい仕事である。面倒だから、家という制度に寄りかかって、そのまま母と父を続けようということになる。
 そうしたければするのは勝手だが、だからといって大人になっている子どもを世話焼きの対象にしては、子どもが迷惑する。

長谷川集平『音楽未満』

2005-10-24 22:43:23 | 私の本
長谷川集平の本は、いつも探すように心がけてるけど、絶版や品切れが多くて、なかなか見つからない。
この『音楽未満』も滅多に手に入らないし、私もこの本は手放したくない。


「ビバッパルーラ」ジョン・レノン[ロックンロール]から抜粋。

ジョンがヨーコと愛しあえなくなって別居していた時に、大酒飲んで録音してしまったのがこの『ロックンロール』というアルバム。昔なつかしいアイドルのナンバーばっかり歌いまくっている。ジョン自身は後日、あれはオレがバランスをくずしてうっかり歌っちゃったんで聞き返したくもないと言っている。でもぼくは、ジョン・レノンのレコードの中でこれが一番好きだ。ぼくは自作を歌わないジョンの方が好きなんだ。支離滅裂のロック・シンガー、ジョン・レノンが好きなんだ。
「ラブ・イズ・フィーリング」
という気休めよりも、
「ビーバッパルーラ、シズマイベイビー」
ってやってくれる方が元気がでるんだ。陽気にさせてよ、ビートル・ジョン。
「神なんて、ぼくたちが苦悩の度合いをはかる観念なのだ・・・」
とかなんとか、がっかりさせてほしくないんだよ。エルビス、チャック・ベリー、カール・パーキンス、サム・クック、ベン・E・キング、バディ・ホリー、みんなみんな墓場に呼んで、いっちょ『火の玉ロック』でもやってよ!ジョン!
どうも、愛について、ぼくはあなたと違う考え方をしなきゃいけないようなんですよ、レノンさん。