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爛漫日記

インターネット古書店 独楽知の、春爛漫ではなくて、秋爛漫?の日記です。

浜田晋『老いるについて』

2011-03-22 21:46:33 | 私の本
去年の暮れに浜田晋先生は亡くなられていた。

東京の上野で精神科診療所を開業して、下町の精神科医を33年勤められた後引退しておられた。

「はじめに」によると、この書は真宗大谷派の首都圏広報誌「サンガ」に、1992年から連載されているものからまとめたものである。

「はじめに」から抜粋。

< そして、今、私83歳。私自身も老いた。
 その間、わが国は世界に例をみない高齢化社会をむかえた。日本という国家自体も老いた。
 したがって「老い」の問題は、医療界のみならず、すべての日本人の最大課題となった。
 ところが肝腎の老人精神医学は混迷の中にある。急激な時代の変化に、医療も看護も介護も「社会」もついていけていない。そこは百鬼夜行の世界といってよい。
 私は危機感をもっている。その想いが本書の底を流れていよう。>


「ぼけ」と「痴呆」の間から抜粋。

<人は生まれ、育ち、働き、老い、そして時にぼけ、そして死ぬ。それはしごくあたりまえのことなのである。>

常に「人間とはなにか」ということを考え続けておられた方だと思う。


大竹昭子『須賀敦子のヴェネツィア』

2010-06-10 00:08:49 | 私の本
須賀敦子が書いたヴェネツィアをたどりながら、大竹昭子が感じたヴェネツィアを、たくさんの写真と共に眺められる本。

私たちがデジカメで撮した写真にも、本の中の写真と同じ場面がいくつかある。
ヴェネツィアは、どこも絵になる景色ばかりの、不思議な水の都。

須賀敦子に「都市のふりをした島」と呼ばれたヴェネツィア。

この街の迷路のような小路を歩き回るおもしろさを、私も筆者とほぼ同じ所で体験したので興味深かった。

<「橋づくし、小路めぐり」から抜粋>
 ところがある日、島の北の河岸からジュデッカ運河まで、ほぼ南北に縦断する道のりを歩いたとき、私も思いがけずそれができたのだった。いくつもの角を曲がってひたすら南に歩いてきて、目の前にカナル・グランデよりもっと大きい運河が見えてきたとき、とても感動した。それまで確信のないまま迷路のような道を進んできたから、いきなり対面した運河の広がりが幻のようだった。自分にも歩けたというのが、数学の難問が解けたような奇跡に感じられた。

須賀敦子『ミラノ 霧の風景』

2010-04-06 20:14:23 | 私の本
須賀敦子が13年間過ごしたイタリアについて書いたのは、日本に帰ってきて20年経ってからである。
組み立てられた文章の中から映像が浮かび上がってくるような、いくつかの美しいエッセイを残して、あっという間に亡くなってしまった須賀敦子の、最初のエッセイ。

須賀敦子の文章が好きで何度も読んだことがある本だけど、今度初めてフィレンツェとヴェネツィアに出かけてから読んだら、地名や雰囲気が以前よりずっと鮮明に頭に浮かんだので、あらためて感動した。


ー「舞台のうえのヴェネツィア」からー

須賀敦子は、「世にも不思議としか言いようのない虚構の賑わいと、それとはうらはらな没落の憂鬱にみちたこの島」と表現しているヴェネツィアを、こんな風にとらえてみせた。

「ヴェネツィアという島全体が、たえず興業中のひとつの大きな演劇空間に他ならないのだ。」

「サン・マルコ寺院のきらびやかなモザイク、夕陽にかがやく潟の漣、橋のたもとで囀るように喋る女たち、リアルト橋のうえで澱んだ水を眺める若い男女たち、これらはみな世界劇場の舞台装置なのではないか。ヴェネツィアを訪れる観光客は、サンタ・ルチア駅に着いたとたんに、この芝居に組み込まれてしまう。自分たちは見物しているつもりでも、実は彼らはヴェネツィアに見られているのかもしれない。」と。



ヴェネツィアは、また行きたい。
サンタ・ルチア駅に着いて、ヴェネツィアの芝居に組み込まれたい。

ヨシフ・ブロツキー『ヴェネツィア』

2010-03-30 22:18:46 | 私の本
ヴェネチアから帰ってきて、無性に読みたくなって、ネット検索して買った本。



この本を書いたのは、1940年生まれのロシア出身の詩人ヨシフ・ブロツキー。
1963年にロシアで「有益な仕事につこうとしない徒食者」として逮捕、強制労働の判決を受け、1972年に国外追放でアメリカに亡命。
その後は創作の傍ら、アメリカの大学で詩を教えて暮らしていた。

ブロツキーは1972年から17年の間、ほとんど毎年、大学の冬休みを利用して、ヴェネツィアに出かけて滞在して過ごしたそうだ。
17年間の冬の2週間から1か月の滞在の中から、ブロツキーはヴェネツィアの印象と出来事を、51の短い章に分けて、とても不思議で魅力的な方法で書いている。

ブロツキーがまるでカメラが眺めているように描写するので、船着き場や教会やホテルや島や喫茶店が、行ったばかりの私の目にも浮かんでくる。

「無数の運河と曲がりくねった街路の錯綜する迷宮都市ヴェネツィア」の魅力を、充分に伝えている素敵な本だった。





私たちの滞在3日目にも、有名な「およそ形を持つもののすべてを突然消し去る」霧が見られた。

須賀敦子が書いている「なつかしい霧」とは、きっとこんな感じなんだと思った。


高村薫『太陽を曳く馬 上・下』

2009-11-14 16:23:46 | 私の本


マーク・ロスコが表紙カバーになってる上下2冊本。

『晴子情歌』『新リア王』と続いた福澤一族の最後の物語らしいのだけど、私はこの前作二つともを読んでいない。
実は、『晴子情歌』は読み始めた最初の方で止めたままになってる…。

この本は、合田雄一郎が出てくるというので、読む気になった。
『レディ・ジョーカー』で28歳だった合田雄一郎が、42歳で部下を持つ思索する刑事になっていた。

福澤彰之が息子秋道に書き送った長い長い手紙。
合田雄一郎に語る僧侶たちの果てしない宗教問答。
雄一郎と一緒に思索の迷路に深く入り込んでしまう…。

それに雄一郎の元妻貴代子の読んでいたラカン?

でも、佐倉の川村記念美術館へバーネット・ニューマンの「アンナの光」を見に行きたいと思う。

長沢節『弱いから、好き。』

2009-07-21 20:40:31 | 私の本
お亡くなりになられて、もう10年になる長沢節さんの本を見つけて読んだ。
風変わりなファッションで、独特の「男性美」を主張していらっしゃる長沢節さんに、私はなぜかとても心惹かれる。

「強くて頼もしい男性美」ではなく、「孤独で弱い男性」こそ美しいという……。


以下本文から抜粋。

 <出来るだけ自分を細く軽くして、他人に少しでも重さを感じさせないようにという男の優しさは、今でもまだ殆どの女性には理解してもらえないみたいだ。だから私は「細いスネ……」の本の中で、少し過激にだったけれど、新しい男性美として、「弱い男性美」を主張したのだった。
 男が強く頼もしいのではなく、孤独で弱い男性の美しさ……それは全く兵隊の役には立ちそうにはない男性美。全く亭主の役にも立ちそうにもない男性美として、それこそが現代の新しい男性美ではなかろうかといってみたのである。そこにはこれからの女性が男と全く同じように身軽く自由に、弱さを助け合って、楽しく生きるための人間一般のあり方を示したつもりだった。
 私はだから当面の敵を男社会の「強さ」におき、「弱さ」こそが愛の対象となった。
「あの人、弱いからキレイ」
「あの人、弱いから好き」そして最後に
「あの人、弱いからセクシー」というのが私の三段論法であるが、女性は必ずしも直ぐには賛同してはくれそうもない。
 弱さが美しいのは、まるで男性だけの特権とでもいってるみたいだが、それは女性に於いても弱さはやはり素晴らしいわけで、私にとって「弱いものはすべてセクシーである」というのはホンネなのだ。>


「弱いものはすべてセクシーである」(長沢節)

『死の海を泳いで スーザン・ソンタグ最期の日々』

2009-06-07 11:35:36 | 私の本
死に向かう母を見つめた息子の手記。
本を読みながら、病床のスーザン・ソンタグが目に浮かぶような気がした。


ソンタグの著者の翻訳者である富山太佳夫氏がこの本に寄せた「解説」から抜粋。

<そのディヴィッド・リーフが、母であり、希有の評論家であり、小説家であったスーザン・ソンタグの癌闘病記をまとめ、そこに私も短いエッセイを書くことになるー何という偶然だろうか。彼女の『隠喩としての病い』の背景にあったのは、何よりもひとりの患者として病いと闘ったひとりの人間の苦しみであった。その息子の手になるこの本は、その母を見守り、看病する側から書かれている。それは、ある意味では、病いと闘う側には見えにくい、手の届かない場からの証言となる。この本は単なる回想録ではない。母スーザン・ソンタグの仕事を補完し、それを完結させる試みと言うべきであろう。>



米原万里『心臓に毛が生えている理由』

2008-08-14 21:13:24 | 私の本
 本の帯に書いてあるように、「読者を笑わせ、裏切り、挑発し続けた米原万里のラスト・エッセイ集」です。

 どのエッセイも素敵だけど、「花より団子か、団子より花か」が強く印象に残った。米原万里が訪ねて聞いた、スターリン時代にラーゲリ(強制収容所)に5年間収容されていた元女囚のガリーナさんが話したことが忘れられない。

 老齢のガリーナさんは、ラーゲリでの生活をこう語っている。

<ラーゲリ生活で最も辛かったのは、1日12時間の過酷な重労働でも、冬季の耐え難い寒さでも、蚤シラミの大群に悩まされ続けた不潔不衛生でも、来る日も来る日もひからびた黒パン1枚と水っぽいスープという貧弱な食事のために四六時中ひもじかったことでもない、というのだ。>
<力の湧き出る根元を絶ち、辛くも残った気力を無惨にそぎ落として行ったのは、ラジオ、新聞はおろか肉親との文通にいたるまで外部からの情報を完全に遮断されていたこと、そして何よりも本と筆記用具の所持を禁じられていたことだった。
「それが一番辛かった」とガリーナさんは言う。「家畜みたいだった」と。彼女は逮捕された当時、鉄道大学の学生、技師の卵だった。人文系の人ではない。
そういう状態に置かれ続けた女たちが、ある晩、卓抜なる解決法を見いだす。日中の労働で疲労困憊した肉体を固い寝台に横たえる真っ暗なバラックの中で、俳優だった女囚が『オセロ』の舞台を独りで全役をこなしながら再現するのである。一人として寝入る女はいなかった。
それからは毎晩、それぞれが記憶の中にあった本を声に出してああだこうだと補い合いながら楽しむようになる。かつて読んだ小説やエッセイや詩を次々に「読破」していく。そのようにしてトルストイの『戦争と平和』やメルヴィルの『白鯨』のような大長編までをもほとんど文字通りに再現し得たと言う。
(中略)
夜毎の朗読会は、ただでさえ少ない睡眠時間を大幅に浸食したはずなのに、不思議なことが起こった。女たちの肌の艶や目の輝きが戻ってくる。娑婆にいた頃心に刻んだ本が彼女らに生命力を吹き込んだのだ。>


この話は、確かに米原万里の傑作小説『オリガ・モリソヴナの反語法』の一場面に投影されていて、その場面もこの小説の中で印象深い。



佐野洋子『役にたたない日々』

2008-07-22 22:26:56 | 私の本
佐野洋子さんの最新エッセイ集。

佐野洋子の文は、短く歯切れがいい。
書いてある内容は、私的な日記をそのまま載せた感じで、引き込まれて読んでしまう。

誰でも日記の中では思いついた事を自由に書く。
だから、なんだか日記を盗み読みしてるみたいな気分で、どきどきする。

「小説トリッパー」に掲載された、2003年秋から2008年冬までの佐野洋子さんの本音。
2008年冬の佐野洋子さんは、ガンが再発してあと1年くらいで死ぬそうです。


<2008年冬から抜粋>
 私は今、何の義務もない。子供は育ち上がり、母も二年前に死んだ。どうしてもやりたい仕事があって死にきれないと思う程、私は仕事が好きではない。二年と云われたら十数年私を苦しめたウツ病がほとんど消えた。人間は神秘だ。
 人生が急に充実して来た。毎日がとても楽しくて仕方がない。死ぬとわかるのは、自由の獲得と同じだと思う。




城繁幸『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』

2008-04-24 23:48:19 | 私の本
今年35歳で”若者”を卒業する城繁幸氏のこの本、とても共感して読みました。

年功序列制度や長時間労働などの昭和的価値観に見切りをつけたいろいろな若者たちが紹介されていますが、その多様な生き方はそれぞれに頼もしくて素敵でした。

真剣に日本の将来を心配している城繁幸氏の「あとがき」から一部抜粋します。



 一向に上向かない出生率や、高止まりし続ける自殺件数、そしてエリートの日本企業離れといった問題は、僕にはいずれも同じ根っこを持つ問題に映る。それらに正面から切り込むことなしに、体の良い先送りを続けるだけでは、日本がこの先も発展し続けることは困難だろう。
 上記の目指すべき社会を、個人の生き方で説明するなら、それは多様化ということにつきる。大きく分けるなら、人生のすべてを自己啓発と仕事に捧げても、物質的に成功したいと願う人がいる。かたや、夕方までぼちぼち働き、そこそこの暮らしを望む人もいる。それぞれがそれぞれの生き方を可能にする社会こそ、目指すべき方向だ。
 従来の日本社会は、どっちのタイプもひっくるめて、過激な滅私奉公を強いてきた点に問題がある。いや、それでそこそこの暮らしが出来たのならまだ良いが、そこまでやらせといて生涯ヒラ、定期昇給無しなんて、もうブラックジョークとしか思えない。社会全体としてのワークバランスを受け入れる価値観が必要だろう。<「あとがき」から>