小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

マスコミはなぜ懲りないのか

2019年10月19日 00時24分15秒 | 思想


台風19号が残した水害の惨禍が広がっています。
10月17日午後11時現在、死者77名、堤防決壊箇所は、全国68河川で128か所に及んでいます。
まさにそのさなか、日本経済新聞の久保田啓介という編集委員が書いた10月14日付の記事があまりにひどいので、一部で批判の的になっています。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO50958710T11C19A0MM8000/

とにかくまず、久保田某の論説の一部をここに書き出してみましょう(太字は引用者)。

2011年の東日本大震災は津波で多数の死傷者を出し、防潮堤などハードに頼る対策の限界を見せつけた。
堤防の増強が議論になるだろうが、公共工事の安易な積み増しは慎むべきだ。台風の強大化や豪雨の頻発は地球温暖化との関連が疑われ、堤防をかさ上げしても水害を防げる保証はない人口減少が続くなか、費用対効果の面でも疑問が多い
西日本豪雨を受け、中央防災会議の有識者会議がまとめた報告は、行政主導の対策はハード・ソフト両面で限界があるとし、「自らの命は自ら守る意識を持つべきだ」と発想の転換を促した


遅まきながら筆者も、この久保田某をやっつけておきましょう。
これは何が言いたいかというと、要するに、防災のために公共事業費を費やしても無駄だから、それに頼るのは諦めて、自分で命を守る工夫をしろと言っているわけです。
ハードに頼る対策の限界」「公共工事の安易な積み増しは慎むべきだ」というところに端的にそれが出ていますね。
この提言が、財務省の緊縮財政路線べったりであることは、火を見るよりも明らかです。
国民の命よりも「健全財政」のほうが大事だ、国はあんたの命など守ってあげるために国土を強靭化するお金の余裕はないよと、平然と言ってのけているのですね。
「安易な」と形容詞をつけることでソフトに見せかけたつもりでしょうが、長年にわたって公共事業削減を続けてきた歴代政権の失政を認めずに、ひたすらヨイショしていることは見え見えです(公共事業費は。現在97年ピーク時の5分の2。安倍政権になってからも全然増えていません)。

堤防をかさ上げしても水害を防げる保証はない」とは何たる恐ろしいレトリックか。
少しでもかさ上げできれば、それだけ人命を救う可能性が増すにきまってるでしょう。
幼稚園児でもわかりますよね。
この一文を、今回の堤防決壊の実態に当てはめてみてください。
お前が決壊した水に浸かって一番先に死ねよ、と言いたくなりませんか。
ちなみにこのたび、堤防決壊とは別に、ダムの放流が何か所かで予告されましたが、竹村公太郎氏が常々説いている通り、ダムのかさ上げ工事をしておけば、わずかな高さでこれまでよりも圧倒的に多くの水量をキープできたのです。
しかも単純なコンクリート工事ですから、コストはそんなにかかりません。
これをやっておけば、今回のように、下流の住民を危険と不安にさらす必要はなかったのです。

人口減少が続くなか、」――最近、何かというと社会問題(たとえば少子高齢化問題)を論ずる論客が「人口減少」を合言葉みたいに持ち出して、危機を煽ったり言い訳に使ったりします。
人口減少そのものは、推計を信じるとしても、たいへんゆるいカーブであり、差し迫った危機ではありません。少子高齢化問題の要は、人口減少カーブと生産年齢人口減少カーブとのギャップにこそあります。
それよりなにより、国土強靭化の費用をケチるために、なんで人口減少を持ち出すのか。
何の関係もないではありませんか。
自然的な人口減少よりも、この災害大国で、久保田某のような公共事業悪玉論の横行のために失われる命のほうが多いかもしれないのですよ。
費用対効果の面でも疑問が多い」とエラそうにのたまっていますが、彼は、これだけの費用をこういう事業にかけたらこれだけの効果があるという試算でもしてみたのか。
自分でできないなら、専門家の考えを聞くのでもいい。
おそらくこの種のことなど、一度もしたことがないのでしょう。
無責任極まる発言というべきです。

行政主導の対策はハード・ソフト両面で限界があるとし、『自らの命は自ら守る意識を持つべきだ』と発想の転換を促した」――これはウソです。
「令和ピボットニュース」がこのウソを見事に暴いています。
この(中央防災会議の)報告は、西日本豪雨の際に、行政からの情報提供にもかかわらず危機意識が不足していて逃げ遅れた人が多く存在したことを受けて、「住民が『自らの命は自らが守る』意識を持って自らの判断で避難行動をとり、行政はそれを全力で支援する」ことが必要だと訴えるもので、堤防への投資が不要などという話とは全く関係ないのです。
https://reiwapivot.jp/libraries/pivotnews_20191016/

さて、こうしたマスコミの盗人猛々しい論調は、うち続く災害の中にあっても、なぜ変わらないのでしょうか。
こうしたひどさに対しては、「相手にもできない」「頭がおかしい」「バカ丸出し」「狂気の沙汰」など、いろいろな罵倒の言葉を投げかけることができるでしょう。
しかし一方、ただ罵倒で終わらせずに、次のように考える必要もあります。
日経や朝日など大方の大マスコミの劣悪さは、「今に始まったことじゃないさ」と突き放すことができるでしょう。
もともと新聞という媒体は、その発祥からして「社会の公器」ではなく、好奇心を掻き立てる見聞(噂話)を広く知らせて儲けるビジネスでした。
江戸時代の瓦版など、さぞかしガセネタが多かったことでしょう。
19世紀アメリカではイエロージャーナリズムが一気に部数を伸ばしましたし、日本の明治時代にも、このたぐいが大流行りでした。
また、特に公正性などを持ち合わせているわけでもなく、社是としての私的な主張をもっともらしく「公論」として見せかける術にたけているだけです。
そしていつのころからか、彼らが勝手に「公器」を自称するようになったのです。
ですから、国民は、新聞の言っていることなど、まともに信じてはなりません
以前、藤井聡氏がFBにアップしていましたが、主要先進国の国民が、新聞・雑誌をどれくらい信頼しているかを比較したデータがありました(2005年。単位%)。
https://honkawa2.sakura.ne.jp/3963.html
それによりますと、イギリス13.4(!)、アメリカ23.1、イタリア24.7、ドイツ28.7、フランス38.5、
そして日本72.5(!)。

もちろん、いまの大新聞は、さすがに事実報道という面では、頼りになる面があります。
始末に悪いのは、社説とか、その社が発する論説といったたぐいの文章です。
これは久保田某や、朝日新聞の原真人など、編集委員、論説委員と呼ばれる「エラくなった人」が書きます。
彼らは細かい現場事情に触れる必要がなく、具体性の乏しい抽象的な文章を書くことが許されています。
言葉が抽象的であること自体は、必ずしも悪いことばかりとは言えませんが、庶民感覚、現場感覚をきちんと包み込むことが困難になることはたしかでしょう。
そういう危うさを抱えたところに、頑迷な「社是」や「理念」が取りつくと、現実から遊離した文章が出現するわけです。
社是や理念があらかじめ決まっているので、何か書くのに、いちいちエビデンスを取る必要もありません。
だから、乱暴に言えば、新聞社では、エラくなればなるほど、アホな文章が出やすくなります。
彼らは高給を取って、高い社内的地位に甘んじて、それに見合わない見当違いの文章を平気で書くことができます。
高級な考えを書いているという自己満足感と共に。
これは言ってみれば、「権威主義」という組織構造的な問題でもあります。
社内に開かれた議論の空間が確保されていて、それをボトムアップできるシステムがあればいいのですが、いまの新聞社にそれを期待することは無理でしょうね。
政界、学界の構造とも似ているでしょう。

私たちは、こうした事実をよくよく踏まえ、批判精神を大切にして、お人好し的国民性から脱しなくてはなりません。
イギリス13.4%というのがちょっと羨ましいですね。


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1 コメント

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Unknown (部長次長)
2019-10-20 09:24:35
通りすがりで拝見させて頂きました。
先生のおっしゃる通りです。
久保田何某は、要するに「国民の命を費用対効果が悪いので見捨てろ」と言っているわけで、鬼畜以外の何者でもありません。
久保田何某には高齢者の医療費についても彼自身の費用対効果論を持って論じて頂きたいものです。
このような人命をも目先の”コスパ”で切り捨てる鬼畜がメディアにはびこっていること自体がご指摘のように問題だと思います。
一方で、国民のリテラシーにも問題があると思います。
二子玉川駅周辺の氾濫は、周辺住民が景観重視で堤防工事ができなかったとの報道がありました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191013-00000228-sph-soci
過去にも浸水被害があったから堤防をつくろうとする動きがあったにもかかわず進められなかったようです。
これを見ると、少なからず国民側にも問題があるように思います。
同じような例として、東日本大震災でも三陸大津波の教訓として「ここより下に家を建てるな」と石碑に刻まれていたにもかかわず無視した結果、大槌町だけで1000名以上が亡くなっています。
同じように考えれば、国防についても同様で、中国が第二次大戦後に隣国を度々侵略してきた事実があるにも関わらず「沖縄には攻めてこない」といった言説や「北朝鮮は核を打たない」といったものを信じて疑わない人々が多いのも納得せざるを得ません。
結局のところ、どれだけ教訓があったとしても「同じ過ちを繰り返す」のは人類の限界なのかもしれません。。
…とは言え、それでもなお、知識人は警鐘を鳴らし続けるべきであり、間違ってもメディアがその警鐘を否定するべきではないと思います。(別の知識人が異論を唱えるのはあって然るべきですが)
久保田何某の言説の違和感は、そこにあると思った次第です。

駄文失礼いたしました。今後のご活躍を陰ながらお祈りいたします。
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