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しあわせ運べるように
作詞・作曲 神戸市立明親小学校教諭 臼井真
歌 Cooley High Harmonyと明親小学校の皆さん
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地震にも負けない、強い心をもって
亡くなった方々のぶんも、毎日を大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を、元の姿にもどそう
支え合う心と明日への、希望を胸に
響き渡れぼくたちの歌、生まれ変わる神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌、しあわせ運べるように
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地震にも負けない、強い絆をつくり
亡くなった方々のぶんも、毎日を大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を、元の姿にもどそう
やさしい春の光のような、未来を夢み
響き渡れぼくたちの歌、生まれ変わる神戸の町に
届けたいわたしたちの歌、しあわせ運べるように
響き渡れぼくたちの歌、生まれ変わる神戸の町に
届けたいわたしたちの歌、しあわせ運べるように
届けたいわたしたちの歌、しあわせ運べるように
(*3番は震災10年目の'05年に夢野中学の皆さんが作詞されました)
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地震から10年、苦しい事ものりこえ
当り前のようにすぎていく、毎日を大切に生きて行こう
これからの神戸を、僕たちが支えてゆこう
次は僕らが支えて行く、神戸の街を
響き渡れぼくたちの歌、生まれ変わる神戸の町に
届けたいわたしたちの歌、しあわせ運べるように
届けたいわたしたちの歌、しあわせ運べるように
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歌に託して・臼井真さんからのメッセージ
私が、この歌を作ったのは震災から約2週間後でした。
生まれ育った、神戸市東灘区の自宅は全壊、勤務先である小学校も2千人以上の方々の避難所という状況の中で、親類宅で創作しました。
私は、自分が生まれ育った神戸の街が瓦礫と化し、変わり果てた状態になった時に、初めて自分は神戸という街をとても深く愛していたのだということを知りました。
あんなに悲しいことがなければ、永遠に気づかなかったことかもしれません。
この歌を作ったときほど胸が痛く、切ない気持ちになったことはありません。
その時に、私は神戸の街を人間のようにとらえて思いを綴っていました。
神戸の街は傷ついただけなんだ、死んではいない。
神戸に住んでいる子供達の清らかな歌声が、苦しんでいる神戸の街に響きわたれば、いつの日にか必ず傷も癒され元の姿に戻ってくれる…そんな願いを歌詞と曲に託しています。
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1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒に発生したM7.3の阪神淡路大震災
6400人以上の方が亡くなられ、今も苦しまれている方が大勢いる
このことを風化させないためにも「しあわせ運べるように」が歌い次がれて行くことを・・・