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Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

浦和が生んだレフティー(阿部敏之)

2009-09-22 19:46:37 | 浦和レッズ
今回のネタは、旧浦和市の田島中学出身の阿部敏之元選手についてです。今いる阿部勇樹選手とごっちゃにならないように、「阿部敏之」と書きます。阿部敏之は、田島中学時代に全国ベスト4の経験があり、中学時代から有名な選手でした。高校は帝京高校に進学し、そこから筑波大に入学します。

ただ、当時の筑波大では阿部敏之のプレーはあまり評価されていなかったらしく、阿部敏之は大学を中退して鹿島に入団する決意をします。当時の鹿島には、中学時代のチームメイトだった室井もいましたが、それでもレオナルド、ジョルジーニョのいた鹿島への入団は、そう簡単にはポジションを取れないという意味でもありました。

事実、阿部敏之が出てくるまでは時間がかかりました。それでも器用なテクニックを持つ左利きのMFは珍しく、鹿島ではボランチとして起用されました。浦和出身の選手が活躍するのは、たとえ他チームでもそれなりには嬉しいですが、浦和と対戦するときは複雑でした。

そのため、阿部敏之と室井が、揃って鹿島からJ2に落ちた浦和に移籍するというニュースを聞いたときは飛び上がって喜びました。J2落ちで、どれだけ今の選手がいなくなるのかと、当時は恐れていましたから、さらに味方になって欲しかった選手まで加わってくれるのは嬉しかったです。

ただ、阿部敏之のプレーの記憶となると、主にJ2時代の駒場になってしまいます。J1昇格にはぎりぎりの位置だった残り3試合の湘南戦、阿部敏之がミドルシュートを突き刺して湘南に勝ったプレーが一番印象的です。こういう、技術を要するプレーは得意でしたが、スピードはそれほどなかったという記憶があります。

そのため、スピード型を重用したオフト監督時代、阿部敏之は外されてベガルタ仙台に移籍します。仙台でも阿部敏之の技術は必要とされ、浦和と対戦した埼玉スタジアムでクロスバーに当たる強烈なミドルを叩き込まれた記憶もあります。ただ、それが阿部敏之の最後の輝きだったらしく、その後移籍した新潟ではほとんど出番なく戦力外になります。

今、阿部敏之は浦和のコミュニティ放送のREDS WAVEのゲストコメンテイターとして時折サポの前に登場します。地元出身ということも大きかったようですが、放送の世界でこれからも活躍してくれることを願います。
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魁皇964勝(相撲)

2009-09-22 13:18:28 | 他スポーツ
昨日、大相撲の大関魁皇が、通算勝ち星の数で歴代二位だった元小結大潮の964勝に並びました。これで上は千代の富士(1045勝)だけですが、既に37歳の魁皇が、これから80勝近い勝ち星を上積みすることは難しいかもしれません。ただ、通算成績では黒星が多かった大潮より、6割近い勝率を維持しての勝ち星記録ですから、価値はあると思います。

魁皇といえば、1990年代の大相撲の大型化時代を唯一現役として経験している現役力士です。ビール瓶が入ったまま2ケース片手で持てるとか、りんごを握り潰せるとかの怪力伝説を持っている魁皇ですが、その怪力は下位時代には上位キラーとして当時の横綱大関陣に恐れられました。

特に圧巻だったのは、当時四つ相撲になったら絶対に負けない安定感を誇っていた横綱貴乃花に、唯一四つ相撲で勝てる力士だったことです。魁皇が勝つときは右上手をがっちり引いて、あまり勝負を長引かせずすぐに投げるパターンが多かったですが、当時貴乃花に勝てる力士は突き押し型ばかりだったので、それには価値があります。

また、大関に昇進してからも、通算優勝回数が5回と、平凡な横綱より多い優勝回数を誇っていることも光っています。たまたま連続優勝がなかったので、今でも番付は大関ですが、強い大関としてもインパクトは十分だと思います。ただ、最近の魁皇は優勝からは5年遠ざかり、8勝7敗で場所を終えることが多くなりました。

また、色あせてきた古いまわしを、今でも締め続けて、まわしを新調しないところを見ると、いつやめても仕方ないと覚悟だけはしているように思えます。そう言いながらも、ついに37歳まで取り続けました。唯一、横綱羽黒山が持つ最年長優勝記録を更新できる可能性があるのが魁皇ですが、魁皇は既に満身創痍らしく、親方によれば全盛期の8割くらいの力しか出ないそうです。

大関を陥落したら、即引退を口にしている魁皇ですが、できるだけ長く取りたいという意欲はまだまだ持っているようなので、本人が納得いくまで取れたらいいなと思います。
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モンテディオ山形の草創期

2009-09-21 21:26:20 | 他チーム
今日は浦和ネタが思い浮かばないので、今期J1に昇格したモンテディオ山形(以下山形)の草創期について話題にします。山形は、もともとはNEC山形の社員同好会から出発したチームですが、山形県で国体が開かれることになって強化体制が引かれました。

ただ、国体で強化したチームは、国体が終わってしまうとあっさり解散というようなケース(福島FCなど)があります。山形の場合、チームをモンテディオ山形と改め、チームを1999年に開かれるJ2に加入させるための準備を進めます。ただ、問題になったのは、Jリーグの加盟条件にあるチームの「運営会社」が必要という点でした。

山形の場合、民間企業にしてしまうと、当時できたばかりのJ2の観客動員は予想できず、赤字を抱えて解散という事態も想定していたと思います。そのため、山形の取った手は、山形県のスポーツ振興に貢献する「社団法人」としての運営会社の設立でした。社団法人は利益を追求しないものですし、地方自治体からの支援を受けることもできます。

その結果、山形は無事J2参入を果たし、最初の年は当時昇格間近だった大分をアウェイの地で粉砕する金星を挙げます。ただ、当時はJ2の中継はないのが当たり前だったので、初めて山形をチームとして見るのは浦和のJ2時代の2000年、ホーム駒場に山形が来たときでした。

そのときは、「J2はここまで極端に引くのか」というほどの守備的サッカーをしていました。1トップを残して全員で引いている山形を崩せず、永井がトラップミスした一瞬のミスからカウンターを食って先制点を許すと、最後は西野のクリアミスがGKの背中に当たってVゴール負けと、雨の中最悪のものを見てしまいました。

ただ、このサッカーではJ1昇格は厳しいはずと、当時10位だった山形を見て思いました。そんなイメージが変わったのは、翌2001年、柱谷幸一監督が率いた山形を大宮サッカー場で見てからでした。当時の堀井、根本の2トップが前から激しく相手を追い、運動量で大宮を圧倒するサッカーを見て、これならJ1昇格を狙えるチームになれるかも知れないと思いました。

ただ、2度あった昇格のチャンスを目前で逃し、本当に昇格するのは今年を待たないといけませんでした。しかし、J1に昇格したことで、中澤、闘莉王、楢崎などのビッグネームが本当にNDソフトスタジアムに行っています。それが実現するのも、J1に昇格するメリットで、今年の観客動員は常に1万近いです。
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次世代のエース(涌井秀章)

2009-09-20 20:51:44 | 他スポーツ
今の西武ライオンズのエースは、渡辺監督も認めるように涌井秀章投手であることは間違いないと思います。年齢はまだ23歳ですが、既に最多勝の経験もあり、決め球もスライダーという武器を確立しています。それを感じたのは、去年の日本シリーズでした。

その年、涌井の成績は10勝11敗と負け越していました。しかし、渡辺監督は迷わず第一戦の先発に涌井を指名しました。次の世代の西武を引っ張っていくのは涌井と決めた理由もあるでしょう。日本シリーズでは第一戦と第五戦に先発して1勝1敗と役目は果たしました。

ただ、涌井は、去年の日本シリーズの活躍で全国区に名乗りを挙げた岸とは違って、北京五輪、WBCと二度の日本代表の経験がある、既に全国区の投手です。代表では中継ぎが主と、先発完投型の涌井にとっては不完全燃焼だったかもしれませんが、これからの日本を支えていく投手の一人と思います。

涌井の高校時代は、横浜高校で現ロッテの成瀬投手と2枚看板と言われていました。成瀬が先発して、途中から涌井が出てくるパターンが多かったですが、当時の涌井の投球を見て、松坂の投球に似ているという感想を持ちました。このレベルの投手が途中から出てくる横浜高校の選手層に驚きました。

涌井は西武にはドラフト一巡目で入団しています。当時からボールの速かった涌井はすぐにでも一軍という期待もあり、一巡目で消えるのは必然の投手でした。そのあたりは、西武の歴代エース(東尾、渡辺久信、工藤、西口、松坂)すべてとバッテリーを組んだ経験のある伊東監督がうまく育てたと思います。

涌井の課題は、よく3ボールになり、無駄な球数が多いことです。先日のロッテ戦では7回で156球を投げてしまい、同点の状況ながら代えざるを得なくなりました。これが少ない球数で抑えられれば、常に先発完投を狙える投手になるはずで、そのあたりはまだ成長の余地はあると思います。

パリーグはダルビッシュ(日本ハム)、田中将大(楽天)ら若くしてリーグを代表するような投手が目白押しです。涌井もその中の一人ということは間違いありません。将来的には次のWBCでエース格になるくらいのインパクトを期待したいです。
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サイドアタッカー(梅崎司)

2009-09-20 09:57:53 | 浦和レッズ
得点もアシストもありませんでしたが、昨日の試合のヒーローは梅崎と思っています。梅崎は長崎県の出身ながら、越境して大分のユースに加入し、卒業後は大分でプレーしています。当時、大分は若い力を必要としており、3-5-2のトップ下で起用されました。

もっとも、梅崎にとって挫折になったのは、フランス2部グルノーブルへの移籍でした。当時の梅崎は代表キャップも一つしかなく、大分でポジションを取ってわずか1年でしたが、グルノーブルに日本のベンチャー企業が出資したため、どうしても日本人が欲しいという移籍でした。

つまり、監督がどうしても欲しかった選手というわけではなかったわけです。そのため、梅崎の出番はわずか5試合にとどまり、しかも独身寮がなく食事を自分でコントロールしなければならないところも、梅崎にとっては苦しみました。これなら、日本に戻る選択は正しかったです。

その後、大分から浦和への移籍を経験しますが、梅崎の良さは右サイドにも左サイドにも走りこめて、両足でクロスを上げられることです。つまり、トップ下に置くとどうしても自分のポジションを空けてしまうわけで、当時の浦和の3-5-2には比較的不向きでした。

エンゲルス監督が、この特徴に気づいて、数試合梅崎に自由を与えましたが、梅崎にとってはポンテの復帰戦になった2008年6月の柏戦で、途中出場しながら自らのミスでカウンターを食って敗戦したことで、ポジションを完全に失いました。古巣大分がナビスコ杯を制したのを見て、「うらやましい」とまで思ったそうです。

今年も梅崎にとってはいいシーズンではありませんでした。理由は椎間板ヘルニアの手術です。この腰痛で、シーズンの前半戦を棒に振った梅崎ですが、今年の浦和はシステムが4-4-2になっていました。つまり、梅崎が得意なサイドハーフが置かれるシステムです。

しかも、フィンケサッカーはサイドハーフには左右どちらからでも突破していいことになっています。これは、左右両足でクロスを上げられる梅崎の良さが出るはずだと思いましたが、昨日の試合はキレキレで、一歩目が川崎のDFより常に速く、最悪でもCKは取ってくれるという内容でした。

このプレーを見せてくれれば、ポジション獲得も十分可能でしょうし、背番号7にふさわしい中心選手にもなれるかもしれません。経歴の割にはまだ若い選手ですから、これからの飛躍に期待したいと思います。
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救世主は梅崎(9/19川崎F対浦和)

2009-09-19 23:34:38 | 浦和レッズ
浦和はエジミウソン、高原の2トップを解体してからはエジミウソンの1トップで戦っています。ポンテがサイドハーフではきつく、両サイドにフォローできる選手が必要という論理でしょう。今回、右のサイドハーフに梅崎が入りましたが、この采配は正解でした。

梅崎は腰痛からの復帰で、夏場の連戦を戦っていないことがプラスに働きました。スタンドから見る限りでは、一人だけ体の切れが違うのは明らかです。ポンテも梅崎に預ければ、少なくともCKは取ってくれそうと判断して、信頼してパスを出してくれました。

ただ、やはり前節の戦い方は相手チームに研究されていて、エジミウソンのポストプレーは全力で潰すと、薗田や伊藤宏樹がかなり厳しくきました。また、浦和の場合、エジミウソンがポストプレーをしてしまうと、真ん中で合わせる選手がいなくなってしまうという課題も感じました。

ただ、それでも浦和は勝ちました。1点目のポンテのFKは、川崎FのDFが闘莉王の頭を意識し過ぎて、たまたま直接入ったゴールです。これは運もありましたが、2点目は浦和のやりたい攻撃パターンが出ました。

右サイドで突破した山田暢久のクロスをエジミウソンがポストプレーを見せて、やや右寄りの位置で待っていた鈴木啓太がミドルを放ったものですが、この日はサイドが使えると判断した浦和の攻撃パターンの選択が勝利に結びつきました。

川崎Fは、おそらく負けた気がしないのではと思います。ジュニーニョがカウンターの起点になったときのスピードはさすが川崎Fで、啓太、坪井らの必死の帰陣で辛うじてピンチを逃れていました。また、GK山岸の好守もありました。

ただ、この日は中村憲剛が中盤の底のアンカーの位置でしたが、いつものカウンターの起点になるパスの精度は今ひとつでした。ぎりぎりを狙っているからという理由はあるでしょうが、次々前線に通される怖さはなかったです。

これで、浦和は勝ち点が40に達し、ほぼ残留は決まりました。順位は新潟に得失点差で劣るため上がりませんでしたが、これからはACL出場圏の3位が目標ということになるでしょう。立ち見で疲れましたが、勝利という結果は多少疲れを和らげてくれます。
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漫画「キン肉マン」

2009-09-19 17:09:42 | 雑記
このタイトルを見て、訳の分からない方はおそらく20代以下でしょう。現在30ン歳の私が少年時代、熱狂した漫画のタイトルが、主人公の名前と同じ「キン肉マン」です。基本的には当時のプロレスブームに乗った格闘を描いた漫画です。

キン肉マンはキン肉星の王子という設定になっており、超人という人間とは違った存在です。最初は超人オリンピックと言う、超人同士が戦う漫画でしたが、悪魔超人が現れると、キン肉マンたちは正義超人として結束します。

もちろん漫画ですから、死者が復活したりすることもありますが、基本的には友情が後のベースになってきて、キン肉マンの「火事場の馬鹿力(本当の名前ではありませんが、食事中の方を考えてあえて変えました)」がいつ出るかも楽しみでした。

しかし、大人になってこの漫画を振り返ると、「この漫画にはそういえばヒロインがいない」ということに気付きます。アニメ版ではキン肉マンと交際する女性も登場していますが、原作にはいません。

それもあり、作者のゆでたまご氏は、キン肉マンの次の漫画でも格闘を描いていて、なかなか次のヒットを飛ばせませんでした。ただ、今は私のような30歳を超えた世代が少年時代の漫画を懐かしんで、またキン肉マンを見たいと思う人もいます。

また、再放送でウルトラマンや仮面ライダー世代が下に広がったように、若い方でもキン肉マンを見ていた方はいらっしゃいます。私がこのネタを選んだきっかけは、西武ライオンズの上本捕手が打席に立つときにキン肉マンのテーマを流していたからです。

北斗の拳も、似た漫画が復活していますし、キン肉マン二世という漫画もあったようです。ゆでたまご氏も今でも漫画を描いていると思います。
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ユース年代の育成

2009-09-18 20:43:53 | 高校サッカー
ユース年代の育成という意味では、最先端を行くのはおそらく日本最強のユースチームであるサンフレッチェ広島ユースでしょう。浦和あたりだと、数年前まではユースをセレクションで選んでいましたが、広島は全国規模のスカウトで選んでいます。

そのため、広島ユース出身でも広島県出身でない選手は駒野(和歌山県出身)など結構います。全国から選手を集めるためにはトップチーム並みの選手寮が必要ですが、広島はいち早く、吉田町にユース専門の拠点を置きます。

また、全寮制にはメリットもあり、全員を同じ高校に入学させて、修学旅行のような学校行事を同じ日に揃えることができます。これは後に鹿島、京都も追随しますが、当時としては最先端の考えでした。

また、広島ユースの存在目的が「プロを目指す」と明確に定義されていることも、選手たちにとってはやりやすいでしょう。浦和はなかなかユース出身のプロを出せませんでしたが、広島は森崎兄弟、駒野(現磐田)、柏木、槙野らチームの中心に成長して全国レベルの知名度を得た選手たちがいます。

ただ、広島ユースも最近は全国大会で勝てないこともあります。それは、チームを率いる森山佳郎監督が育成を重視している理由もあります。逆に勝利を重視してきたチームも、高校まで枠を広げればあります。

それは、高校サッカーの名門、国見高校です。国見高校なら、普通にプレーしても勝てるだけの戦力は持っていますが、国見のサッカーは基本的に「安全運転」で、プロでいえばタイトルの掛かった決勝戦のような試合を最初からやります。

必然的にまずはボールを自軍のゴールから遠ざけるロングボールが多くなります。また、国見の選手選考は大久保(神戸)や平山(FC東京)ら別格の選手を除くと、基本的に体力重視です。10番目、11番目の選手となると、同じ実力なら体力のある方を選ぶという意図は試合を見れば感じます。

それがはまって勝てた試合は、平山が3年のときの選手権決勝などの成功例も見ていますし、勝つことで全国から注目を集めるという意味では、勝つことを重視するという戦略も間違ってはいません。

国見も広島ユースも、プロは両者とも輩出していますから、どちらが正しいかは難しいです。ただ、高校の場合、選手権はトーナメントで負ければ終わりですから、どうしても勝利重視になるのはやむを得ない点もあります。Jリーグのユースの方が、選手の育成という意味では自由度は高いのかなという気はします。
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川崎F戦プレビュー

2009-09-17 18:52:55 | 浦和レッズ
1日早いですが、あさってに迫ったアウェイの川崎F戦のプレビュー記事を書きます。浦和は山形戦に勝たないと厳しいと思っていましたが、それは次の相手が川崎Fだったからです。正直、今の時点では勢いも違いますし、チーム力の差はあると思います。

その中で一番大きな差はFWです。鹿島戦のゴールが有効になったので、ジュニーニョは現時点の得点ランキングトップですし、鄭大世も現在好調です。エジミウソンが8試合ノーゴールの浦和とは得点力の差は否定できません。

ただ、このブログは浦和系ブログなので、あまり相手を褒めてばかりではいけません。川崎Fの攻撃力は確かに脅威ですが、ジュニーニョにスピードでは負けない坪井がつき、鄭大世には闘莉王の高さが効きます。

こんなときは堀之内をリベロにでも置けば、相手を1点以下に抑えられるかもしれませんが、フィンケ監督の頭には3バックはなく、いつもの4バックで行くと思います。また、中村憲剛がトップ下で出るとすれば、鈴木啓太が付く可能性があります。

ただ、今年の川崎Fは4バックですから、SBのオーバーラップにボランチが付くという浦和の戦い方を見る限り、マンツーマンで中村憲剛を消しに行く可能性はなさそうです。攻め合いになれば川崎Fの望み通りかもしれませんが、フィンケ監督が慎重策を選択したことはほとんどありません。

浦和にとっては、負傷明けの田中達也、山田直輝がどこまで回復しているかが楽しみです。田中達也なら井川相手でもスピードで勝てる可能性があります。山田直輝も、いいときの浦和を陰で支えていたのは彼です。

もし、山田直輝がスタメンで行けるほど回復していれば、川崎Fは得点力の高いボランチの谷口が山田直輝を見ることになりそうなので、間接的に相手の攻撃力を落とすことができます。また、山田直輝が出場した場合のメリットは他にもあり、ボランチがサイドに引き出されたときにカバーに入ってくれます。

また、原口もドリブルが少しずつ自分の武器になってきています。浦和にとっては挑戦者の気持ちで、今持っている若い力をぶつけられれば、少なくとも面白い試合にはなると思っています。
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第二次オジェック政権の思い出

2009-09-16 18:54:30 | 浦和レッズ
おそらく、駒場時代から年間チケットを持っているような古株の浦和サポなら、オジェック監督の名前を聞けば最初(1995-1996年)の采配の方が印象的でしょう。今や美化された感もありますが、勝てないチームだった浦和を優勝争いさせた実績は今でも色褪せません。

ただ、残念なことに、当時は私がサッカーをわかっておらず、スポーツマスコミの評価である「引いてカウンター」をそのまま使わざるを得ません。それではサッカー系ブログとしては悔しいので、今回はあえて2回目のオジェック時代を振り返ります。

オジェック監督が浦和の監督を契約満了で退任してから、オジェック自身はコカエリスポル(トルコ)の監督になり、トルコ杯を優勝させた実績もあります。その後はFIFAの技術委員になり、W杯の戦術分析をやっていました。つまり、最先端の戦術を知り得る立場にはいたわけです。

ただ、オジェックは決してドイツでも選手を使い回さないと強行日程を乗り切れない、バイエルンやシャルケなどの監督をやっていた訳ではありません。

おそらくオジェックが浦和の監督に決まったときは、多くのサポが「あのオジェックだから何かやってくれるだろう」と思っていたでしょうが、ACLを初めて戦う強行日程を乗り切るノウハウは持っていないかもしれないと不安もありました。

結果的には、期待も不安も両方当たってしまいました。期待の方はもちろんACL優勝です。正直、それまで日本のチームは決勝トーナメント進出すらなかったことを考えると、ベスト4まで行けば成功の部類に入ると思っていましたが、優勝まで行くのは期待以上だと思います。

ただ、ワシントンがあからさまに監督批判をするなど、選手との関係は良好とは言えませんでした。それは攻撃面が個人のアイディアに任されていたブッフバルト前監督時代とは違って、オジェック監督はサイド攻撃を重視したという変化も理由でしょう。

ワシントンの場合は、個人技を封印されて、とにかく真ん中で待てという指示が出ていたものと推測できます。これでは、任せてくれればもっと点を取れるはずとワシントンが思っても不思議はありません。

また、ポンテの使い過ぎで彼に選手生命にかかわるような重傷を負わせてしまったことも、オジェック監督の責任だと思います。結局、アジアの厳しい戦いを乗り切るノウハウはなかったと言われても仕方ありません。
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