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Kobby loves 埼玉&レッズ

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県北が生んだ天才少年(原口元気)

2016-11-21 21:39:25 | 浦和レッズ
今日はネタがないので思い出記事で、先日のサウジアラビア戦でゴールを決め、最終予選4ゴールと活躍中の原口元気選手を取り上げます。原口といえば、レッズユースが生み出した最高傑作で、今はドイツ1部のヘルタ・ベルリンで左MFのレギュラーとしてプレーしています。レッズとあえて3年契約を結んで、海外移籍の場合でもレッズに移籍金が入るようにした配慮も、印象深いです。

そんな原口は、小学生時代から埼玉県北部の江南町(現熊谷市)で「江南南サッカー少年団に上手い子供がいる」という噂が広まるほどでした。この江南南サッカー少年団は強いチームで、今でも全国大会常連の強豪です。浦和レッズにはジュニアユースからの在籍で、スカウトされての加入でした。

原口の時代は、浦和レッズがユース組織の強化に乗り出した頃だったのも彼には幸運でした。それまで、ジュニアユースやユースはセレクションでメンバーを選んでおり、本気でプロ予備軍を育成する発想はなかったですが、原口の1学年上の高橋峻希(現神戸)、山田直輝(現湘南)の世代あたりから、強化を狙ってスカウトでユースメンバーを選ぶ方針になりました。

原口のユース時代の快挙といえば、2008年の高円宮杯優勝があります。当時、高円宮杯は今のホームアンドアウエーのリーグ戦ではなく、ベスト16からのトーナメント戦でした。その決勝戦で名古屋グランパスU-18と対戦したレッズユースは、なんと9-0という大差をつけて優勝に輝いています。当時、原口はFWで出場していました。

翌年、高校3年生だった原口は、フィンケ監督の目に留まり、卒業を待たずにプロ契約を結ぶことになりました。その後の活躍は、浦和サポなら皆ご存知の通りで、開幕戦で左MFで先発出場すると、その類まれなサッカーセンスで、ポンテやエジミウソンのひらめきについていける選手になりました。

そんな原口にとって、試練だったのは、2012年に就任したミシャが1トップで起用したことです。当時、浦和は1トップを担える選手が不足しており、ミシャは原口が本来MFであることを承知であえて1トップで起用してきました。FWとしてはフィジカルが弱かった原口は、徹底的にフィジカルで潰され、FWとしては少ない6得点に終わります。

その経験が、翌年本来のポジションのMFに戻されたときに生きました。トップ下として活躍して、ドイツから完全移籍のオファーが届き、浦和レッズに8000万円の移籍金を残す選手になりました。これからは原口が代表の中心選手になるかもしれない、そんな期待で見守っています。
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