goo blog サービス終了のお知らせ 

Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

小野伸二の思い出

2016-11-09 22:17:04 | 浦和レッズ
サウジアラビアのメンバーは今、日本サッカー協会のHPで手に入りましたが、分析する時間がないのでまたも穴埋めネタです。1998年シーズン、ほとんどの浦和サポがその天才ぶりに驚いたMF、小野伸二選手(現札幌)の思い出です。

小野伸二は、U-17日本代表のキャプテンとして、エクアドルで開催されたU-17W杯に出場していました。もっとも、当時はU-17W杯はテレビで放送されなかった時代です。当時の日本代表は、結果こそグループリーグで敗退したものの、グループリーグ最終戦で突破を賭けて地元エクアドルと対戦するという貴重な経験を積んでいました。

しかし、ユースレベルの試合で当時は唯一全国放送される、高校選手権に清水商業の小野伸二は3年間で一度も出ていませんでした。そのため、数少ない生で見たサポから「すごい」という噂は伝わってくるものの、どこがどうすごいかは誰も知らないという状態で、開幕戦の市原戦を迎えることになりました。

当時は、4年前のW杯にマラドーナが出ていた時代なので、天才といえばマラドーナのように圧倒的な個人技で何人も抜いてゴールを決めるという残像があった頃です。しかし、小野伸二の天才ぶりは、マラドーナとはまったく異質な内容でした。小野伸二本人は「普通にプレーするだけなのに観客が「おう」と言う」と驚いていましたが、そのダイレクトプレーでボールをさばくプレースタイルは、次世代のヒーローの誕生を予感させました。

代表の指令塔、中田英寿とも比較されました。厳しいパスを出す中田と違って、小野伸二は優しいパスを出すというのが評判になり、フランスW杯も1試合出場しました。翌年のワールドユースでは、U-20日本代表のキャプテンとしてチームを準優勝に導き、小野伸二はどこまで行くのだろうと無限の期待を寄せていました。

今振り返ると、フェイエノールトでプレーしたり、日本代表にも何度も選ばれてある程度期待には応えたと思います。小野伸二本人は「自分は同じクラブに長くいられないタイプ」と話すように、ずっと浦和というわけにはいかなかったですが、そんな才能の成長過程を駒場で見守ったのも、サポとしてはいい経験だったのでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする