今日はスポーツネタが思いつかないので、困ったときは昔話で、2006年ドイツW杯予選、2010年南アフリカW杯予選でいずれも5位に入り、W杯出場こそ逃したものの大陸間プレーオフにまで出たバーレーン代表の思い出です。バーレーンが初めて、アジアの舞台で注目されるようになったのは2002年日韓W杯予選で、初めて1次予選の壁を突破して最終予選に出てきたときです。
当時、バーレーンは最終戦で、勝てばW杯出場決定だったイランを破る金星で注目されました。もっとも、当時バーレーンがどんなチームか知る人はおらず、「たまたま1次予選の組み合わせに恵まれて出てきたんだろう」と思っていました。そんなバーレーンを強豪と考えるようになったのは2004年アテネ五輪予選です。当時、バーレーンはガルフカップで優勝したサウジに次ぐ2位と好成績を残し、FIFAランキングも106位から64位にステップアップしていました。
このときのバーレーン五輪代表は強いチームでした。堅守速攻の形は確立しており、日本との2試合は日本の1敗1分けです。バーレーンではこの日本戦の勝利を、未だに「埼玉の奇跡」と呼ぶほどです。結果的に、バーレーンは五輪出場こそならなかったものの、日本のW杯出場には間違いなく壁になる存在だろうと実感した五輪予選でした。
その後、バーレーンとは、2005年、2009年と最終予選で2度埼スタで対戦することになります。2005年のときはバーレーンは明らかに0-0狙いで、引いて守り攻撃はサルミーン、Mフバイル、アリの3枚だけという徹底した策で、引き分けも覚悟しかけた後半、日本のクロスをサルミーンがオウンゴールをして辛くも日本が1-0で勝利します。
2009年のときは、バーレーンも攻めに出ました。FWに、アフリカから帰化したジェイシー・ジョンというスピード型がおり、動かないサルミーンも時折ドリブルで援軍を与えるという攻撃でしたが、中村俊輔のFKが壁に当たってコースが変わるラッキーなゴールで1-0と勝利しています。
2度も日本をぎりぎりまで苦しめたバーレーンですが、人口は東京都江戸川区程度と決して大きな国ではないので、世代交代が難しいようです。今の世代は前回予選は3次予選で消え、今回も2次予選で苦戦しています。こういう、意外な国が出てくるのもアジア予選の面白さでもあります。
当時、バーレーンは最終戦で、勝てばW杯出場決定だったイランを破る金星で注目されました。もっとも、当時バーレーンがどんなチームか知る人はおらず、「たまたま1次予選の組み合わせに恵まれて出てきたんだろう」と思っていました。そんなバーレーンを強豪と考えるようになったのは2004年アテネ五輪予選です。当時、バーレーンはガルフカップで優勝したサウジに次ぐ2位と好成績を残し、FIFAランキングも106位から64位にステップアップしていました。
このときのバーレーン五輪代表は強いチームでした。堅守速攻の形は確立しており、日本との2試合は日本の1敗1分けです。バーレーンではこの日本戦の勝利を、未だに「埼玉の奇跡」と呼ぶほどです。結果的に、バーレーンは五輪出場こそならなかったものの、日本のW杯出場には間違いなく壁になる存在だろうと実感した五輪予選でした。
その後、バーレーンとは、2005年、2009年と最終予選で2度埼スタで対戦することになります。2005年のときはバーレーンは明らかに0-0狙いで、引いて守り攻撃はサルミーン、Mフバイル、アリの3枚だけという徹底した策で、引き分けも覚悟しかけた後半、日本のクロスをサルミーンがオウンゴールをして辛くも日本が1-0で勝利します。
2009年のときは、バーレーンも攻めに出ました。FWに、アフリカから帰化したジェイシー・ジョンというスピード型がおり、動かないサルミーンも時折ドリブルで援軍を与えるという攻撃でしたが、中村俊輔のFKが壁に当たってコースが変わるラッキーなゴールで1-0と勝利しています。
2度も日本をぎりぎりまで苦しめたバーレーンですが、人口は東京都江戸川区程度と決して大きな国ではないので、世代交代が難しいようです。今の世代は前回予選は3次予選で消え、今回も2次予選で苦戦しています。こういう、意外な国が出てくるのもアジア予選の面白さでもあります。