goo blog サービス終了のお知らせ 

Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

左利きが貴重だった(ネネ)

2010-11-18 19:10:14 | 浦和レッズ
今日は磐田戦を見ていないのでネタがないので、昔話で失礼して、2004年から2007年まで浦和に在籍していた長身DF、ネネの思い出です。ネネはブラジル人ですが、来日前のキャリアを見る限りではブラジルでは結果を残すのに、欧州では結果を出せず一年で逆戻りという選手でした。

正直、このキャリアを見る限りでは、ホームシック型で海外でのプレーは向いていないと思っていました。不安ではありましたが、当時坪井が筋肉を断裂する重傷を負っていて、ほかに選択肢はありませんでした。

アルパイ、闘莉王、ネネで急造3バックを組んだ浦和ですが、このコンビは予想以上に機能しました。闘莉王は指示の声に日本語、英語、ポルトガル語の3ヶ国語を使う苦労をしながら、その年のセカンドステージで浦和は初優勝を果たします。

ただ、ネネに関しては長所も短所も比較的早い段階でわかりました。長所は利き足の左足から繰り出す精度の高いフィードです。キック力もあるので、長いボールを蹴ることもできました。しかし、短所も明確で、足が遅いことでした。坪井のいない2004年シーズン、浦和の3バックの足の遅さを狙われた試合もありました。

翌年、坪井は無事復活を果たし、3バックの一角に入ってきました。こうなると同じCBタイプのアルパイかネネのどちらかは必要ないということになります。浦和は左足のフィードの能力の方を評価して、ネネを残しアルパイを放出します。ネネが左利きだったから残れたというわけです。

しかし、その後のネネは苦難続きでした。2005年の大分戦、負傷明けで久々にスタメンに入ったネネは、自らの体調の悪さを考えず無理に上がってしまい、大分のトゥーリオに裏を取られて失点のきっかけを作ってしまいます。調子が悪いなら、悪いなりにクリアで逃げてくれればいいのにと、このときはネネに攻撃力があることが裏目に出ました。

負傷がちになっていたネネが2007年シーズンまで残れたのは、浦和にとってCBは層の厚いポジションでなく、元はボランチだった堀之内が入ったりしていたので、本職のCBを一枚は置いておきたかったのでしょう。クラブW杯での姿を最後に日本を去ったネネは、正直平凡な選手でしたが、一時代を彩った脇役だったのかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする