小網神社blog

東京・日本橋に鎮座する強運厄除の神さま・東京銭洗い弁天の社 小網神社のブログです。

心の浄化と神仏との出会い。

2015年05月06日 | 小網神社教学
多くの人がこの黄金週間に当神社に御参拝されました。
今日は立夏ですが、これからお出かけするには絶好の陽気です。

さて、心の浄化について神道では、以下の心がけを大切にしてきました。

1、我欲を控え目にする。
2、天の光、地の恵、人のお陰に感謝する。
3、一日一日、世のため人のために生きることを心掛ける。
4、清浄なものに出来るだけふれるよう努める。
5、祖先に喜ばれる子孫となり、子孫から拝される祖先になるよう、努める。
6、氏神様や崇敬する神社仏閣、先祖の霊に努めて拝する。

上に挙げた六項目の実践が定着化し、深まりを持った時、人は神との出会いがあると信じてきました。
その形はさまざまあり、同時に磨かれた感性こそが、それを感じるといっても過言ではありません。



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ほどほどに甘さ辛さをかみわけて心豊かに。

2015年04月26日 | 小網神社教学
かつて男性として日本最高齢だった福岡の医師・原志免太郎氏が残した言葉です。
原氏は104歳まで聴診器を持ち、約109年の天寿を全うされました。
人生の甘辛を、ほどほどに体験しつつ、心豊かに生きていこうとの意味です。
心の豊かさを築くためには、喜怒哀楽、幸・不幸の体験が必要で、これらが人の心に幅と深さを与えてくれるものです。
百才を越える数少ない天寿を生き抜いていた原氏の締めくくりの言葉が、心豊かに生きることだったことは、重みがあると読み取りたいものえす。
心を豊かさは、社会的地位や学歴、財産などで計れるものでありません。
心豊かな方は御自分自身に掛け替えのないものを必ず持っていらっしゃいます。
天寿、即ち神から与えられた寿命を全うする上で、「豊かさ」は最も心せねばならぬことだということです。

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「挑戦型」「給料相当型」「半ライス型」 あなたはどれ?

2015年04月12日 | 小網神社教学
人聞の生き方は多種多様です。
会社をはじめ、官民公私の組織・団体の中で、人は、それぞれの立場で生きています。
そこで見えてくるのは、人それぞれの人間性でしょう。

ひとつは目標に向かって、挑戦するタイプ。これは、何事にも積極的にアタックし、より良い結果を出そうとする型の人をいいます。
二つ目は、給料相当タイプ。これは、給料以上の仕事はしないという型です。能力があるのだと大見栄を切り、曲折表現しているようにみせながら、給料に見合った仕事はしておらず、能力も上がらないものが多いようです。
三つ目は「半ライス」タイプ。これはそもそも何事においても冷め、半力ほどしか出さず、常に手を抜く人のことです。

組織が求めるタイプは、いわずもがな「挑戦タイプ」でしょう。
今日では個性を殺して余計な事を言わず、従順に撤することが出世の早道と勘違いしている輩も多いように見受けられます。
しかし痛みを伴う挫折を味わわなければ、他人の痛みは理解できないものです。
多少の行きすぎや失敗があれば、後で十分に反省しそれを繰り替えさねければよいのです。
挑戦型を貫くことこそが、「真の人間」といえます。

神道では、向上発展のことを「弥栄(いやさか)」といいます。
栄枯盛衰の繰り返しの中、その都度這い上がる挑戦タイプこそ、弥栄実現のタイプといえましょう。

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「理を修め固め成す」.。

2015年04月06日 | 小網神社教学
神道で説く「修理固成」とは、「つくりかためなす」と読みます。
「理を修め、固め成す」という解釈もできます。
政治、経済をはじめ、すべての「事を成す」姿勢を指しています。
「理を修め」の「理」とは、「誠の道」。この「誠」を究めるには、「浄く明く直く正しき心」の形成にあると考えられます。
その精神の形成より生じた「誠」を、事を成すの「事」の中心にすえ、関わる人々の理解と協力の意志を固め、そして「事」を実行に移すといえましょう。
その成功、失敗は、最終的には「人」そのもであり、「人の心の有様」なのです。
「浄、明、直、正」の心の形成と、そこから導かれる「誠」の上に立った「事」こそ、多くの人々の理解と共感を得、「事」の成就をもたらすものと考えます。

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人は天職の中で 人生を歩む

2015年03月30日 | 小網神社教学
間もなく新年度を迎えます。
古来、日本人は、祖から命をいただき、この世に生を受け、長じて一生を世のため、人のために尽くし、神様のお導きで、祖神のもとヘ帰る、と考えてきました。
これが神道の生死観の基になています。
要するに日本人は、生も死も神様のお導きで、人の意志では、如何ともしがたいことなのだ、と捉えてきました。
人は必ず十人十色、特性なり個性を持っています。
この特性も、自分の意志で、そなわったものではなく、生育歴や環境の中で、培われ育まれたものでありましょう。
これも、神様のお導きと考えられます。
その特性を生かした職業を、天職といい、つまり神様からいただいた職業なのです。
職業は、現実に則したものを選択することも、また神様からのお導きといえます。
要は世のため、人のために貢献する手段で、自らを利するためのみの職業では、永続しない、ということなのです。
経済不況のいまだからこそ、自らの職業を見つめ直すときでしょう。

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真の豊かさと感謝。

2015年03月23日 | 小網神社教学
凄惨な少年犯罪が後を絶ちません。
犯罪の低年齢化を憂慮し、「心の教育」の提唱がなされてきました。
少なくとも学校教育においては、学習指導、生活指導、学校行事、校外教育、生徒会活動等々、校門に入り校門を出るまで、すべてが教育であり、心の教育に取り組まなければならないといいます。
しかし、その基礎は、あくまでも家庭教育にあるといえます。
家庭では、心の教育の基礎になる蝶即ち基本的生活習慣を、幼い頃から施しておく必要がある、といいます。
かくいう我が家庭でもそれが全う出ず自嘲する毎日でもあります。
心豊かな人生への到達は、人生の最終日的でしょう。
その中に、感謝と謙譲は、大きな要素を占めていることを、自戒の意味も含めて肝に銘じたい、と思います。

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「公益」を考えよ。

2015年03月16日 | 小網神社教学
戦後の教育は、個人尊重の教育であるといわれます。
個の権利を尊重する個人主義教育は、それなりに評価できるものである、と評価する方もいらっしゃいます。
しかし現実は、個人主義の名のもとに、実質的には利己主義を蔓延させてしまったともいえます。
国家意識や地域社会、ひいては家にまでいたる「公」という意識の欠落は、やがて大きな損失をもたらすことでしょう。

このような意識を持ってしまった根源は、個の権利主張が第一で、他の権利や公の利益つまり「公益」を、ないがしろにしてしまったところにはあるのではないかと思われます。
経済危機、テ口、災害…、これら国や地域レベルでの対応がなかったら、対応はできません。
「家庭」の崩壊が、さまざまな犯罪の根源といわれて久しい今、さらに社会問題を生み続ける可能性を、秘めているのではないか、と思わざるを得ません。
いまこそ「公益」、じっくり考える時期でしょう。

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商売繁盛の基本。

2015年03月09日 | 小網神社教学
景気の上昇を願う者は、事業家のみではないでしょう。
しかし過去のようなバブル景気が望めることはありえません。
官公庁といえども、従来のような放漫な管理体制では、そのツケはやがて国民に大きな負担を荷せていくことでしょう。
現状をとらえてみても、日本経済の問題点は多く、一攫千金は過去の夢といえます。
消費者の側に立って事業を組み立てていかないことには、人や景気はついてこないといえます。
その基本を神道では「神のみこともち」と表現します。
神の御心に沿い、誠心誠意生業に向き合うことこそ大事なのです。
その核にあるのは、「まことの心」があり、「まことの心」なくして他者との信頼関係は築けないと思われます。
事業のあり方をしっかりつかんだ人こそ、真の事業家となりうる時代なのだといえます。

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イチロー、黒田両選手に学ぶ男の生き方。

2015年03月02日 | 小網神社教学
ともに大リーグの名門ニューヨーク・ヤンキースで活躍したイチロー選手と黒田投手がそれぞれ新チームで今季を迎えます。
ともに40歳を超えた一流選手が、新天地や故郷に臨むというフレッシュな挑戦に注目が集まっています。

眠りは死であり、目覚めは誕生である、という処世観の上に立って人生を思えば、一日一日の処世は、燃焼の日々でなければならないといえます。
少しオーバーに過ぎる言い方であるが、命をかけた一日は、少なくとも前向きで、充実した一日でなければならないでしょう。
青春とは、老若の年令ではなく、一生現役、即ち、一生一つの目的を持った行動姿勢のある生き方を、やり抜くことであるといえます。
神道の人生観の根底は、世のため、人のために処世をの戒めが流れています。
従って自らも、他により生かされることを、認識しなければならないのです。
しかし、ほぼ安定した家族、組織、団体、国家と、ほぼ安定した流通経済社会の中に生きている人々は、自分のすべてが、他により生かされていることへの認識を、遠ざけすらしていることも事実でしょう。
人は、世のため、人のために、一日燃焼し、生涯青春の人生を築くことが、うまし一生といえます。

イチロー・黒田両選手の活躍を期待せずにはいられません。

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優秀企業に「規律文化の確立」

2015年02月28日 | 小網神社教学
巷では同族企業の「お家騒動」が報じられています。
かつて、デフレ不況に苦しむ「失われた十年」の閣にあって高い業績を上げた優秀な日本企業に関する研究で、内閣府は優秀企業の共通点在六つ上げていました。
その中の一つに「規律文化の確立」がありました。
即ち、経営者や従業員に、使命感や倫理観などの規律が存在するというのです。
欧米ではEQ(情緒指数)の高さを企業人に求めているそうえすが、文学・芸術・哲学・宗教・倫理等による情操度も注目されているといいます。
特に企業・団体のトップたる「公人」には、EQの低い者はまず不適格とさえいわれているそうです。
日本のIQ(知能指数)一辺倒の競争原理では、今や世界に通用しない、ということでしょう。
一時の経済効率の向上や、自身を含めた身内の保身を超えた、神道の伝統概念のひとつである「公共」或は「共生」の精神こそ、求められているように思われます。

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当神社の厄除祈願について③ 厄除は節分まで?

2015年02月01日 | 小網神社教学
前回までに厄年と数え年についてお話しました。

厄年とは、身の回りの変化によってバランスが崩れやすい環境になる年まわりをいいます。
その環境を神様に奉告し、お清めしたうえでお力をいただくのが厄除祈願です。

厄年が数え年にリンクしているので、なるべく早い時期に厄除祈願を社寺で受けましょう、というのが古来の考え方なのです。
お正月を七草(7日)、小正月(15日)、節分(2月3日)などまでとするのが日本人の一般的な考え方ですので、当神社にも厄除祈祷に関するお問い合わせが連日多くかかっております。

当神社では、すでに二月のほとんど、土日祝日について三月いっぱい御予約で満席となっております。
御早く御祈願をお受けになりたい、という方には、御予約制のない社寺をお奨めしております。

境内の大小はともかく、各位のおかれている環境もさまざまであることからも、当神社では団体でなくすべて個別に御祈願を承っております。
ですので、当神社では年間を通して厄除祈願をおこなった参りました。詳細については当神社の公式サイトhttp://www.koamijinja.or.jp/visit.htmlをご覧ください。

なお本年は、明年の御鎮座550年記念事業の一環である、社殿屋根の改修工事がおこなれる関係で、五月末までは御祈祷を承ります。
工事の進捗状況にもよりますが、6月から11月までは厄除祈願を含む各種社殿での御祈祷はおこなえない予定ですので、何卒御承知おきください。

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当神社の強運厄除祈願について② 数え年とは何か。

2015年02月01日 | 小網神社教学
物の始まりが一ならば国の始まりは大和の国…。
映画『男はつらいよ』の中で渥美清さん演じる露天商・車寅次郎の口上で、開口一番、よく発したセリフです。

日本には古来「ゼロ」という発想がないのです。
ゼロからイチ、つまり無から有を生んだのは自然の偉大な力で、その営みの中に「神」もお生まれになっています。
そのことは記紀神話にも描かれています。

数え年もこの考えを根拠にしており、生まれてすぐに一歳、最初の元日(1/1)に二歳になるという考え方です。
元日に一斉に歳をとる、という考えは、新年を「おめでたいもの」としてお迎えすることにもつながり、今日においてもわが国が新年を謹んでお迎えする根拠もここにあります。
全国の神社では、元旦に「歳旦祭」というお祭りもおこなわれています。


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当神社の強運厄除祈願について① 厄年とは何か。

2015年02月01日 | 小網神社教学
「厄除」についてのお問い合わせが後を絶ついませんので、本欄にて厄年や厄除祈願などの基礎知識について何回かに分けてお話いたします。

厄年の歴史には諸説あります。
中国から伝来された、というものもありますが、当神社では、日本の社会状況の変化が、今日受け継がれている厄年の根拠であると考えます。

今日、男女ともに、40歳前後に社会的地位などにおいてさまざまな変化があります。
町の寄り合いにおいて責任のある立場についたり、家庭内では家族に関わる様々な変化も起こります。
一方、お勤め先では一定のセクションを取り仕切る役職などの重要なお役を任されることも多いようです。
「役」「役目」は、さまざまな環境の変化をもたらします。
人間関係はじめとするコミュニケーションの多様化によって、煩わしい厄介な難問も少なからず起こり得ます。
要するに「役」が「厄」に転じ、「役年」が「厄年」になったという説には説得力があり、当神社ではこの説を根本に厄年をとらえています。

厄年には「本厄」とその前後に「前厄」と「後厄」があります。
人生には個人差があることから、「前厄」や「後厄」に当たる年に役につくなどのほか環境の変化が起こる方もいらっします。
要するに統計学的な見地から「本厄」が据えられ、その前後を合わせた三年間を厄年説いているのです。

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創造は和、成果は努力。

2015年01月26日 | 小網神社教学
多くの事象において、事の創造は、人の和なしには達成できないでしょう。
その成果は、人々の努力なしには得られないものです。
創造の基本は、神道で説く人生観、処世訓である「世のため、人のため」でなければ、人々の和も努力も期待できません。
利益は、その代償なのです。
利益中心の創造、利潤優先の成果では、人様の共感は、まず得られないといえます。
社会的ニーズに応える、ということは、「世のため、人のため」の組織姿勢といえます。
我が国のすべてが、「世のため、人のため」に創造とその成果に全力を傾けていけば、国家として大きく発展することはまちがいないのです。

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有無相生ず。

2015年01月03日 | 小網神社教学
あけましておめでとうございます。
本年もより良き一年となることを御祈念いたします。

さて、「有無相生ず」とは老子の言葉です。
有と無が相対であるように、物事はすべて相対的なものであるという事をのベています。
価値観の設定は、まさしく相対的発想の中で定まるものといえ、神道の人生観も、この世に生を受け、即ち世のため人のため、神のみこともちとしての人生であるという考え方を持っています。
神道は日本の伝統的な価値観で、個より家、あるいは地域社会の中で支えられて来た信仰であるといえます。
要するに家及び社会的発想が、神道の考え方の中にうかがえるのです。
個との相対の中で、家を起点に地域社会的中集団の発想も生まれてくるといえます。
江戸元禄の豊かさの後、享保十四年頃、京都の石田梅巌が、神・儒・仏の思想を基にした心学を広めました。
心学は士農工商の最低ランクに位置された商人道の思想の中核となり、江戸商人道の確立に大きな影響を与えました。
このことも、相対的発想の結果といえます。

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