内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

夢の中で流した涙

2020-07-11 13:51:27 | 雑感

 今日は、昨晩見た夢のお話をいたします。
 皆さんは、夢の中で泣いたことはありますか。私は、記憶にあるかぎり、過去にそういうことはありませんでした。ところが、昨晩の夢の中で、しばらく涙が止まらないという場面がありました。目覚めて涙で顔が濡れているということはなかったので、まったく夢の中でだけ流した涙でした(どこを流れたのだろう)。
 その夢の状況設定は、ほとんど現実の私の生活と接点がなく、いったいなんであんな夢をみたのだろうかと今も不思議です。
 場所は大阪。私は大阪に知り合いはほとんどおらず、前任校の語学研修プログラムの引率として2009年から6年間連続で7月に和泉市に三週間ほど滞在したことはありますが、その間、大阪のあちこちを歩いたわけでもなく、地理にはまったく不案内です。実際、夢の中で目的地への行き方がわからなくて途方に暮れる場面がありましたが、これは本筋から外れますので詳細は省略します。
 これはある家族の物語です。両親と子供三人の五人家族。両親の年齢は四十代半ば、職業はわかりません。長男が高校生、次男が中学生、第三子長女が小学生。学年ははっきりしません。皆、名前もわかりません。公団マンションのようなところに住んでいます。私はその家族の親しい知り合いで、よく相談に乗ることがあるという立場でした。舞台はその家族の住居です。
 相談内容は、数ヶ月前から、謎の脅迫電話を受けていて、気味が悪いのだが、思い当たる節がないということでした。脅迫電話といっても、金銭を要求するわけではなく、ただ「あなたたち家族の秘密を知っている」とだけ毎回繰り返すのだそうです。それ以上聞こうとしても、いつもすぐに電話を切られてしまったそうです。
 ある日(ここらへんが夢らしく唐突なのですが)、その秘密が何なのかが明らかになります。その秘密とは、長男はその両親の実子ではなく、まったく別の二親から生まれた子だったということです。そして、その生みの親は、親権を主張し、その長男を自分たちが引き取りたいと言ってきたのです。
 両親にとってはまったく身に覚えのない、まさに寝耳に水のような話でした。子どもたち三人も、これまでずっと兄弟妹として仲良く育ってきたので、まったくわけがわかりません。
 この家族の動転を身近で見守り、ときに相談に乗るというのが私の役回りでしたが、何か特に家族の力になるようなことができたわけではありませんでした。
 そして、とうとう、長男をその生みの親に引き渡す日が来たのです(ここもまったく唐突で、小説でもテレビドラマでも映画でもありえない展開なのですが)。
 あまりショックを与えたくないという配慮から、小学生の長女だけは家で留守番。両親、長男、次男、そして私の五人で、引き渡しの現場へ向かいました。
 引き渡し場面の詳細は覚えていないのですが、今も印象に残っているのは、長身でちょっと太っていて、見るからに温容な顔立ちをした長男が、「また会えるから」と繰り返しながら遠ざかっていった場面です。
 その遠ざかる長男を見送る場面で、突然涙がこみ上げてきて、止まらなくなりました。それがどれだけ続いたのか、わかりません。とにかく、悲しくて悲しくてしかたがありませんでした。
 その別れの後、私は家族と別れて、どこかへ帰ろうとするのですが、そもそもその帰ろうとしている場所がよくわらず、大阪の街を彷徨っているところで目が醒めました。
 つまり、どこに帰ろうとしているのかわからない現実に帰ってきたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


いなくなった途端に忘れられる存在に意味はあるか

2020-07-10 21:23:03 | 雑感

 以下、すべて愚痴です。
 今日なにか特別な出来事があったわけではありません。「いつもと変わりありませんよ~。元気にしてま~す」というふりだって、できなくはありません。底なしの深淵がぱっくり口を開いているそのすぐ脇で気丈に振る舞うことが数十年来の日常なのですから。
 ただ、今日、ふと、この三年間のこと、そしてこれからのことをいろいろ考えちゃって、そうすると、なんかもう、すべてがほんとうにバカバカしくなってしまったのです。
 みんなに迷惑かけたくないので(かけちゃっても、結果、たいしたことないのかも知れないけれど)、あと一年は辛抱します。それで学科長は金輪際辞めます。正直、できることなら、大学も辞めたい。この三年、いろいろありました。損得勘定はしません。意味ないですから。
 要約すれば、ただひたすら、自分をすり減らしただけ。得たもの? そんなものあるわけないでしょ。どなたのせいでもございません。すべて私儀の不徳の致すところでございます。
 もし「今のご感想は?」って、突然マイクを突きつけられたら、どう答えましょうか。答えは決まっています。一言、「日々、いろいろ勉強させていただいております」と、殊勝な素振りで微かに微笑みながら頭を垂れることでしょう。
 と同時に、心の中では、「なにもかも、ばぁ~かみたい」って叫んでいると思います。
 いなくなった途端に、もともと存在していなかったかのように忘れられる。それでも生きていた意味があると証明できなければ、私の人生は、端的に、無、です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


無能で無責任な人に憧れる「有能で責任感の強い」私のアホらしさ

2020-07-09 17:08:53 | 雑感

 今日も一日、ほとんどPC三台の前に向かいっぱなしだった。プールにも行けなかった。いったい何通のメールを書き、書類を作成したか、数えたくもない。
 もともと仕事は速いほうだが(原稿書きは別として)、三台のPCを同時に稼働させるようになってから、さらにスピードアップした。見た目はまるでトレーダーであるが、一切お金にはならないところが大きな違いである。
 だれも褒めてはくれないから、仕方なしに自分で褒めるのであるが、私の事務処理能力はきわめて高い。仕事の処理速度は、少なく見積もって、普通人の三倍から四倍である。他の人が一つの仕事をやっと仕上げたときに、私はすでに三つ四つ仕上げている。自慢ではない(ウソ)。事実である(確かに)。
 しかも、速いだけでなく、的確で無駄がなく、その上、細かいところまで配慮がいきとどいている(言うことなしザマス)。その有能ぶりは、まったく学科長などにしておくのはもったいないくらいなのである。
 しかも、別け隔てをしない。というか、学生を第一優先する。この時期、来年度の新入生から「かわいらしい」質問(言い換えると、「自分で調べろ!」と一喝したくなるような初歩的な質問)がよく来る。それに対して、五分から二〇分以内にとても「親切で愛想のよい」返事をする。これはもう神業と言っても過言ではない(あ~ぁ、書いててだんだん虚しくなってきた)。
 ただ、致命的なのは、ITの知識に乏しいことである。例えば、時間割作成の腕はすでに熟練した職人の域に達しているが、こんな作業、自分でプログラムを作れれば、全部自動化できることだ。それができないから、こんなことに総計数十時間も貴重な時間を費やさざるを得ない。
 有能なのも良し悪しである。仕事ができてしまうから、してしまう。悪循環である。しかも、責任感という正体不明の自己強制力が強く、それが症状を重篤化させている。
 こんなのど~でもいいじゃん、とか、めんどくさいからや~めたって、周りの人たちの迷惑も顧みず、仕事を軽々と投げ出せる無能で無責任な人、サフイフモノニ私ハナリタイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


問題の発生そのものは不可避だとすれば

2020-07-08 20:56:17 | 雑感

 現実世界では、そうはなってほしくないと思っていることも、日々、大小多々起こる。今日も起こった。しかし、それは想定外の事態ではなく、ああやはりそうなったかということであった。その原因は複合的で、私の意志によらないところもあるが、見込みが甘かったことは認めざるを得ない。
 ある困難な状況に直面して、その原因の多様性と複合性をあえて一旦無視し、それを単純化することは、そうすることがその困難な状況を打開するための現実的な緊急手段として有効ならば、その限りにおいては、認められるだろう。
 問題の発生そのものは原理的に不可避である場合、その原因の多様性と複合性を認識し、ありえなくはない状況をあたうかぎり想定し、それらへの対処法を予め策定し、その実行のために必要な備品・設備・人員等を常備しておくのが現実的に取りうる最良の手段だ。だが、なかなかそうはいかない。
 問題の発生そのものを根絶することはできないとしても、発生の可能性をできるだけ小さくするか、発生しても拡大を最小限に抑えるための方策をつねに更新し続けることが生き延びるためには必要だ。
 でも、疲れるんだよね、こういう毎日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


十二世紀の知的風景 ― 妄想老教師による反時代的考察(三)

2020-07-07 23:59:59 | 読游摘録

 十三世紀の大学の興隆を準備した十二世紀は、「圧倒的な量の知識と学の専門分化に対応しうる教授の方法論」(『中世思想原典集成 精選4 ラテン中世の興隆2』解説)がスコラを通じて確立された時代であり、それは大学という学知の制度化を学の内実と方法において基礎づけた時代であったことを意味している。
 以下、『中世思想原典集成 精選4 ラテン中世の興隆2』解説からの摘録である。
 十二世紀の前期スコラ学は、一方では、ボエティウスやエリウゲナによって伝えられた古代哲学の遺産――「旧論理学」と七自由学芸――の反芻により鍛えられた論証的・批判的思考に基づくテクスト註解によって支えられている。
 ここで鍛えられた思考は、思考自体を反省的に捉えることで人格概念を刷新し、「意識」(conscientia)を良心と邦訳しうる意味へと押し広げることで「倫理学」が形成される素地を醸成し、他方で思考の新たな関心領域として宇宙――小宇宙としての人間も含めて――を獲得していった。自然学的関心の広がりには、イスラーム文化圏からの諸学問の受容が深く関わっている。
 一方で、アラビア語文献のラテン語翻訳とりわけ「新論理学」を始めとするアリストテレス受容は、ラテン中世に単に知識量の増加のみならず、学の専門化の兆しももたらしている。
 同解説は、十二世紀の知的風景をよく伝えるものとして、ソールズベリーのヨハネスの『メタロギコン』(Metalogicon「論理学のために」)を例に挙げている。
 『メタロギコン』の中で、著者は、論理学を軽視し実利のみを追求する教育を批判しながら、「新論理学」の流入で存在観を増した論理学を自由学芸――それは人間を物質的なものへの憂慮から解き放ち、哲学に専念する自由を獲得させる諸学である――全体のうちに受け入れ、さらに世俗的な学全体を信仰と調和させることを企図している。
 この時代、「信仰と知」の問題は、教父の伝統に依拠する瞑想的態度と自律的理性の対立の構図を取ってはいるが、しかし理性の関心は、基本的には聖書というテクストに根差していた。自然学的関心にしても、「創世記」および『ティマイオス』註解との対話のうちに位置付けられている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


十二世紀ルネッサンス ― 妄想老教師による反時代的考察(二)

2020-07-06 23:59:59 | 読游摘録

 昨日の記事で言及した Charles Homer Haskins には、The Renaissance of the Twelfth Century(Harvard University Press, 1927. 邦訳は、別宮貞徳・朝倉文市訳『十二世紀のルネッサンス ヨーロッパの目覚め』 講談社学術文庫 2017年。この邦訳の原本『十二世紀ルネッサンス』は1989年みすず書房刊。その四年前に野口洋二の先行訳が同書名で創文社から刊行されている)という一般向けの歴史叙述があり、「十二世紀ルネッサンス」という歴史概念を中世史の中に定着させた古典的名著としてよく知られている。
 ハスキンズが独創的な中世史の学者であり、かつ一般向けの歴史叙述家としても卓越しており、さらには偉大な教育者でもあったことについては、朝倉文市氏による解説に詳しい。その解説によると、本書は、「かつての中世理解を大きく転換させたばかりでなく、十二世紀のラテン文化の中心に、この時代の文化を総合的に捉え、叙述した最初の古典的名著」である。
 本書の最終章第十二章「大学の起源」から何箇所か抜粋しておこう。

十二世紀は最初の大学をつくり出しただけではなく、後世のために大学組織のありようも定めた。これは決して古代の模範を復活したのではない。そもそもギリシア・ローマ世界には近代的な意味での大学などありはしない。[中略]大学は、文明に対して中世がなしとげた大きな貢献、はっきり言えば十二世紀の貢献である。

 この認識は、今日すでに広く一般化しており、例えば、やはり昨日言及した Jacques Verger, Les universités au Moyen Age にもほぼ同じ文言が見られる。

もともと大学(universitas)という言葉は、広く組合、あるいはギルドを意味するもので、中世はこういう共同体がたくさんあった。それが次第に限定されて、やがて、「教師と学生の学問的な共同体ないしは組合」(universitas societas magistrorum discipulorumque)だけを指すようになった。これは大学の定義としていちばん最初にあらわれた、しかも最善の定義と言うことができる。

 この定義から現代の大学のあり方をいきなり批判的に見たところで、それこそ時代錯誤的で、なんの益もないが、ただ、大学の起源は何だったのか、どのような歴史を経て大学という制度が確立されていくのかを知っておくことは、現代そこで教える者にとっても、そこで学ぶ者にとってもけっして無駄ではないだろうと私は思う。
 その入門書として、親しみやすく生彩に富んだ文体で書かれたハスキンズの本はいまでもその価値を失っていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


中世ヨーロッパにおける大学の誕生 ― 妄想老教師による反時代的考察(一)

2020-07-05 11:00:47 | 雑感

 さて、昨日の記事の末尾でお約束したように、なぜ私が『中世思想原典集成 精選』(第1~6巻)を購入したのか、ご説明させていただきます。
 少し長い話になりますが、日曜日ということで、午後のひととき、コーヒー或いは紅茶でも飲みながら(あるいはビールでもワインでも結構ですが、どうぞほどほどに)、お付き合いいただければ幸甚に存じます。
 近現代ヨーロッパの歴史・文化・社会・思想・諸制度等をよく理解するためには、中世ヨーロッパのそれらの理解が必須であること、今さら申し上げるまでもございません。
 ヨーロッパ史に関しましては、かの内藤湖南が有名な講演「應仁の亂に就て」の中で、「大體今日の日本を知る爲に日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、應仁の亂以後の歴史を知つて居つたらそれで澤山です。それ以前の事は外國の歴史と同じ位にしか感ぜられませぬが、應仁の亂以後は我々の眞の身體骨肉に直接觸れた歴史であつて、これを本當に知つて居れば、それで日本歴史は十分だと言つていゝのであります」というようなわけにはまいりません。
 もっとも、日本史におきましても、湖南のこの大胆不敵な史観は再検討の対象として引き合いに出されることはあっても、今日の歴史家でこの内藤史観にまともに与する人は皆無なのではないでしょうか。
 ヨーロッパ史においても、古代ギリシア・ローマを知らずして真の理解は得られなという、さらに射程の長い史観も当然主張されており、それもまたもっとな話ではございますが、今日のところはそこまで話を広げるつもりはございません。ただ、哲学史における古代と中世以降の非連続性、古代ギリシアにおけるフィロソフィアのそれ以降の哲学に対する異質性という問題について、若き卓越せる俊秀 Pierre Vesperini の La philosophie antique. Essai d’histoire (Fayard, 2019) を参考文献として挙げておくにとどめます。
 話をヨーロッパ中世に戻しましょう。中世と一口に申しましても、定義にもよりますが、少なく見積もっても千年の歴史があり、当然それを簡単にひと括りにすることはできません。
 『中世思想原典集成 精選1』は「ギリシア教父・ビザンティン思想」を対象としており、収録された著述家たちの活動範囲は、「時代的には紀元一世紀から八世紀、地理的にはローマ帝国の主にギリシア語が話されていた地域、ペロポネソス半島、北アフリカに加え、小アジア、パレスティナ、シリアにおよぶ。原著はほぼギリシア語(一部シリア語、アラビア語)である」(佐藤直子「解説」より)。つまり、古代から中世への過渡期も射程に入っています。
 「この広範囲にわたる時空間で成立したテクストから見えてくるものは、キリスト教の思想のヘレニズムの哲学・文化吸収による発展の軌跡であり、これに伴うギリシア哲学の主要概念の変奏であり、時代の変転のなかで信仰の核心を死守した当事者たちの苦闘の記録である」(同「解説」より)。ここを読んだだけでも、なにかワクワクしてきませんか(しないのかなあ、フツー)。
 ただ、この悠然たる調子で中世について語り続けると千夜一夜物語のように長い話になってしまいますので、『中世思想原典集成 精選』第2巻から第4巻までは、各巻の内容を示すタイトルのみ掲げます。それぞれ、「ラテン教父の系譜」「ラテン中世の興隆1」「ラテン中世の興隆2」となっております。
 それらを飛ばして(失礼の段、御海容を)、第5巻「大学の世紀1」へとまいります。第6巻「大学の世紀2」と合わせて、二巻が十三世紀に割り当てられていることからだけでも、いかに十三世紀がヨーロッパ中世思想にとって重要かがわかります。そして、そのタイトルが「大学の世紀」となっていることが、今回の私の話にとってきわめて重要なのであります。
 同巻の佐藤直子大先生の解説の一部を読んでみましょう。
 「学生数・教師数ともに激増した都市の学校には、個々の学校の垣根を越えた学知の制度化が次第に求められることとなる。教師たちは――ボローニャでは学生たちが先導したのであるが――、やがて同業者組合(ギルド)を造りあげる。これが「大学」の祖型である。学生の出身地、母国語、さらに身分は様々であったので、この同業者組合の中では、自ずと母国語を共にする者同士の同郷会が組織され、経済的に恵まれない学生のための学寮を運営するに至った。この学寮でなされていた講義が、改めて大学組織の中に組み入れられていく。「ソルボンヌ学寮」がパリ大学神学部の中枢へと発展していったことは、その好例である。質・量ともに凄まじい学知を担う大学では、教材とするテクスト、学位、教授資格の画一化を図ることとなった。十三世紀に入ると、これらの祖型はローマ教皇より、キリスト教界の知の最高学府である「大学」(Universitas ; Studium generale)として認可を受けることとなる。」
 つまり、中世キリスト教世界における知の統合化とその伝達にとって、大学という制度の成立が決定的な重要性をもっているということであります。この点もまた、あらためて申し上げるまでもなく、古くは Charles Homer Haskins の The Rise of Universites (1923) によって、比較的最近では Jacques Verger の Les universités au Moyen Age (PUF, 1999. 1re édition, 1973. 邦訳『中世の大学』がみすず書房から1979年に刊行されていますが、今は古書でしか入手できません。驚いたことに、みすず書房のサイトで検索しても「該当項目なし」になっています。つまり、文字通り、絶版のようです), L’essor des universités aux XIIIe siècle (Cerf, 1997), Histoire des universités. XIIe-XXIe siècle (avec Christophe Charle, PUF, 2012) などによって、繰り返し述べられております。
 なぜわたくしが西洋中世における制度としての大学の誕生に今あらためて強い関心をもつかと申しますと、大学人の端くれとして、今、大学が置かれている状況を、大学という制度が誕生した十二世紀末、特にその最初の隆盛期である十三世紀にまで立ち戻って、その時代の状況を想像力の及ぶかぎり感じ取り、そこから逆照射してみたいという、なんとも反時代的で、呆れるほど悠長な、ICTとAIを駆使したハイブリッド方式ウンタラカンタラ教育とは縁もゆかりもない情熱に取り憑かれているからなのでございます。
 人はそれを、急速に変化する現実についていけなくなった老いぼれ教師の現実逃避の隠蔽工作だと非難するかもしれません。
 いや、マジ、そーっすよ。ぶっちゃけ、最新技術を巧みに利用したクリエイティブでインターアクティブな新しい教育技術なんて、今さら学ぶ気なんか、さらさらねぇーし。そんなのはワケ―連中が頑張ってやりゃーいいじゃん。
 つい、本音が出てしまいました。妄言多謝。
 明日からは襟を正しまして、真面目に粛々と「大学とはなにか」という問題に向き合っていく所存でございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


罪悪感にも似た慄きと禁断の実を齧る瞬間の恍惚と ― 『老生書籍購入狂騒録』(偽書)より

2020-07-04 23:59:59 | 読游摘録

 別に宣伝がしたいわけではないのですが、電子書籍を購入するときに頻繁に利用しているハイブリッド型総合書店 honto で、今月16日まで、平凡社の出版物(すべてではもちろありませんが)がなんと40%引きなのです。
 こうなると、私のような意志薄弱な人間はもうだめであります。この機会にすこしまとめて買わなければもったいないなあとたちまち思ってしまうのです。本屋さんにとって、私を書籍購入へと誘導すること、まことに赤子の手をひねるよりやさしい。
 何を購入したかというと、2018年から2019年にかけて平凡社ライブラリーとして刊行された『中世思想原典集成 精選』(上智大学中世史総研究所 編訳・監修 全7巻)のうちの第1巻から第6巻までです。第7巻『中世後期の神秘思想』は4月にすでに購入済みでした(そのときは25%引き。すごく損した気分)。
 電子書籍版の価格が税込みで1巻2,112円。6巻で12,672円。電子書籍にこんなにお金をかけるのは、それが研究上どうしても必要でなければ、私の場合、まずありえません。それが40%引きのおかげで6巻合わせて7,602円なのです。同シリーズの紙版は一冊2,640円ですから、それとの比較で言えば、52%引きです(もうだめ、抵抗できない)。
 というわけで、一瞬の躊躇いの後、ポチッと購入ボタンをクリックしてしまいました。その瞬間の、罪悪感にも似た慄き(別に悪いことはしていないし、消費者として出版業界に協力していると言ってもいいのに)と禁断の実を齧るときのような言語に絶する恍惚感(バカなの?)とは、それを一度味わってしまうと、もうその魔の手から逃げることはできません(麻薬か)。
 他ではなかなか読めない貴重な原典も数多く収録されていますから、ちょっと参照するためだけでも役に立ちます。私自身にとってはそれでこの購入を正当化(誰に対して?)するには十分です。それにしても、およそ私の専門(何?)からかけ離れたこれらの学術的な成果をなぜ買おうと思ったのでしょう。
 それについては明日の記事でお話しさせていただきます(別に聞きたくもないし、とか、おっしゃられぬように)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


実りのあった小論文指導 ― 安易な比較論に陥らないための方法論

2020-07-03 16:07:59 | 哲学

 昨年の十一月十二日の記事で話題にした人文学科の学生の小論文指導は、学生当人が私の助言をよく聴き、論文作成過程で教示した参考文献の大半を真剣に読んでくれたこともあって、大変実りあるものであった。
 十一月に初めてオフィス・アワーで話し合った後も二回相談に来て、その都度熱心にメモを取って帰っていた。メールのやり取りも月に二、三回のペースで続け、特に大学が閉鎖された三月後半からはメールでの指導の回数も増えた。
 その間、特に私が感心したのは、けっして一度にいくつもの質問を無秩序にするのではなく、論文の構成に即して、かつ参考文献を読んだ上で、よく考えられた質問を一つ二つに絞ってすることだった。そうしてもらえたおかげで、こちらもそれだけ的確かつ迅速に答えることができた。
 もう一つ感心したことは、私が示した参考文献を手がかりに自分でさらに参考文献を探し、それらを読んだ上で、参考文献表に加えるに値するものかどうか必ず私に確認を取ることだった。それらの文献はいずれも信頼の置けるもので、それだけ文献表も充実したものとなった。
 人文学科の論文指導体制は実によくできている(しかもそれが学部二年生対象なのである)。テーマ選定、プラン作成、仮の文献表作成、その後プランに基づいて少なくとも三回はできた部分を順次提出するよう、通年の計画がきめ細かく決められている。書式も厳密に定められており、枚数25枚を上限とする。学生たちはそれらを遵守することが求められる。これも一つの大事な訓練だ。
 まず、人文学科の指導教授が約二十名の学生たちに対して、小論文の書き方についてのイニシエーションを行う。当の指導教授はヨーロッパ中世史の専門家だから、学生たちは何らかの仕方で中世に関するテーマを選ぶことを要求されるが、あとは自由だ。学生たち本人が選んだテーマに応じて、内容面での指導教官が指導教授によって選定され、指導依頼がその教官に行く(その中の一人が私だったというわけ)。
 私が指導した学生は、エックハルトと禅における détachement の宗教的次元における共約不可能性と人間経験の精神性の次元における普遍性をテーマとする論文を書いた。十一月の時点では、本人は中世キリスト教と日本中世仏教(あるいは神仏習合)との比較研究という漠然としたイメージしかもっていなかった。そこで、論点を明確にさせるために、まずエックハルトを読み、次に先行研究の中から禅との比較を行っている文献を読むように指示した。次に、その読解の中で見えてきた détachement(中高ドイツ語の abegescheidenheit)という比較可能な論点を掘り下げるように導いた。特に、安易な比較論に走らないために、エックハルトの専門家たちの中でこうした東西比較論に批判的な研究者たち(フランス人に多い)の論文をよく読むように注意した。
 論文作成の最終段階に入った五月中旬以降は、毎週のように出来上がった部分が送られてきた。それに対してすぐにコメントを付けて返すということを六月半ば頃まで繰り返した。そして、最終締切りの6月30日に完成論文が送られてきた。
 論文は三章からなる。それに先立つ序論は、論文のテーマを選ぶきっかけとなった引用から始まる(これは指導教授が定めたルールに基づく)。第一章は、エックハルトにおける détachement についての仏語圏での最新研究を踏まえて、その三つの経験の相を明確に区別し、いずれの相においても、それらは「魂における神の誕生」という最終的なテーマとの関係において位置づけられるべきであり、détachement と禅における放下との直接的な比較は、宗教論としては共役不可能な文脈ゆえに不可能であることを示す。第二章は、禅における放下は、日々の行いにおける実践であり、その意味で、それを超えた何からの目的に従属するものではないことを示す。第三章は、それでもなお両者を比較しうる次元はないのかと問う。結論として、現実世界における人間と世界との関係という普遍的な精神性の次元において両者は共通性をもつと述べている。
 半年あまりで、ここまで問題を明確化し、掘り下げることができたことは高く評価されるべきであり、今後の彼の哲学研究にとって、よい基礎訓練になったことを指導したものとして大変嬉しく思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


近現代日本における美をめぐる考察のアンソロジーの企画

2020-07-02 23:59:59 | 哲学

 昨日の昼前、知り合いのパリ・ナンテール大学の哲学教授からメールが届き、ちょっと相談したいことがあるから、都合のいい時間帯に電話してくれないかとあった。ちょうど机に向かっていたので(というか、日中のほとんどを机の前で過ごすから、メールが届けばいつでも直ちに返事ができる態勢なのだが)、すぐに携帯を手にとって電話したら、先方でその速さに驚いていた。
 相談というのは、今年中に消化しなければならない予算が残っているのだが、その使い道について知恵を貸してほしいということだった。
 彼は二つのアイデアをもっていて、一つは、日本から二三人研究者を呼んで、シンポジウムを開くという企画。しかし、時期が九月上旬か中旬という。もう二月ちょっとしかない。なぜ九月上旬かというと、パリ・ナンテール大学は新学期の開始を九月一日から二十一日遅らせたので、その間、つまり新学年開始前なら会場確保がしやすいし、まだ学生たちが来ないから、RERもそれほど混まない。確かに、それらは利点ではあるが、例えば、我がストラスブール大学は、予定通り九月一日から新学年が始まるから、その開始直後のシンポジウムには私はとても参加できる状態ではない。それに日本から来てくれる人が見つかる保証もない。ということでこの第一案は没。
 二つ目は、出版の企画。日本の哲学的テキストの翻訳集で、何かいいアイデアはないかという。実は、一昨日、イナルコの先生と別の出版企画の話をZOOMでしたところだったので、その時私が提案した、美学的テキストのアンソロジーの話を出してみた。美というテーマなら、幅広くテキストを集めることができるし、哲学プロパーばかりでなく、もっと広く協力者を募ることができるし、読者層の広がりも期待できる。そもそも私自身がこの企画に乗り気なのである。
 この話には彼も乗ってきて、素案を作ってくれないかと頼まれた。それはいいのだが、今週末にはほしいという。来週には企画書を作成して、大学当局と掛け合うためだという。ちょっと急だが、すぐに作業に取り掛かり、一応十人ばかりの著者とそれぞれの候補テキストを選び終え、それぞれに簡単な説明文を添えた。
 ただ、私一人ではどうしても選択に偏りが出るであろうからと、相談すべき人たちのリストも添えたし、私自身、イナルコの先生にも相談のメールを送った。他方、今年の一年生の中で最優秀の学生で、哲学部に同時に登録していて、特に美学に興味がある学生にも、率直な意見を聞かせてほしいとメールを送ったら、すぐに返事がきて、それが期待通り、私の素案を補ってくれるような内容だった。
 降って湧いたような話で、実現するかどうかわからないが、もし企画が通れば、この夏休みは、一方でホメロスの叙事詩を味読しながら、近現代日本における美の考察をいくらか系統的に読むことになるだろう。