内的自己対話-川の畔のささめごと

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エコクリティシズムの日本文学史への適用 ― ハルオ・シラネ『四季の創造 日本文化の自然観の系譜』

2020-07-23 18:01:45 | 読游摘録

 この五月に刊行されたハルオ・シラネの『四季の創造 日本文化と自然観の系譜』(角川選書)は、2012年に刊行された英語版 Japan and the culture of the four seasons : nature, literature, and the arts, Columbia University Press の単なる翻訳ではない。著者自身が「日本語版へのあとがき」に記しているように、英語版刊行後に得られた、日本文化や環境に関する著者の新たな考えが数多く盛り込まれている。いわば増補改訂版である。著者の長年の友人である翻訳者北村結花への、「北村さんの丁寧・的確で意を尽くした翻訳によって、英語版よりも日本語版のほうが格段に充実し、はるかによい本となりました」という謝辞は真率なものだと思う。実際、文法的に骨格がしっかりしていて、とても読みやすい訳文である。
 古代から現代までの日本文学史を通して、文学的自然観(二次的自然)がいかに形成され、変化・発展し、その自然観の系譜が逆に日本人の自然に対する関係をいかに規定している(場合によっては疎外している)かを、文学作品(万葉集から俵万智まで)から豊富な具体例を引きつつ、それらと社会・文化の諸側面との関連を押さえることで、楽しく教えてくれる好著である。
 時代認識は、よくいえば、おおらか、わるくいえば、大雑把なところがあり、個々の事例についての考察は、やや記述的あるいはナラティヴで、従来説を踏襲しているだけで、分析としてはいささか物足りないところもある。しかし、そのような専門的な細部の分析と論証は本書の目的とするところではないだろう。
 本書の「はしがき」から、執筆にあたって刺激を受けたというエコクリティシズムへの言及箇所を引こう。そこに著者の方法論の要処の一つが示されている。

これは自然の概念やイメージがさまざまな文化や制度においてどのように構築され、多様な文学的、文化的、社会的行為を通してどのように表現されているかを検証する手法である。ウズラ・ハイザの言葉を引用すれば、「エコクリティシズムは、歴史のある時点における人間と自然との関係を文学がどのように表現するか――どのような価値が自然に付与されているのか、また、なぜ、どのようにして自然に対する認識が文学のジャンルや約束ごとを形作るのか――を分析する。さらに、環境に対する社会的、文化的態度の形成に文学的修辞がどのように寄与したのかを検証する」。
 気候と文化に関する近代の研究は、気候と文化の間に直接の因果関係を見いだし、日本文化を気候や風土の観点から説明しようとした。これに対し、エコクリティシズムは環境と文化との隔たり――自然を文化的、文学的に表現する際、しばしば故意に覆い隠されるずれ――に焦点をあてる。自然の表現や再現はたいてい実際の現実とは逆であり、ありのままの自然の姿ではなく、むしろ支配階級の社会や文化が “見たい自然” の姿であることに着目する。

 英語原文も引いておこう(ただし、日本語版でカットされている部分は省略する。それらの箇所は、日本文学史に関する具体的な認識に関わる部分で、本文との重複を避け、「はしがき」ではより一般的に方法論を提示すに留めるために取られた措置であろう)。

[Ecocriticism] examines how concepts or images of nature are constructed in different subcultures and institutions and are expressed through a variety of literary, cultural, and social practices. To quote Ursula Heise, “Ecocriticism analyzes the ways in which literature represents the human relation to nature at particular points in history, what values are assigned to nature and why, and how perceptions of the natural shape literary tropes and genres. In turn, it examines how such literary figures contribute to shaping social and cultural attitudes toward the environment.”

Modern Japanese climate-culture studies posit a direct cause–effect relationship between climate and culture, attempting to explain Japanese culture through the climate and topography of Japan. Ecocriticism, by contrast, focuses on the gap between the environment and culture, a gap that is often deliberately obscured by cultural and literary representations of nature. Modern Japanese climate-culture studies generally assume a mimetic function in culture, as directly reflecting material reality or physical environment, when in fact reconstructions and depictions of nature were often the opposite of reality: what aristocratic society or culture wanted nature to be rather than what it actually was.