内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

十二世紀の知的風景 ― 妄想老教師による反時代的考察(三)

2020-07-07 23:59:59 | 読游摘録

 十三世紀の大学の興隆を準備した十二世紀は、「圧倒的な量の知識と学の専門分化に対応しうる教授の方法論」(『中世思想原典集成 精選4 ラテン中世の興隆2』解説)がスコラを通じて確立された時代であり、それは大学という学知の制度化を学の内実と方法において基礎づけた時代であったことを意味している。
 以下、『中世思想原典集成 精選4 ラテン中世の興隆2』解説からの摘録である。
 十二世紀の前期スコラ学は、一方では、ボエティウスやエリウゲナによって伝えられた古代哲学の遺産――「旧論理学」と七自由学芸――の反芻により鍛えられた論証的・批判的思考に基づくテクスト註解によって支えられている。
 ここで鍛えられた思考は、思考自体を反省的に捉えることで人格概念を刷新し、「意識」(conscientia)を良心と邦訳しうる意味へと押し広げることで「倫理学」が形成される素地を醸成し、他方で思考の新たな関心領域として宇宙――小宇宙としての人間も含めて――を獲得していった。自然学的関心の広がりには、イスラーム文化圏からの諸学問の受容が深く関わっている。
 一方で、アラビア語文献のラテン語翻訳とりわけ「新論理学」を始めとするアリストテレス受容は、ラテン中世に単に知識量の増加のみならず、学の専門化の兆しももたらしている。
 同解説は、十二世紀の知的風景をよく伝えるものとして、ソールズベリーのヨハネスの『メタロギコン』(Metalogicon「論理学のために」)を例に挙げている。
 『メタロギコン』の中で、著者は、論理学を軽視し実利のみを追求する教育を批判しながら、「新論理学」の流入で存在観を増した論理学を自由学芸――それは人間を物質的なものへの憂慮から解き放ち、哲学に専念する自由を獲得させる諸学である――全体のうちに受け入れ、さらに世俗的な学全体を信仰と調和させることを企図している。
 この時代、「信仰と知」の問題は、教父の伝統に依拠する瞑想的態度と自律的理性の対立の構図を取ってはいるが、しかし理性の関心は、基本的には聖書というテクストに根差していた。自然学的関心にしても、「創世記」および『ティマイオス』註解との対話のうちに位置付けられている。