内的自己対話-川の畔のささめごと

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レヴィ・ブリュール『原始的心性』(La mentalité primitive)を読む(13)― 占い術の社会的機能

2015-06-18 12:48:08 | 読游摘録

 レヴィ・ブリュールが第一次世界大戦の戦中とその直後に戦争ついて書いた諸論説は、1922年に出版された『原始的心性』の分析の前提となっている基本的テーゼをよりよく理解させてくれる。
 1910年刊の『未開社会の思惟』では、二つの異なった心性が前提され、その一方が他方へと向かい接近することで、一方から他方へいかに進化しうるかを理解しようとしていた。ところが、『原始的心性』では、もはやそのような価値的に差異をもった二つの心性は前提されていない。ただ一つの心性があるだけである。その心性が「原始的」と形容されるのは、戦争がすべての国家をそこへと立ち戻らせる社会組織化の原初的状態こそが最終的なほんとうの問題だと考えてのことである。つまり、「原始的心性」は、最終的には、「未開人」の心的世界を指すためでも、有史以前の「原始人」のそれを指すためでもなく、戦争によって露呈された、現在の人類の「原始性」を分析するために導入された概念なのである。
 この現代社会における「原始的心性」は、諸個人間の経済的諸関係を基盤とした諸個人間の知的な交流の中で形成されるものだが、この心性の世界においては、それを分有する個人は各々、将来社会を襲うであろう大災厄を予見しようとする。そこでは、したがって、その共同生活を襲う諸々の不幸の責任を全員が負わなければならない(レヴィ・ブリュールが二十七歳のときに提出した博士論文は、「責任の概念」をテーマとしており、この「責任」がそれ以後のすべての著作の導きの糸となる)。
 ここで、今回の連載「レヴィ・ブリュール『原始的心性』(La mentalité primitive)を読む」の第一回目に引用した文章をもう一度引用しよう。

Les sociétés européennes se trouveraient en 1918 dans une situation comparable aux sociétés « primitives » : confrontées à une catastrophe imprévisible dont elles cherchent à atténuer les effets en les rendant visibles (Présentation par F. Keck pour La mentalité primitive, Paris, Flammarionn, « Champs classiques », 2010, p. 29).

 ヨーロッパ社会は、1918年、「原始的」社会に比すことができる状況に置かれていたとも言えよう。未曾有の大災厄を目の当たりにして、その影響を目に見える形にすることで弱めようとしているからである。これがレヴィ・ブリュールの当時の状況認識であった。
 『未開社会の思惟』では重視されていなかった占い術(予見術)が『原始的心性』では中心的な考察対象になっていることも、そこから理解できるだろう。古代の占い術と未開社会でのその諸形態とを比較することによってデュルケーム社会学派が明らかにしたことは、占い術の実践が社会契約の原初的形態を確立したということである。卜占術は、かくして「神明裁判」(« ordalie »「神の裁きの名のもとに、火、熱湯、決闘などの試練を無事に切り抜けた被告人を無罪とした」『小学館ロベール仏和大辞典』)という形を取ることとなった。つまり、社会がその成員たらんとする諸個人について、その諸個人がその社会の中に入るに値するかどうか知るための判断という機能を卜占術は有つようになったのである。
 その社会的機能という観点からより厳密に言えば、あらゆる卜占術は、それによって自然現象が人間各個人の道徳的価値の指標として解釈される認証テストなのである。卜占術が荒唐無稽に見え、さらには矛盾しているとも見えるのは、それが未来の予見困難な偶発的出来事・現象の領域に踏み込みながら、それらの出来事・現象を社会生活の秩序の中に取り込み、未来への手掛かりにしようとしているからである。しかし、ここで重要なのは、外から見ればどんなに馬鹿げている卜占であっても、それがある社会の成員全員によって共有されるとき、その社会生活の秩序形成要素として機能しうるということである。
 かくして、この「非科学的」で「非論理的」な共同心理のメカニズムを明らかにすることがレヴィ・ブリュールの目指すところとなる。