内的自己対話-川の畔のささめごと

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「一顆のレモンを最後の一滴まで絞る」― ヴァンサン・デコンブの対談を読む(2)

2015-06-28 11:56:24 | 読游摘録

 昨日は、日帰りでパリのイナルコの哲学研究会に参加してきた。それぞれ西田と田辺についての二つの英語での発表。出席者も十数人といつもより多く、発表後の質疑応答も活発で、盛会であった。会の後、いつものように発表者を囲んで参加者の何人かが残り、近くのカフェで歓談した。その際、今私が読んでいる Vincent Descombes, Exercices d’humanité を何人かの参加者に見せて、このタイトルを日本語にどう訳すか、意見を聞いてみた。このタイトルを構成している二つの名詞は、文脈によって意味がかなり変わるし、複数の意味を兼ね備えているときもあるので、訳はなかなかやっかいなのである。デコンブ氏の哲学的スタンスは、いわゆる「形而上学的」な問題をその「人間的」な文脈の中で考え直すということだから、『「人間(的)」であるための(実践)演習』というところに話が落ち着いた。
 デコンブ氏の受けた大学教育は、リクールとデリダからの薫陶を例外として、「六十八年五月革命」以前のものであるから、旧来の伝統的なスタイルの講義・演習を中心としていた。ギリシア哲学を主専攻としたから、学習の基本は、当然のことながら、古典の読解と注解であった。その「学習成果」が第三課程博士論文として提出されたプラトン主義研究であり、それは 1971年にPUF から Le platonisme というタイトルで出版され、今でも版を重ねている。
 同氏が英米の分析哲学を本格的に吸収し始めるのは、1980年代以降のことである。アメリカで間近に見た分析哲学系の哲学者たちの古典の読み方は、フランスで彼が受けた教育の中で馴染んできた読み方とは著しく異なり、それに衝撃を受けたのがきっかけになっている。
 しかし、それはまったく新しいものに出会ったというよりも、以前から予感していたなにものかを再発見したということだと言う。ここでデリダの名前が挙がる。そのなにものかとは、「伝統的な大古典に自らを関係づける哲学的なやり方」(« une façon philosophique de se rapporter aux grands textes de la tradition »)に関わる。
 デリダによる古典の引用の仕方は、デコンブ氏が他の講義や書物で見慣れていた引用の仕方と著しく異なっていた。発表のあちこちに細切れにされたテキストの引用を散りばめたり、論文にやたらに注を付けて自分がどれだけいろいろなテキストを参照しているかをひけらかしたりするだけで、結局のところは当該テキストの注解になっていないような、引用の「悪用」が横行する中にあって、デリダの古典に対する態度は違っていた。
 哲学科で「演習」(« travaux pratiques »)というと、伝統的に古典講読である。その演習の中で、デリダは、例えば、ある古典の中からある一段落或は一節を選び、それをあたかも「一顆のレモンのように取り、最後の一滴まで絞る」(« prendre comme un citron et de le presser jusqu’à la dernière goutte »)。例えば、十行の引用テキストに対して、デリダは、そこに含まれているものを引き出すために四頁書く。
 ところが、デコンブ氏は、後年、このスタイルがデリダ独自のものであるどころか、むしろ中世に遡る長い伝統的なテキスト注解のスタイルであることを、トマス・アクィナスのアリストテレス『自然学』注解、そしてその他のスコラ学者たちの注解を読むことで認識する。
 以後、デコンブ氏は、自らこのスタイルを実践しようと心掛ける。そして、それを具体的に、「テキストの価値を引き立たせることができないなら、引用しない。引用二行、自分の文章一頁」と規則化する。

Le texte était mis en honneur, il était ensuite décomposé en ses parties, puis chacune de ces parties faisait l’objet d’un commentaire envisageant toutes les lectures intéressantes possibles, les objections majeures, etc. J’ai retenu cette leçon et j’espère l’avoir mis en œuvre par la suite dans mes propres écrits : pas de citation si l’on n’est pas capable de la faire valoir. Deux lignes de citation, cela veut dire une page de votre plume, voilà la règle. Je ne suis pas sûr de l’avoir toujours appliquée, mais c’est ainsi qu’il faudrait faire (V. Descombes, op. cit., p. 23).

 













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