内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

夏休み日記⑱ 小銭返し

2014-08-21 16:52:45 | 雑感

 昨日もパリは清々しい青空が広がったが、気温は低いまま。街行く人たちの多くはもう秋の装い。午前中、まず、アパートから最寄りの郵便局に娘と一緒に出かける。口座開設のために必要な書類についての説明を聞くのが目的だったが、先客が何人か受付に並んでいて、なかなか捗りそうにないので諦める。次に、こちらで主に電話通話に使う携帯が早くほしいと娘が言うので、アパートのすぐ近くの Orange に立ち寄ろうとしたら、夏休み中は午前十一時開店との表示。開店までまだ間があるので、これも諦める。そして、Navigo という、日本で言えば Suica や Pasmo に相当するカードを作りに地下鉄で Chalres Michels 駅に移動。カードはすぐに入手。ようやく一つ用が済んだ。ついでに同駅から歩いてすぐのところにある Orange に立ち寄る。ここはちゃんと開店していたが、娘がいいと思った機種は在庫切れ。こんなことしょっちゅうあるから、ここでめげてはいけない。気を取り直して、今年オープンしたばかりのショッピングモールを一通り見て回る。ここに来ればパリの中心まで出なくても大抵のものは入手できることが分かる。
 十番線にまた乗り、Sèvres-Babylone 駅で下車。明後日から始まるパリ政治学院の留学生ウェルカム・プログラムの会場を確かめた後、Odéon 駅方向に歩いて移動する。その駅近くの Orange でようやく携帯を入手。二つの目の用が済んだ。
 毎夏ヴァカンスをフランスで過ごす日本人研究者の知人に娘を紹介するために昼食を一緒し、何かあったら相談に乗ってやってほしいとお願いする。食事をしたレストランは Un dimanche à Paris という、もともとはチョコレートとお菓子を作る店が出したレストラン。オデオン駅を降りてサン・ジェルマン大通りを渡り、Cour du Commerce Saint André というパッサージュに入ってすぐの右手にある。スタッフの対応は極めてよい。料理もオリジナリティとバランスと美的感覚に優れていて美味。こちらのレストラン訪問記を参照されたし。
 アパートに戻り、慌ただしく荷造り。二つのスーツケースが重い。階下まで見送りに来てくれた娘に「頑張って」と一言激励して、予約してあったタクシーに乗り込む。タクシーが遠ざかるまで、アパート入り口の門の前に立って見送ってくれていた娘に向かって窓越しに手を振る。東駅には余裕をもって到着。TGV に乗ったら、途端に疲れを覚え、すぐに眠り込み、目が覚めたらもうストラスブール駅まで後数分のところであった。
 ストラスブール駅からもタクシー。タクシーの運転種に住所を告げても、「そんなとこ知らん」とぶっきらぼうに言うので、丁寧に道順を説明する(何で私が?)。アパートに近づくと「この辺はいいところだよ」と抜け抜けと言うから、「そうだ、いいだろう」と自慢気に返事する。お釣りの小銭がないというので、こっちもないと言って少しまけさせる(倍返しならぬ、小銭返しだ!)。かくして午後七時四〇分頃到着。
 娘に電話して様子を聞く。郵便局にまた一人で行ってきたが、口座開設等を担当するファイナンシャル・アドヴァイザーは、何と九月三日にならないと戻らないと言われたという。こんなことでこの国の経済が明るい見通しを持てるわけないですよねぇ。


夏休み日記⑰ さあ、パリの一人暮らしが始まる!

2014-08-20 07:39:58 | 雑感

 今日の夕方、いよいよ生まれて初めての一人暮らしを始める娘をパリに残して、ストラスブールに戻る。娘はパリでの留学生生活の立ち上げのためにまだやらなくてはならないことがいくつか残っているが、ここからは自力でやっていかなくてはならない。
 生活力という点では、当然のことながら、まだまったく覚束ないが、少なくともフランス語にはほとんど不自由しないのだから、なんとか自分で問題を解決していってほしい。昨日も、買い物にはあちこち付き合ったが、機内で壊れたメガネの修理や携帯電話の契約内容の問い合わせは、自分で行って来いと突き放した。どちらもなんなく事が済み、少しずつ緊張がほどけてきたのがそばにいて分かる。
 これは娘に限らず日本から来る留学生たちにいつも言っていることなのだが、一日に一つずつ用を済ませるというゆっくりとしたペースで生活を徐々に整えていくことである。海外での生活の立ち上げ時には、誰でも、あれもこれもしなければと焦る気持ちがどうしても生まれ、そのうちの一つでもうまく行かないとひどく不安になり、下手をすると精神のバランスを崩してしまいかねない。そのような「危機」を乗り越えてゆくのも一つの経験だとは言えるが、あらかじめわかっている危険は未然に回避し、余計な心理的ストレスは溜め込まないほうがいい。
 あれこれの問題に同時に直面し、しかも、どうしてよいかよくわからない、どこから手を付けていいかわからないという時がある。しかし、実のところ、大抵のことはそれ自体としては大した問題ではないのである。だから、焦らずに、あまり事の軽重にこだわらずに、まずは解決できるところから一つ一つ解決していけばよい。一日一つ解決できれば、その日はそれで満足し、残りの時間は好きなことをすればいい。
 日本のように何でもきちんとしていることが美徳とされている国から来ると、何といい加減なと思えるようなことがフランスでは多々ある。しかし、基本的には、「何とかなるだろう」「こんなんでいいんだ」と考え、日仏の様々な違いをどこか覚めた目で観察しつつ、それらを楽しんでしまえばいいのである。
 Bon courage !


夏休み日記⑯ 晴れ渡った空の下、買い物に歩き回る

2014-08-19 19:07:46 | 雑感

 昨日とは打って変わって、朝から青空が広がる。しかし、気温は上がらず、日中でも二十度前後。天気予報によると、気温は平年に比べて五度ほど低いとのこと。
 朝から午後三時頃にかけて、暮らし始めるにあたって必要だと娘が思うあれこれの日用品や衣類を買いに BHV、Forum des Halles などの中を間に昼食を挟んで歩き回る。今日中揃えたいと思っていたものが一通り買えたところで、二人ともいささか疲れたので帰宅する。その後私だけ近所のスーパーに買い足しにでかける。
 明日は銀行の口座開設を午前中に済ませたい。


夏休み日記⑮ 雲に覆われた肌寒いパリの空の下で

2014-08-18 17:44:00 | 雑感

 今日から「夏休み日記」のフランス篇。
 夏の陽射しに遠く見放されたかのような曇天の下、長袖シャツ一枚だけでは肌寒いパリに昨日午後到着。日中の最高気温も二十度前後。吹く風はもう秋の風。午後6時過ぎ、十六区のアパートに北駅から乗ったタクシーで移動。明日から実際の入居者として暮らす娘の代わりに大家さんと入居手続き。自分自身は普段南仏に暮らし、パリに二つアパートを持っている大家さんから鍵を受け取り、簡単な説明を受ける。室内はかなり高い家賃からすれば文句がないとは言えないような状態だが、何も日用雑貨を買わなくてもすぐに生活を始めるのに必要なものはすべて揃っており、光熱水費のうち電気代以外はすべて家賃に含まれ、インターネットも込みだから、一年未満の滞在のためならば、まあ仕方がないかといったところか。九階建ての建物の最上階、二つの窓からはパリ南西郊外が一望の下。その展望の中には残念ながらパリの観光名所はまったく入っていないが、曇天でも日中は十分な光が室内を満たす。視界の前景にはÉglise d’Auteuil の尖塔だけが虚空に聳える。同名のメトロ十番線の駅の出口の通りを挟んだ斜向かいの建物がアパートの入り口。アパートがある建物は中庭の奥にあり、日曜日の昨日、聞こえてくる音と言えば、教会の鐘の音だけ。高級住宅地である十六区の住人の大半はまだヴァカンス中、辺りはひっそりとしている。月曜日の今日、近所の工事現場の足組用の資材を移動させる音だけが最上階まで響いてくる。
 今日の夕方からこのアパートで来年五月末まで生まれて初めての一人暮らしをする娘は、今フランスに向かっている機上の人。少し過保護だよなあと思いながらも、午後シャルル・ド・ゴール空港まで迎えに行く。昨日、空港まで迎えに来てほしいかと私自身の出発直前に羽田からメールで聞いたら、一言「来ていただきたいです」と慇懃(無礼とまでは言わないでおこう)な返事がすぐに返ってきた。二十歳の娘は、今までろくに自分の部屋の掃除もしたこともなく(掃除が大好きで、いつも部屋が整理整頓されていないと落ち着かない父親の娘がである)、料理もほどんどしたことがない(一人暮らしのフランスでは外食や惣菜にはほとんど頼らず毎日健気に自炊している父親の娘がである)。どうなることやらとどうしても心配になってしまうのは、これまで九年間日本とフランスで離れ離れに暮らしていたとはいえ、それでも失われたわけではない親心というものなのだろうか。明後日の夕方ストラスブールに戻るまでの三日間、一人暮らしの立ち上げに付き合う。


夏休み日記⑭ 羽田空港国際線ターミナル出発ロビーから

2014-08-17 09:01:00 | 雑感

 これから残りの夏休みを海外で過ごそうという人たちで混みあう羽田国際線ターミナル出発ロビーでこの記事を書いている。先ほど二つのスーツケースをJALのカウンターに預けたとき、二つで四十八キロになってしまい、本来なら超過料金を請求されるところだったが、幸いにも、「次回からお気を付けください」とにこやかに許してくれた。幸先の良い帰路である。
 この夏の滞在は四週間足らずと、いつもに比べて半月ほど短く、会いたいと思っていたすべての人たちに会うことはできなかった。しかし、病気を抱え、毎週治療のために通院しながらも、それなりに元気にしていて、身の回りのことは体力の許すかぎり自分一人でこなしている八十三歳の母と、久しぶりに多くの時間を一緒に過ごすことができたのは幸いであった。いつまでも頼りにならず、心配ばかりかけている親不孝な息子である私は、そのような母の姿を見るにつけ、有り難く、勇気づけられるばかりであった。
 体調さえ許せば、今年のノエルに今一度ストラスブールを訪ねたいという母の願いが叶うことを心より祈っている。妹夫婦も母に同行するつもりでいてくれる。
 あと一時間余りで搭乗開始である。一八日の記事はパリからになる。


夏休み日記⑬ この夏の日本滞在の終わりに母の話を聴く

2014-08-16 22:58:29 | 雑感

 今日も午前中はプール。十三日連続。プール開放は明日までなのだが、明朝六時には実家を出発しなくてはならないので、残念ながら、最終日は行けない。でも、十分に利用させていただいて満足。
 昼、母と二人で食事をしていると、テレビのニュースで鉄人28号の模型が盗まれた店の話が流れ、それを見ながら母と話していると、不意に母が私に向かって、「あなた、幼稚園の入園試験の知能テストで、問題にはまったく答えず、答案用紙の裏にひたすら鉄人28号の絵を書いていたのよ。それで知能指数48って判定されたのよ」と、私にとって「衝撃的な」事実を明かしてくれる。それでもなぜかその目黒区に今でもある有名なお受験幼稚園に入園できてしまったことで、その後の私の人生は大きく歪むことになったのである(と本人は思っている)。少なくとも、その時に私の人生の基本的方向性が定められてしまったとは言えそうに思う。
 午後、帰国の度に行っているカットサロンで散髪してもらう。これで三ヶ月はもたせる。
 夕刻より妹夫婦が来てくれて、私の帰国前の最後の晩餐。あれこれ四方山話をしていたが、いつしか母が自分の戦争体験を話し始め、その中には私も初めて聞く話もあれこれあり、聴き入る。特に、一九四五年三月の東京大空襲時に父親(つまり私の祖父)と二人まだ東京に残っていた当時十四歳の母が目の当たりにした光景の話には息を呑む。その後疎開先の沼津で受けた空襲時に母親(つまり私の祖母)が四人の子どもたち(私の母は第一子長女)に与えた指示は、祖母その人だけではなく、母方の家族の倫理観を象徴していた。何かとても大切な話を聴くことができたことをありがたく思う。


夏休み日記⑫ 清冽なる古典の泉 『竹取物語』(五) 「かぐや姫」の主題による変奏曲

2014-08-15 18:15:51 | 読游摘録

 終戦記念日の今日も朝プールに行ったのだが、開門十時前にすでに数人待っていた。これまでずっと享受してきた一コースにお一人様という贅沢も今日ばかりは到底無理な話で、一コースに多い時は三人一緒になった。それにしても少し間を置けば自分の泳ぎたい速さで泳げる程度である。いつも十時五十分から十分間の休憩に入るのだが、そこでまた人が増えてきたので、それを機に上がる。
 帰宅してからは、夕方集荷に来る空港宅急便に備えて荷造り。明後日の朝羽田発のJAL便でフランスに戻る。いつものようにスーツケース二つに制限重量ギリギリまで本を詰める。それでもせいぜい数十冊であり、実家にまだ数千冊残っている蔵書が並ぶ書棚を前にして、いつも「選抜」に数時間悩む。今回は日本文学関係の本をまとめて購入したこともあり、蔵書からの選抜はなおのこと難航した。九月からの修士の演習の一つで戦争の記憶という問題を扱うことになるので、それに関連する書籍が「晴れの選抜図書」とは相なった。

 日本の古典であれ外国文学であれ、原文で味読するのが正統派というものであろうが、日本の古典を現代日本語訳で読み、外国文学を邦訳で読むのも、いわばもっとも自分に馴染みのある楽器による変奏曲と考えれば、それはそれで楽しめるだろうし、そこに新しい発見もあるだろう。
 『竹取物語』にはいったいいくつの現代語訳があるのか知らないが、学者先生たちによる現代語訳は、他の作品の場合と同様に、概ね原文への忠実さを第一の規準としており、そこに説明的な補足が挿入されるというのが一般的なスタイルである。あくまで原文をより良く味わうための手立てという以上の役割を現代語訳に負わせることはほとんどない。
 しかし、いわゆる忠実な訳というものはひとまず脇に置くとして、変奏曲としての訳ということをもうちょっと自由に考えてみるとどうなるだろう。
『竹取物語』冒頭のかぐや姫発見のシーンはあまりにもよく知られているし、原文自体平易だが、まずその原文を見てみよう。

その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうて居たり(角川ソフィア文庫『新版 竹取物語』)。

忠実な現代語訳は、例えば、次のようになる。

その竹の中に、根もとが光る竹が一本あった。不思議に思って、近寄ってよく見ると、竹筒の中が光っている。筒の中を見ると、三寸くらいの人が、たいそう可愛らしい姿ですわっている(同文庫版室伏信助訳)。

 しかし、これだと翁がどうやって竹の中を見ることができたのかわからない。新潮古典集成版の傍訳には、「〔切って〕筒の中を見ると」と補足が加えられている。田辺聖子の現代語訳(岩波現代文庫)でも、「竹を切ってみると」となっている。これくらいの付加ならば、読んでいてもさして気にならないし、普通の理屈の上から言っても、切らなきゃ竹の中など見えるはずがないだろうと、一応は素直に納得できそうなところである。
 ところが、高畑勲と共に『かぐや姫の物語』の脚本を書いた坂口理子のノベライス版(『かぐや姫の物語』角川文庫)を見ると、あッと驚くべき細密な描写になっており、もう原文への忠実さどころかその簡素古拙な味わいも完全に吹き飛んでしまっているが、その描写はなんとも魅力的ではある。私はまだ映画そのものを見ておらず(フランスではまだ上映中なので帰ったらすぐに観に行くつもり)、映像ではどう表現されているのかまだ知らないが、現在放映中の連続テレビ小説『花子とアン』の中のセリフじゃないけれど、これくらい「想像力の翼を広げる」ことができれば、これはもう一つの「『竹取物語』の主題による変奏曲」として愉しめばいいのではないかと思える終戦記念日の今日一日でした。


夏休み日記⑪ フランス風創作懐石料理店で思い出話に花が咲く

2014-08-14 11:17:06 | 雑感

 昨日の記事には書かなかったが、昨日も午前中はもちろんプールに行き、十日連続である。言うまでもないことであるが、今朝もプールに行ったから十一日連続白星である。今月四日から始まった同プールのこの夏の開放期間ここまで皆勤しているのは私だけである(このような人様にとってはどうでもよいことをすこし自慢気に書くところが実に大人げないことは自分でもよくわかっております)。

 昨晩は、一昨晩に続いて、レストランで会食。場所は、東横線学芸大学駅東口から徒歩五分ほどのところにあるKANAIというお店。料理のジャンルとしては、フランス風創作懐石料理とでも名付ければよいのであろうか。お酒は主にワインである。私の母が孫である私の娘の数日後に迫ったフランス留学を祝してというのが名目。妹夫婦も駆けつけてくれる。この会食の話が出た当初は、三軒茶屋の寿司屋に行くつもりでいたのだが、生憎水曜日は定休日。娘の方が水曜日しか都合がつかないと言うので、シェフの奥さんと母は旧知であり、私の妹の旦那さんがかねてより勤務校関係の宴席として贔屓にしているということで、この店に決定。実家を起点にすると、三軒茶屋の寿司屋の位置とは百八十度方向転換したことになる。実家から行くと、学芸大学駅の向こう側ということになり、歩いても行けなくはないのだが、ちょっと遠い。妹夫婦が車で迎えに来てくれた。この三月に四十三年間英語教師として勤め上げた神奈川の私立中高一貫校を定年で辞めた妹の旦那さんが激賞する通り、すべての料理が美味しかった。素材のよさを引き立てる控えめな味付けが絶妙であった。シェフお薦めの白ワインを二本と赤ワインを一グラス飲んだが、それぞれそれ自体が美味しかっただけでなく、料理との調和が実によく取れていた。
 お店の壁に掛かっているフランスの地図を見ながら、十六年前の一九九八年クリスマスから翌年初めにかけて母と妹夫婦がストラスブールまで私たち家族を訪ねてきてくれて二週間ほど滞在し、全員でストラスブールから私の運転する車で南仏を中心に十日ほど旅行したときの思い出話など、話に花が咲いた。


夏休み日記⑩ 逗子の小道に潜む創作フランス料理店

2014-08-13 12:13:39 | 雑感

 昨日は午後から逗子に出かける。長年お世話になっている先生ご夫妻のお招きで、逗子にあるフランス料理店に行くためであった。先生ご夫妻とは、先生が十六年前にサバティカル・イヤーで一年間ストラスブールにお二人で滞在されたとき以来のお付き合いである。
 JR横須賀線に新しくできた武蔵小杉駅(この駅について一言文句を言っておくと、既存の東横線とJR南武線の武蔵小杉駅とは徒歩で十分くらいかかるほど離れており、いくら専用通路で結ばれているとはいえ、同じ「武蔵小杉」という駅名を名乗るのはほとんど詐欺に近いと言いたくなるほど遠い)ホームでご夫妻と待ち合わせ、そこからお店までの道中もご一緒した。
 逗子駅からバスで十五分ほど海沿いを下り、元町というバス停で下車。バス停からは徒歩五分ほど。先生がご用意されていた地図を頼りに迷うことなくお店まで辿り着いたが、お店は人がようやくすれ違えるほどの細い路地を入ってしばらく歩いたところにあり、途中看板もなく、店にも普通の表札のように店名が書いてあるだけなので、予めそれと知っていなければ、そのまま通り過ぎてしまうかもしれないような、ひっそりとした佇まいである。先生の高弟であり、私にとっては友人である研究者の妹さんが一人で切り盛りしていらっしゃるお店である。私は今回が初対面。店内は民家をちょっと改造しただけとのお話だったが、周りは普通の住宅に囲まれ、緑も多く、本当に静かで、窓外の隣家の庭の樹々を眺めながら、時間を忘れてくつろげる空間になっている。
 料理は素材の買い出しから下準備、調理、盛り付け、給仕まですべてお一人でなさっているので、ディナーは一日に一組だけ予約で受け付けられているようである。ただ、他方では、地元の方たちにはワイン・バーとして気軽にワインが楽しめる場所としても開かれているとのお話であった。野菜は鎌倉の市場でそこに直接卸している農家の地物を仕入れ、魚もやはり鎌倉の何軒かの魚屋さんでその日その日で自分の目でいいと思われたものを選ばれて使われるとのこと。肉類もすべて調達は鎌倉でなさっているとのことであった。
 前菜からデザートまで全部で八皿頂戴したが、いずれも丁寧に時間を掛けて作られた、実に美味しく創意に富んだ料理ばかり、盛り付けの彩りも美しく、三人共存分に嘆賞。アペリティフからほぼ私一人で一本空けた白ワインは絶品、肉料理に合わせて出してくださった赤の選択も絶妙であったことを付け加えておく。お店の名前は「昵懇 jiccon」、サイトはこちら