七月二九日から八月二日までの博士前期課程の集中講義「現代哲学特殊演習」は、私自身が昨年来取り組んできた田辺元の「種の論理」の批判的考察を、論文「社会存在の論理」(一九三四年)の読解を通じて深めることをその目的としている。
担当四年目になる今年度は、昨年度までのやり方を反省して、より学生たちに発言の機会を与えるようなスタイルに変更した。登録学生が四名と少なかったこともあり、テキストの担当箇所を予め全部決めて、毎日全員に担当箇所の要旨を報告してもらい、それを基に全員で討議するようにした。毎日十頁以上の担当箇所を読んで、その要旨をA4一枚にまとめ、さらにそのポイントを図式に示すことを課題として課したので、ちょっと負担が大きかと危惧したが、全員毎回問題点をよく押さえたいい報告をしてくれている。初回を除いて、毎日演習の終わりには、三十分ほどその日の演習内容についての小レポートを書いてもらっているのだが、そこにも重要な論点の指摘、発展性のある読解のアイデア、急所を突いた疑問等が示されていて、翌日の演習は、それらについての私のコメントや応答を返すことから始める。
演習第4日目の今日は、論文「社会存在の論理」の最も問題的な箇所である国家と宗教の関係をテーマとした節が主な対象だったので、読解は難渋した。私自身、同論文のそれまでの行論自体からして論理的には到底導き難いと思われる田辺の主張に対して全面的に批判的にならざるを得ず、そこから積極的な議論を展開することができずに終わってしまった。
最終日の明日は、まずテキストを最後まで読んだ上で、もう一度テキスト全体について討論する。