昨晩は午後六時半過ぎから午前零時近くまで下北沢の居酒屋で各地の地酒を楽しみながら友人と歓談していたこともあり、今朝はNHKの連続テレビ小説「花子とアン」のオープニングテーマとともにやっと起床。それでもプールには行くのである。初日の月曜日は体がまだ重く、力で泳いでいる感じだったが、それから徐々に体がほぐれてきて、今日は無駄な力を抜いて水に乗れるようになってきた。こうなってくるとますます泳ぐのが楽しくなる。
『竹取物語』の成立年代は、江戸時代以来の学者たちの研究の積み重ねによって、今日、およそ九世紀末というところまでつきとめられている。しかし、作者についての仮説は、いずれも憶測の域を出ず、今後突き止められる可能性も低いというのが大方の研究者たちの見方である。それに作品の内的構造からして、これが一挙にある作者によって書かれたとは考えにくく、そこには多分に伝承的な要素が含まれており、その中には中国古代説話にまでその起源が遡るものもある。とはいえ、専門家たちは、作品内容・文体・思想等から作者の身分・地位・教養等について、様々な仮説を提出している。「その思想や文筆能力からみて、どうしても大学寮出身者か、そうでないにしても彼らと同等以上の学問的素養と知的好奇心に恵まれた人間」であり、「社会の病を最も痛切に感じ取り、同時に人間の力の空しさをも切実に思い知る経験を重ねた人物ではなかったろうか」(新潮古典集成『竹取物語』解説一七〇頁)。岩波の新日本古典文学大系第十七巻『竹取物語 伊勢物語』付録の月報で、小嶋菜温子は、『竹取物語』の作者について、「頭がよくて、どちらかといえばウィットに富むというよりもシニカルで、想像力はもちろん豊か、かつ現実をみつめる鋭い目ももちあわせている」と述べ、さらに、「王朝社会に生きる個々人が、どのような個性を発揮するか。そして同時に、彼らは社会の一員として、いかなる規範にしばられているか。そのことを、〈人間〉への愛情をこめつつ、透徹した眼差しでみつめる」とまで作者の知性の鋭敏さを称揚している。一体誰が誰に向かってなぜこの物語を書いたのであろうか。