内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

夏休み日記③ 清冽なる古典の泉 『竹取物語』(一)

2014-08-06 17:17:00 | 読游摘録

 今朝も十時からプール。この三日間徐々にペースを上げ、距離も伸ばしているが、六月の本調子に戻すにはまだ数日掛かりそう。炎天下の屋上で泳いでいるから、もう全身すっかり日焼してしまったが。
 「何でこんなに暑いんだ!」と言っていても涼しくはならないので、今日からしばらく涼し気な話をしよう。
 月の都の話である。と言っても、宇宙や天体の話ではない。「かぐや姫の物語」のことである。この名称、高畑勲の新作アニメのタイトルと同一だが、もともとは『源氏物語』蓬莱巻に登場する由緒正しい名称である。もっとも、『源氏物語』の中の宮廷の絵合の場面における正式名称は「竹取の翁(の物語)」、「かぐや姫の物語」は女主人公の名による当時の通称と考えられている。
 九月の新学期から担当する講義の一つに学部二年生対象の「日本文学史 上代・中古」がある。日本の高校レベルの文学史の教科書を学生たちに読ませながら、古典についての知識も身につけさせるのがこの講義の狙いだが、そこに出てくる作品の解説と内容紹介だけでなく、代表的な作品の触りも読ませる。今からあれもこれも読ませたいと作品の選択に悩んでいるのだが、それが楽しくもある。『古事記』と『万葉集』はすでに「当選確実」だが、次に何を読ませるか。『古今集』から数首選んだ後は、やはり「物語の出で来はじめの祖」と『源氏物語』において認定されている『竹取物語』であろう。
 この物語の大体のストーリーは日本人だったらだれでも知っていると言ってもいいほどよく知られた古典だし、全体でも文庫本で数十頁の作品だから、読もうと思えば原文でも一日で読める。しかし、新潮古典集成版の野口元大の解説の冒頭にもあるように、『竹取物語』には、子どもたちにもよく知られたその他の昔話とは何か一味違ったところがある。今も私たちの想像力を刺激する魅力を湛えている。高畑勲の作品もその証左の一つであろう。「このようにある民族の魂に深く強く刻みこまれ、しかも時世を経て清新な魅力と創造的契機を失わないものを、「古典」と呼ぶならば、『竹取物語』こそ、日本人にとって古典中の古典である」(同解説八九頁)。
 このような作品を日本について学んでいるフランス人学生たちに読ませるのは、だから、まったく正当なことだと言えよう。
 それに、実を言うと、『竹取物語』に私が特に注目するのは、作品そのものの面白さや奥深さだけからではないのである。フラス人学生たちの中にもジブリの作品の熱狂的ファンは多いのだが、ほとんどが宮﨑駿の作品しか知らず、私の大好きな傑作『ホーホケキョ となりの山田くん』の話をしても、全然興味を持ってくれないのをかねがね口惜しく思っていた。『かぐや姫の物語』も、フランスでは今年の六月二五日が劇場公開日だったのだが、どうやら興行的には完全に「はずれ」だったらしいのである。だから『竹取物語』をうまく紹介することによって、彼らの『かぐや姫の物語』に対する関心を高めたいと思ってもいるのである。それに、そこから逆に日本の古典への関心を深める契機も生まれて来るだろう。