内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

18年ぶりに東京の実家で過ごす年末年始

2013-12-21 15:43:00 | 雑感

 20日午前11時シャルル・ド・ゴール空港発羽田行の日航・エール・フランス共同運航便AF282(JL042)で一時帰国の途につく。翌日つまり今日の朝6時45分羽田着。飛行機が房総半島上で大きく北西に旋回するまでの数分間、八合目辺りまで雪に覆われた富士山が、その手前の丹沢山系のうっすらと冠雪した山並みを前景として従え、青空を背景にくっきりとその全姿を見せていた。羽田からはまずリムジンバスで渋谷まで移動。羽田を出てからレインボーブリッジを渡るまでの間にも、富士山がよく見えるところが何ヶ所かあったが、上空からの眺めとは違って、手前の丹沢山系がまるで屏風のように富士山の裾野を隠していて、これはこれで別の冬の富士の一景として眺め入る。渋谷からはタクシーを利用し、実家に9時過ぎに到着。気温だけ比較するとパリとそう変わらないのに、東京の方がパリより寒く感じる。風が冷たいせいだろうか。2009年からは毎年帰国するようになったし、以降多い年は年三回帰国したこともあったが、年末年始はなかなか機会がなく、実家で年末年始を過ごすのはこれが十八年振りになる。記事として書くわけにはいかない諸般の事情により、楽しくのんびりヴァカンスを過ごすというわけにはとてもいかないのだが、今日から1月6日までの半月あまりの東京滞在中もこのブログの記事投稿は続けていく。









新しき門出を祝い、家庭の幸福を願い、そして嘆かわしき現実に引き戻され

2013-12-20 07:32:00 | 雑感

 今日(19日木曜日)午前中は、インターシップ・レポート二つの口頭試問。試問は修士課程責任者のドイツ人と私の二人でする。どちらのレポートもとてもいい出来。特にフランス日本大使館で研修した学生は将来有望。今年の修士二年生たちは、全体としてインターシップでいい結果を収め、こちらとしてもとても嬉しい結果が出た。彼ら彼女たちの今後の活躍を心から祈る。
 昼は、年末恒例の学部の納会。といっても教室を使って持ち寄りでするささやかなもの。年度の途中で定年を迎えた同僚、他の教育研究機関へ転任する同僚、結婚、出産をした同僚(ここで同僚というとき事務方も含む)への祝福の会でもある。
 午後は、学部の学科責任者会議。これはもう内容を書く気になれないほどの絶望感に会議後の帰路陥る。主な議題は、学生たちから不平・不満が噴出している教員たちのことだった。他学科のはじめて聞く話もその中には多く、とにかく唖然とする話ばかり。学生たちが怒るのを通り越して、呆れているのも無理もない。日頃学生たちの振る舞いをあれこれ嘆いている教員側としては、教員側のこうした呆れた行動に対しては断固たる措置を取らざるを得ないのは当然であると思う。二つだけ例を挙げておく。一つ目は、英語教員の例。学生たちに英語で発表させるだけでコメントなし。しかも学生たちの発表中、教員本人は教室の後ろの方の席に座りスマートフォンでフェイスブックをチェックしている(!)これ、正教員の例ですよ(実はこの教員だけでなく、同様の例がスペイン語教員にもあったという報告)。もう一つは、非常勤の例。といっても初等中等教育の監察官(つまり国民教育に責任を持つ立派な国家公務員様でございます)。このご婦人は、一回二時間の授業に毎回のように40分位遅刻してきて、しかも講義中に携帯に電話が入ると、それを受け、教室から出てしばらく戻ってこないということが一再ならずあったという… 理由? 仕事の電話だからですって(!)
 本当はこんなことが書きたかったのではなかったのですが(それは明日以降ということで)、今日はこの他にもいろいろあって大変疲れておりまして、まあ「おフランス」の現実の一面ってこんなものなのでございますのよ、という、まことにもってつまらない話で恐縮でございますが、今日はこれでお暇させていただきます。












学期末試験、年内最後の演習・講義

2013-12-19 06:20:00 | 講義の余白から

 今日(18日水曜日)の午前中は、本務校の学部一年の講義「日本文明」の試験。受験者64名。大きな階段教室を使う。試験監督のアルバイトが一人つく。一切持ち込み不可の試験の場合、人数が多いと、学生たちに荷物を入り口脇に置かせ、筆記用具と学生証以外は何も持たせずに、一定の間隔を空けて着席させるだけでも一仕事であるが、私の講義の試験はいつでもすべて持ち込み可だから、その分手間がかからない。答案作成のためにノート・資料だけではなく、パソコン、タブレット、スマートフォンすべてOK。ネットに接続して情報を検索してもいい。とにかく持てるものを総動員して答案を作成せよというのが私の意図。それに、もしそうしたければ、そしてそれが周囲に迷惑をかけなければ、iPodなどで音楽を聴きながら答案を書いてもいい。実際、数人だが、それを実行している学生たちがいたが、何の問題もなかった。
 試験問題は一問だけ。それも講義の最終回で、問題領域を三つに限定してあったので、学生たちはそれにそって準備してくればよいことになっている。その三つの領域とは、聖徳太子の十七条憲法に見られる政治思想、鎌倉幕府の成立のプロセス、慈円の歴史観である。今回の試験問題は、十七条憲法の第一条全文の仏訳を与え、「テキスト成立時の歴史的背景を簡単に説明した後、自由に意見を述べよ」という問題。試験時間は一時間と短いから、ちゃんと準備してこない学生は、たとえたくさんの資料を持ってきても、まともな答案を書く時間がない。周到な準備をしてきたか、思考能力がどれだけあるかは、だから、すべて持ち込み可でも、いや、そうだからこそ、よりはっきりと答案から読み取れる。採点基準はとても厳しい。平均点は、だいたいいつも20点満点で10点前後。つまりたいていの学生は合格点すれすれしか取れない。優秀な答案でも15点くらいが限度。16点はもう本当に例外的。他方、量的にはあれこれ書いてあっても、全然議論になっていない場合は4、5点しかあげない。
 修士の演習では、内田樹の『下流志向』(講談社、2007年)第三章「労働からの逃走」の最初の三節「自己決定の詐術」「不条理に気づかない」「日本型ニート」を読む。時間の制約から、最初の二節は私の方で内容を手短に解説し、「日本型ニート」を全員に少しずつ原文を読ませながら、ゆっくりと読んでいく。そこでは日本との比較対象のためにイギリスとフランスの例が挙げられているからだ。予想通りだったが、いろいろと反応があり、特に日本社会と英仏社会とを対比してその違いを強調している箇所には、多くの批判が出た。彼らは当然のことながらフランス社会を内側からよく知っており、テキストの例に対して具体的な反証を挙げることができるからだ。私自身、こういういささか安易と言わざるをえない図式的な比較論にはとても批判的であり、とりわけ日本だけを特殊化してみせる議論は、その特殊化自体が目的化していることが多く、仮にそこに幾分かの真理が含まれてるとしても、何らそれは問題の解決には役に立たないし、その糸口にさえならないことが多い。とはいえ、演習の目的は、こういう類のテキストを読ませて、学生たちの反応を引き起こすことにあったから、その意味では「狙い通り」だったと言えるだろう。
 さて、イナルコの講義「同時代思想」である。大森荘蔵の紹介的解説は15分ほどでさっさと済ませ、すぐに大森のテキストの読解に入った。「誰々によれば」といった類の他人の説に依拠しながらの哲学用語に覆われた「専門的」議論ではなく、いきなり私たち誰にでもある日常的経験の観察から始まる、日常言語による徹底した哲学的議論の一端にでも触れてほしかったからである。テキスト読解のための何の準備もなく、しかも哲学の素養も不十分な学生たちにとっては、議論についていくのは容易ではなかったはずである。テキストは読みやすい日本語で書いてあるのに、いやだからこそ、日本語として理解はできるけれど、大森の主張には納得できない。それぞれの箇所で何が問題なのかを説明を交えながら、私がテキストの仏訳を口頭でつけていくとき、彼らなりに問題を考えているのがよくわかった。他我論、虚想論、ことだま論、立ち現れ一元論、過去の制作論、どれをとっても一回聴いただけではとても納得できなかったと思うが、何か徹底した仕方でそれぞれの問題が考え抜かれているということだけは、少なくともわかってもらえたと思う。テキストを読みながらいくつかの質問に答えるだけで、学生たちと議論に入るところまでは行けなかったが、予備知識なしのたった一回の講義としては、まあよしとすべきといったところであろうか。
 これで年内の講義はすべて終了。明日の修士二年のインターシップ・レポートの口頭試問が今年の仕事納めとなる。これからそのためのレポート読み。












多様なる断章的思考 ― パスカル・ニーチェ・ヴィトゲンシュタイン・ノヴァーリス

2013-12-18 03:53:00 | 哲学

 断章形式の文章と言っても、様々なタイプがある。そのタイプの違いは、思考のスタイルの違い、志向されている価値の違いでもある。
 パスカルの『パンセ』は、断章として書かれることが最終的な目的とされていたわけではない。それはキリスト教弁神論という一著作として纏められることがパスカル自身によって目指されながら、その早逝のゆえ、草稿がいくつかの束として遺された結果、それがパスカル没後、様々な編集過程を経ることになり、今日でも、それぞれ非常に異なった編集方針のもとに構成された『パンセ』がいくつか流通している。最初に広く普及したのがブランシュヴィック版だったので、便宜上この版の断章番号で引用されることがいまだに多いが、この版の編集方針はパスカルの意図から大きく離れている。だからパスカルの専門家たちにとっては、草稿全体をいかにパスカルの意図に従って読み直すかということが最大の問題になるわけである。しかし、それはそれとして、専門家でない読者としては、そのような学問的問題意識から離れて、個々の断章を自由に読むことで思考が触発されるということもあっていいだろう。
 ニーチェの場合は、断章そのものが思想表現のスタイルとなっている典型的な例だろう。ある一定の秩序・体系の中に収まってしまうことを拒否し、論証という手続きを経ることなしに、端的に問題の核心に切り込んでいくことをこのスタイルは可能にする。ニーチェの思考は、断章という形式の中で散乱していたわけではなく、むしろその全体は鋭敏な直観に貫かれていたと言うことができるだろう。
 ヴィトゲンシュタインの場合、『論理哲学論考』と『哲学探究』とでは、見かけ上はいずれも短い文章の連鎖からなっているという共通点を除けば、まったく違った意図によって断章形式が採用されている。前者は、その数段の階層性を持った番号付けが示しているように、入念な配慮のもとに順序と構成が考えられた一つの全体をなしている。後者は、あるところまではヴィトゲンシュタイン自身によって断章の配列が熟慮されているが、しかしそれは最終的に一つの完成した全体を目指しているのではなく、おそらくヴィトゲンシュタインの哲学的探究が続くかぎり閉じることのない、開放的な思考の連鎖を示している。
 ノヴァーリスの場合、知友をして「三倍の内容を三倍の速度で話す」と言わしめた超高速回転頭脳と健康に恵まれなかった身体的条件とが必然的に選ばせた思考の表現スタイルがその断章形式であったと言えるように思う。有限な人間存在には到達不可能な絶対性を明示的あるいは暗示的な仕方で志向するそれぞれの断章間の「生の飛躍」をどう埋めるかによって全体像は多様な仕方で結ばれ得るのであり、そしてそれは可変的であること止めることはない。この全一なるものを渇仰する永遠の可変性・変幻性がノヴァーリスの断章形式においは思考の積極的価値として息づいていると言えるだろう。それが現代においてノヴァーリスを読む者の裡にも、その心の奥深くに眠っていたロマン性 ― ある時代と文化に限定された思想運動としてのロマン主義ではなく ― を目覚めさせ、無限な多様性を超え包むものへと向かう思考を刺激してやまない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


天地有情から世界のロマン化へ ― 最後の大森哲学からノヴァーリスの夢へ

2013-12-17 02:50:00 | 哲学

 今日(16日月曜日)は、午前中、昨日の続きで大森荘蔵の仏訳。この講義用抜粋集は、大森荘蔵の諸著作から年代順に「さわり」を集めたもので、特に大森が独自の仕方で問題提起をしている箇所、あるいは大森固有の主張をしている箇所だけを選んでいるので、それぞれの置かれた文脈を講義の際には説明しないといけない。しかし、抜粋集の最後に選んだ文章だけは、全文掲げた。その全文を今日の昼過ぎに訳し終えた。その文章とは、大森が生前公表した最後の文章で、「自分と出会う ― 意識こそ人と世界を隔てる元凶」というタイトルで、1996年11月11日付朝日新聞に掲載された、全文で1600字余りの小エッセイである。『大森荘蔵セレクション』(平凡社ライブラリー、2011年)の四人の編者の一人、野家啓一によれば、「小論ながら、「最後の大森哲学」とでも呼ぶべき境位を示している」(同書361頁)。
 人は喜怒哀楽の感情を「心の中」にしまい込みがちだが、事態は逆で「世界は感情的なのであり、天地有情なのである」と大森は主張する。では、近代の宿痾とも見なされる心身二元論的構図から、大森の言う「人間本来の素直な構図」に立ち戻るのにはどうすればよいのか。そのために、「難解だけが売り物の哲学や、思わせぶりの宗教談義は無用の長物、ましてや、「自然と一体」などという出来合いの連呼に耳を貸す必要はない」と大森は言い切る。その直後の結論部にあたる最後の短い二段落をそのまま以下に引用する。

 我々は安心して生まれついたままの自分に戻れば良いのだ。其処では、世界と私とは地続きに直接に接続し、間を阻むものは何もない。
 梵我一如、天地人一体、の単純明快さに戻りさえすれば良いのだ。だから人であれば、誰にでも出来ることで、たかだか一年も多少の練習をしさえすれば良い。(同書455頁)

 だが、問題はまさにここから始まる、と私は考える。いわば私たちの心を世界に返還したところから、〈世界〉の問題が〈私〉の問題になる。そこにおいてはじめて、この世界において〈働く〉とはどういうことなのかが問われうる。このように言うとき、私の念頭にあるのは、12月15日付の記事で言及したノヴァーリスである。その哲学的断章の一つで、この「クリスタルの如く輝き、花粉の如く漂って止まぬ」と知友によって称賛された、ドイツロマン主義の最も輝ける若き天才は次のように言う。

世界をロマン化しなくてはならない。そのようにして初めて本源的な意味が再び見出される。ロマン化とは、質的な潜在性を充填することにほかならない。この過程を通じて、低次元の自己は、より良き自己に同一化される。私たち自身はこのような一連の質的力能なのである。この操作はいまだまったく未知のままである。日常的なものに高次の意味を、共通するものに神秘的側面を、既知のものに未知なるものの尊厳を、有限なるものに無限なるものの見かけを与えるとき、私はそれらをロマン化することになる。この操作は、最も高次のもの、未知なるもの、神秘的なるもの、無限なるものにとっては、逆転する。より下位のものとの繋がりによって、これらのものの逆転された操作は、論理的諸階梯に分節化される。この逆操作は、日常的な表現を受容する。

Novalis, Le monde doit être romantisé, Allia, 2008, p. 46.

 ここからまた新たな一つの哲学的思索・詩作が始まるだろう。












大森荘蔵を日本語原文で読み、フランス語で哲学の議論をする

2013-12-16 01:06:00 | 哲学

 今日(15日日曜日)は、朝四時半起床。昨晩の就寝は午前零時前後で早かったわけではないのに、目覚めもすっきりとしていたので、ベッドからすぐに起き出し、水曜日の講義「同時代思想」のために大森荘蔵の抜粋集の仏訳を始める。抜粋集そのものは、すでに昨年の講義のために作って使ったものを再利用するのだが、昨年の講義では、授業中に口頭で仏訳をつけていったので、時間もかかり、テキストを全部読みきれなかった。今年も別に全部読む必要は必ずしもないし、二時間全部読解に充ててもおそらく完読は無理なのだが、昨年よりは解説的な話を減らし、テキスト読解により多くの時間を充てたいと思っている。
 というのは、前回までに取り上げた九人の哲学者・思想家たちの文章は、内容理解のことはさておいて、構文と語彙のレベルだけに話を限っても、学部三年生(フランスでは学部最高学年)にはいくらなんでも難しすぎて、結果として私が解説しながら訳していくのにもとても時間がかかり、彼らにしてもとても歯がたたない文章ばかり読まされて辟易しているところもあるだろうから、彼らの日本語能力でも構文的・語彙的には理解できそうな文章を最後くらいは与えたいというのが理由の一つ。
 もちろん、そのような消極的な理由からだけではなく、大森の文章が、現代の標準的な日常言語レベルの日本語で、どこまで徹底的に哲学的に考えることができるかということの、一つの良い見本であるからという積極的な理由もある。
 それに、去年の試験で、西田、九鬼、和辻、三木、丸山、大森の六人から選んだテキストを与え、その中から二つ自由に選び、両者を訳した上で、両者に共通する問題を引き出し、それについて論ぜよ、という問題を出したのだが、一番人気は大森、ついで九鬼であった。やはり、フランス人学生にとっても、大森の文章は与しやすしと見えるようで、それは他の哲学者の文章と比べれば当然とも言えるわけだが、それだけ問題そのものについてよく考えた答案も多かったのである。
 大森自身、大森の主張を繰り返すだけのエピゴーネンを軽蔑すると公言していたわけで、実際、彼の弟子たちは皆、彼に反論することで自らの哲学的思考を鍛えていった。私自身、彼の直弟子の一人の修士・博士課程共通演習に一年間出席したことがあるが、まさにそこでもその大森の哲学する姿勢は順守されていた。つまり、どんな主張も徹底的に吟味された。この演習のお陰で、哲学するとはどういうことか少しわかったような気がしたものである。今から二十年余り前の話である。
 大森の主張には、全然納得できないところも私自身多々あるし、今回仏訳しながら、構文として案外曖昧なところにあらためて気づかされ、そのあたりがちょうど問題の核心に触れているところでもあるので、今度の水曜日の講義では、大森の文章を日本語原文で読みながら、特に「立ち現れ一元論」と「ことだま論」について、学生たちとフランス語で哲学の議論をしたいと思っている。


熟成を待つ ― 読書日誌から

2013-12-15 04:18:00 | 雑感

 今週水曜日の講義が終わった後は、木・金・土と、様々な分野に渡る数十冊の本を机の上に積み上げて、終日読み散らしていた(プールには先週木曜日から毎日休まずに通っている)。ときどきこういう状態に陥る。
 ある本を数頁読んでは、別の本へ、ということを繰り返し、また最初の本に戻ったりもする。そうしながら、いくつかのアイデアが形になるのを待つ。待つといっても、待っていれば必ずアイデアがやってきて形になってくれるわけではない。しかし、たいていは一つや二つは形になってくる。そうなれば、それを反芻し、より形を明確にしたところで、寝かせる。というか一旦忘れる。そのアイデアがそれでも生きていれば、その忘れられている間に熟成される。それが数日か、数週間か、数ヶ月か、あるいはさらに長い期間になるかは、そのアイデアの深みと広がりによる。なんかちょっと酒造りみたいである。
 このような傍目から見れば呑気な読書三昧にしか見えないであろう何日間かは、果てしなく続く研究生活という耐久レース中のピットインみたいなもので、ときどきこうして燃料補給とタイヤ交換をしておかないと、コース上でトラブルが発生し危険であり、最悪リタイアという結末にもなりかねないから、どうしても必要なのであると自分で自分に言い訳をしている(それにしても三日は長すぎるという意見もある)。
 そのようにして読み散らした数十冊の本の中から、これからの思索と研究へのヒントあるいは手掛かりを特に与えられた八冊の本を挙げておく。
 佐竹昭広『萬葉集抜書』(岩波現代文庫 2000年。初版は1980年)。井筒俊彦が「畏友」と呼ぶこの日本古典文学研究の傑出した碩学が萬葉集に即して自らの方法論の精髄を示した名著。
 吉本隆明『源実朝』(ちくま文庫 1990年。初版は1971年)、『西行論』(講談社文芸文庫 1990年。初出は大和書房刊『吉本隆明全集撰6』1987年)。詩人・思想家である吉本にしてはじめて可能な、日本文学史上最も純粋かつ深い二つの詩魂の洞察に満ちた読解。
 Olivier Schefer, Novalis, Paris, Éditions du Félin, 2011. フランス語による初の本格的なノヴァーリス伝。二九歳で夭折したこの天才詩人哲学者の目も眩むような多様性を包蔵した作品群と膨大な断章からなるその全体を、「詩と科学の統一」という壮大なロマン主義的企図の中に位置づける。この伝記の著者は、仏語版ノヴァーリス全集を翻訳・編纂中だが、その過程での成果として、ノヴァーリスの断章集を Le monde doit être romantisé というタイトルでAllia から袖珍本として2002年に出版している。
 Gabielle Ferrières, Jean Cavaillès Un philosophe dans la guerre 1903-1944, Paris, Éditions du Félin, 2003. 二十世紀前半のフランスの論理学・数理哲学の分野で決定的な業績を上げながら、レジスタンスの闘士として1944年四一歳でナチス・ドイツに銃殺された不世出の哲学者・論理学者カヴァイエスの、三歳年上の姉の手になる感動的な伝記。この再版のための前書きを Jacques Bouveresse が書いている。巻末には、カヴァイエスの親友の一人だったバシュラールが1950年に書いたカヴァイエスの業績について解説が併録されている。
 Hervé Pasqua, Maître Eckhart Le procès de l’Un, Paris, Cerf, 2006. エックハルト思想を〈一〉と〈存在〉の関係という大きなパースペクティヴの中に位置づけ、自らの新プラトン主義的な観点から、エックハルトを批判的に検討し、それを超え出る方向性を示そうという野心的な試み。
 Pierre Gire, Maître Eckhart et la métaphysique de l’Exode, Paris, Cerf, 2006. 1989年に国家博士論文として提出された大論文の抜粋版(といっても400頁以上の大著)。エックハルトの『出エジプト記注解』を主たる対象として、「我は在りて在るもの」という根源的な聖書の言葉を出発点として、同注解における形而上学・神学・神秘主義という三重の言語の交錯の中に、生ける神の経験、キリスト教の三一なる神 ― 絶対的生がそこに生れる神が読み解かれる。
 Georges Friedmann, La puissance et la sagesse, Paris, Gallimard, 1970. カヴァイエスとも親交があった社会学者の、決してそれとしては書かれることなかった知的自伝の代わりとなる、生きられた時代状況の只中での内省的断章。Pierre Hadot が « Exercices spirituels » (Exercice spirituels et philosophie antique, Albin Michel, 2002) の冒頭にその一節を引用している。1942年8月3日の日付をもった断章の一部である。それを原文のまま以下に引用し、今日の記事の締め括りとする。

« Prendre son vol », chaque jour ! Au moins un moment, qui peut être bref pourvu qu’il soit intense. Chaque jour, un « exercice spirituel », — seul ou en compagnie d’un homme qui, lui aussi, veut s’améliorer.
Exercices spirituels. Sortir de la durée. S’efforcer de dépouiller tes propres passions, les vanités, le prurit de bruit autour de ton nom (qui, de temps à autre, te démange comme un mal chronique). Fuir la médisance. Dépouiller la piété et la haine. Aimer tous les hommes libres. S’éterniser en se dépassant.
Cet effort sur soi est nécessaire, cette ambition — juste. Nombreux sont ceux qui s’absorbent entièrement dans la politique militante, la préparation de la Révolution sociale. Rares, très rares, ceux qui, pour préparer la Révolution, veulent s’en rendre dignes (ibid., p. 359-360).













愛の悲劇の美しい音楽的絵巻物 ― プロコフィエフ『ロミオとジュリエット』全曲

2013-12-14 02:24:00 | 私の好きな曲

 演奏にもよるが、全曲で2時間半ほどかかるバレエ音楽。舞台を観たことがあるのは、今を遡ること四半世紀以上前、上野の東京文化会館でのレニングラード・バレエ団の公演一度だけ。後はもっぱらCDで聴くばかりだが、全曲にわたって鏤められた多彩な美しいメロディーは、時に溜息をつきたくなるほど。抜粋や組曲では何種類かの演奏を聴いたことがあるが、全曲盤というと、ロリン・マゼール指揮・クリーヴランド管弦楽団の1973年の録音とワレリー・ゲルギエフ指揮・マリインスキー劇場管弦楽団の1990年の録音だけ。この後者は、数年前に数回聴いただけで今ではお蔵入り。前者は私の長年の愛聴盤。これはもうバレエのための伴奏音楽などではなく、華麗な絵巻物のように繰り広げられる絶美の音の世界。マゼールは、ジョージ・セルに鍛え上げられたクリーヴランド管弦楽団の性能を最高度に引き出し、とことん磨き上げられた音作りに見事に成功している。マゼールのクリーヴランド時代を代表する名演。今この記事を書いている間も同盤番を聴いている。演奏時間は合計で2時間20分を超えるが、冒頭の前奏曲から最後のエピローグ「ジュリエットの葬儀-ジュリエットの死」まで通して聴いても飽きるということがない。特にクリスマスが近づいてくるとなぜか聴きたくなる。


愛情に満ちた名曲 ― バッハ、フランス組曲 第五番 ト長調

2013-12-13 02:12:00 | 私の好きな曲

 七つの異なった舞曲から成る、典雅にして躍動感・軽快感をも備えた名曲。六つの「フランス組曲」中最大規模だが、各楽章の多様性とそれを際立たせる緊密な構成のゆえに、まったく冗長さを感じさせない。バッハの鍵盤曲の最高傑作のひとつとされる。作曲年代で先立つ「イギリス組曲」に比べて、当世風のギャラント様式をより意識し、慣習的な語法をより積極に取り入れて作曲されているので、それだけ洗練されているように聞こえると言われる。それよりもなによりも、作曲者の愛情に満ちた曲であることを強く感じる。2度目の妻アンナ・マグダレーナに最初に贈った曲集「クラヴィーア小曲集」に、このフランス組曲の第1~5番の5曲が含まれているということをたとえ知らなくても、いや、むしろそんな余計な知識はないほうがその曲自体に込められた愛情を直によく感じられるのではないだろうか(事実最初に聴いたときは、そんなことは何も知らなかった)。
 実際、私は「フランス組曲」の方を好む。でも、「イギリス組曲」にはペライアの名演があって、これは大好き。全曲中どこを聴いても、類稀な音の美しさを堪能できる。一時はこればっかり聴いていたほど。「フランス組曲」については、それほど決定的な演奏には出会っていない。グールドの演奏には、何か突然ふらっとひとの家にやってきて、そこに偶々あったピアノで思いのままに弾いているかのような至近感を聴きながら感じるが、弾き終わったらさっさとまたどこかにいってしまったかのような孤独感を後に残す。ケンプは、五番だけしか聴いたことがないが、滋味溢れる演奏。シフのは、模範的な楷書体の晴朗な演奏。ガヴリーロフの演奏には、しっとりとした親密感がある一方、楽章によっては躍動感にも欠けていない。楽章ごとの舞曲としての性格の違いが際立っている、とても良い演奏。チェンバロによる演奏は、クリストフ・ルセの一枚しか持っていないが、五番はとても綺羅びやか。録音の特筆すべき秀逸さもあって、この一枚で満足している。








再び世界は、私に向かって開かれた ― 井筒俊彦から川上弘美へ

2013-12-12 07:36:00 | 講義の余白から

 今日(11日水曜日)、朝は昨日と同じプールへ。昨日より空いていて快適に泳げたが、残念ながら30分ほどで上がる。午前中に、本務校で、来年度日本留学希望者のためのガイダンスと来夏の日本語研修希望者のための説明会があり、この二つのプログラムの責任者なので遅刻するわけにはいかないからである。ガイダンスには三十名近い出席者。定員枠は十四名なので選考は厳しくならざるを得ない。語学研修の方はほどほどの希望者で安堵する。受け入れ大学の方でホスト・ファミリー探しに毎年苦労されているので、参加者はあまり多くない方がいい。
 この二つの会議の後は、修士の演習。今日はテキストとして選んだ三浦展『下流社会 新たな階層集団の出現』からの抜粋を読み終えた後、面白い議論になった。フランス社会において、なぜ自分たち学生が就活においてモチベーションを維持するのが難しいか、自分の実際の経験を基に話してくれた女子学生がいて、そこから大学教育と社会とのあり方に話が発展した。ところどころ日本語を交えながら、主にフランス語で議論することになったが、発言はしなかった学生も非常に注意深く耳を傾けていた。とにかく大人しい「お嬢さんたち」が多い(出席十五名のうち男子学生一名)ので、教室での議論はいつも一部の学生たちがリードすることになりがちだが、毎回授業の後にメールで送ることを義務づけている「授業のまとめ」を読むと、皆さんそれぞれに考えているのである。こういうことをさせる授業は他にないから、自分の意見を述べることができるいい機会と捉えてくれているようで、それはこちらの望むところでもある(これを日本語でできれば言うことないのですがね)。
 さて、イナルコの講義「同時代思想」である。私自身としては話しやすいテーマであったので、かなり調子よく二時間話せたのであるが、学生たちの反応は見事に二つに分かれた。それが面白いほどであった。もうまったく何が問題なのかさえわからないという途方に暮れた様子をあからさまに示す学生たちと、非常に強い関心をもって耳を傾け、しかも実に的確な質問をしてくれて、勘所をちゃんと抑えてくれた学生たちとに綺麗に分かれたのである。
 冒頭では、井筒の天才的語学力にまつわるいくつかのエピソードを話し、そこまでは皆面白がって聴いていたが、一昨日このブログでも話題にした、井筒が少年期に父親から教わった内観法について、それを語っている『神秘哲学』序文の原文を読みながら説明するところから、反応が分かれ始めた。意識の多層性、文字表記とその背後にある心の動き、語りえぬものの経験などの問題に何らかの仕方で自分自身考えるところがある学生たちは、そこから俄然集中力が増したようである。だから、いよいよ『意識と本質』の本文を読む段階になっても集中力が落ちなかった。他方のグループは、自分たちにはまったく理解不能な何か異語のようなものを私が話しているかのような印象を持ったようである(そう顔に書いてありました)。しかし、どちらかといえば、後者の方が少なかったので、そっちは放っておいて、勢いに任せて話を続けた。実際に読めたのは、『意識と本質』最初の十頁ほどに過ぎなかったのであるが、それだけでも十分なインパクトがあったようである。
 講義の残り時間が五分になったところで、テキスト読解を中断し、井筒が言うところの言語的分節化によって与えられる世界が失われるとき、どのような事態が発生するかということの例証として、井筒自身が挙げているサルトルの『嘔吐』とはまったく別のテキストを学生たちに与えた。それが、川上弘美の「Monkey」と題された、わずか四頁ほどのエッセイである(『あるようなないような』 中公文庫、二〇〇二年、152-156頁)。このエッセイの中で、川上弘美は、幼少期にアメリカで経験した言語不通状態、その結果として彼女の身に起こった生理的反応、教室から眺める風景の立ち現われ方、そして、彼女が発した最初の英語の一文がそれまでの世界を一変させたこと、それらをとても印象深く、かつさりげない筆致で語っている。
 まだ英語が一切わからず、ただ頭上を英語が自分には無関係な音の連なりとして飛び交っている間は、「風景に意味はいっさいなかった。どの風景も、あわあわと過ぎてゆくばかりだった」のである。ところが、ある日、彼女は、教室に昼食としてバナナを持ってくる。そうすると、当時の教室では、そのようにバナナを持ってきた生徒は、必ず「〇〇は猿だ」と囃し立てられるのがお決まりだったから、案の定、彼女も同様に、「Hiromi is a Monkey」と囃し立てられる。ところが、その時、ふと、彼女は、その表現「Hiromi is a Monkey」をそのまま自ら高らかに唱えるのである、彼女を囃し立てるクラスの連中の只中で。「まさにその瞬間から、わたしの英語習得は始まり、世界は艶と色を取り戻した。」それは彼女が世界を取り戻した瞬間、「ふたたび世界は、わたしに向かって開かれた」瞬間である。世界とそこにおける自分が新たな仕方で分節化された姿で立ち現れた瞬間である。