内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

井筒俊彦のエッセイ「「気づく」― 詩と哲学の起点」に触発されて

2013-12-11 03:20:00 | 詩歌逍遥

 今日(10日火曜日)は朝五区のアンリⅣ世校に隣接するプールに行く。もう朝晩の冷え込みはかなり厳しく、利用客は少ないかと期待したが、意外にも開門の七時前にすでに二十人近く集まっていた。泳ぎ始めてからも、入場者は増え続け、一時的に一コースに十数人もいて、これではとてもまともに泳げたものではない。しかし、なんとか2000メートルは泳いだ。
 今日もまた井筒俊彦を読み続けた。今日の記事のタイトルに示されているのは、井筒俊彦が岩波の『思想』一九八七年一月号に寄せたエッセイ。昨日紹介した『読むと書く 井筒俊彦エッセイ集』に収録されている。わずか五頁の短い文章だが、深い学殖に裏打ちされ、鋭い哲学的洞察が随所に煌めき、繊細な言語感覚に貫かれた秀逸な哲学的エッセイである。
 ギリシア語の動詞「ランタノー」(「今まで気づかなかった」という意味でよく使われる)の使用法に日本人として感じる違和感から説き起こし、その動詞とギリシア語で真理を意味する「アレーテイア」との関係に説き至り、アリストテレスの哲学の起点にある「気づき」は「本質直観」にほかならないとする。そこから、日本語の助動詞「けり」の用法に話題が転ずる。この助動詞には、一般に〈過去〉〈はじめて何かに気づく〉〈詠嘆〉の三つの意味があるとされるが、井筒は、それらが「気づき」の「過去性において有機的に一体化して」おり、この「多重的意味構造が助動詞の形で文法的に定着している事実それ自体」が、「気づき」体験がいかに昔の日本人にとって重みを持つものであったかを物語っていると言う。そして次のように議論を展開する。
 「気づく」とは、存在に対する新しい意味づけの生起である。一瞬の光に照らされて、今まで意識されていなかった存在の一側面が開顕し、それに対する主体の側に詩が生れる。「気づき」の対象的契機がいかに微細、些細なものであっても、心に沁み入る深い詩的感動につながることがあるのだ。蕉風の俳句にそれが目立つ。人口に膾炙した「山路来て」「薺花さく」「道の辺の木槿」をはじめ、その例は無数。このような、ふとした「気づき」の累積を通じて、存在の深層を探ってゆくのである。(『読むと書く』434頁)
 この引用箇所の直後に、ギリシア哲学における「気づき」が「原因と本質の対象化的探求」に向かうものであったのに対比して、日本の詩人の場合の指向性について、井筒特有の語彙による飛躍的考察が披瀝される。そしてその段落をこう結ぶ。
 「気づき」は、日本的意識構造にとって、その都度その都度の新しい「意味」連関の創出であり、新しい存在事態の創造であったのである。(同書435頁)
 私には、この「気づき」が日本的意識構造に特有のものだとは考えられないが、上記の三重の意味を込められた「けり」という助動詞が、たった一語で一つの存在了解の形式を表現しているとは言えるだろうと思う。例はそれこそ無数にあるが、西行の有名な次の一首を見てみよう。

年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山(新古今和歌集・羇旅歌九八七)

 三十歳の頃に平泉に一度旅した時に越えた「小夜の中山」を、およそ四十年後に再び訪れることになり、その同じ場所をそれだけの時を隔てて、そのような日が来るとはこれまで思っても見なかったのに、こうして年老いて再び越えゆくことができることそのことを〈命〉そのものと受け取っているのである。助動詞「けり」によって、今までずっと生きてきた自分の生涯がまさに〈命〉としてはじめて有り難く了解され、そのことに深い感動を覚えていることが見事に表現されている。この一首がこのように詠まれることによって、「小夜の中山」という世界内のある一つの場所に自分が有ることが、新しい存在事態として了解されたのであり、その意味でこれを詩的「創造」と呼ぶことに何のためらいも必要ないであろう。











無に入って無をも見るな ― 井筒俊彦が父から学んだ内観法について

2013-12-10 03:16:00 | 講義の余白から

 今日(9日月曜日)も、朝から、水曜日の講義「同時代思想」の準備として井筒俊彦の著作を読み続ける。主な準備作業は、講義中に参照する資料として学生たちに予め送る『意識と本質』第一章からの引用集の作成。それぞれの引用にフランス語で一言あるいは一文で見出しを付け、ひと目で何が主題かわかるようにする。仏訳そのものは当日口頭でコメントを交えながら与える。最初から仏訳を与えてしまうと、どうしても学生たちはそちらに頼り、原文から注意が逸れてしまいがちだからである。この引用集の作成が終了するとすぐに、Google Driveで学生たちがそれを共有・ダウンロードできるようにする。これが毎回のパターン。こうして準備作業に区切りがついたところで、プール Joséphine Baker に午後2時半過ぎに出かける。月曜日はほとんどのパリ市営プールが閉まっていることもあるし、3ヶ月間閉鎖されていた後の再開直後の先週とは違って、このプールの以前の利用客も戻ってきたということもあるのだろう、3時半過ぎになってかなり混んできた。それを潮に上がる。
 『意識と本質』以外では、特に『神秘哲学』(初版1949年、手元にあるのは慶応義塾大学出版会から2010年に出版された復刻版)と『読むと書く 井筒俊彦エッセイ集』(慶応義塾大学出版会、2009年)とをあちこち読み返し、授業で言及する箇所を確認する。後者は、井筒の人と学問を知るのに好適なエッセイがいろいろと収めてあり、講義の冒頭の伝記的紹介部分で使うつもり(ただ先週の丸山眞男のときのようにブレーキが効かなくならないように注意しないといけないですね)。前者からは、その序文の一部を引用する。その引用箇所とは、井筒が父親から教わった、「というよりもむしろ無理やりに教えこまれた」、「彼独特の内観法」を語っているところである。この内観法というのが実に興味深く、井筒の哲学的志向に決定的な影響を与えていると私には思われる。この箇所は、見事に凝縮され、かつ生き生きとした仕方でその内観法を説明しているので、そのまま引用する。

彼の方法というのは、先ず墨痕淋漓たる『心』の一字を書き与え、一定の時間を限って来る日も来る日もそれを凝視させ、やがて機熟すと見るやその紙片を破棄し、「紙上に書かれた文字ではなく汝の心中に書かれた文字を視よ、二十四時の間一瞬も休みなくそれを凝視して念慮の散乱を一点に集定せよ」と命じ、更に時を経て、「汝の心中に書かれた文字をも剰すところなく掃蕩し尽せ。『心』の文字ではなく文字の背後に汝自身の生きる『心』を見よ」と命じ、なお一歩進めると「汝の心をも見るな、内外一切の錯乱を去ってひたすら無に帰没せよ。無に入って無をも見るな」といった具合であった(『神秘哲学』序文、慶応義塾大学出版会、2010年、viii頁)。

 しかも、この観照的生の修行の途上あるいはたとえ最終的な段階に到達しても、その成果は「日常的生活の分野に内的自由となって発露すべきものであって」、それに「知的詮索を加えることは恐るべき邪解であると教えられた」という。つまり、観照的生は、徹頭徹尾実践道であって、思索を事とする哲学や形而上学とは相容れないというわけである。
 ところが、後日、西欧の神秘家たちは、井筒にそれとまったく反対の事実を教える。そして特にギリシアの哲人たちが、彼らの哲学的思惟の根源として、まさしく観照的生の脱自的体験を予想していることを知った時、井筒は驚き、感激する。この「私のギリシア」の発見が、十数年を経て、『神秘哲学』という著作へと結実する。井筒三十五歳のときである。この若き日の発見以後の井筒の哲学的生涯とは、父親から親しくかつ厳しく伝授された意識の深層への段階的かつ方法的な実践的遡行と哲学的探究の実践とをどのように統合するか、という問いに対する答えを索めての果てしない実践的思索の旅だったと言えるのではないだろうか。












井筒俊彦の哲学的方法論「共時的構造化」について

2013-12-09 03:00:00 | 哲学

 今日(8日日曜日)、朝8時から9時までプール。帰宅後は、終日、水曜日の「同時代思想」の講義の準備。先週の丸山眞男から戦後日本の思想に入ったわけだが、今週は、丸山と同年生れの井筒俊彦がテーマ(この戦後日本を代表する二人の思想的巨人の間には、残念ながら、交流らしい交流はなかったようだ)。井筒をこの講義で取り上げるのは今年度が初めて。まさに天才と呼ばれるにふさわしい(司馬遼太郎に言わせれば、「二十人ぐらいの天才らが一人になっている」)この哲学者の思想の豊かさ・深さを簡単にまとめて紹介することなどとてもできないが、日本語における哲学的思考の一つの到達点である『意識と本質』(初版1983年)の中で展開されている哲学的方法論「共時的構造化」については、講義の中でいくらかでも立ち入って考察したいと思う。同書の主要部分を占める論文「意識と本質」の第一章の仏訳が今年に入って出版されたので、そこを中心に解説すれば学生たちにも近づきやすいだろうとも思う。その第一章の冒頭で、井筒は、「東洋哲学全体を、その諸伝統にまつわる複雑な歴史的聯関から引き離して、共時的思考の次元に移し、そこで新しく構造化しなおしてみたい」(岩波文庫版7頁)という途轍もない哲学的狙いを言明しつつ、その直後で、「せいぜい共時的東洋哲学の初歩的な構造序論といった程度のものにしかならないだろう」と断っている(同8頁)。その企図の壮大さからして、たとえ井筒ほどの天才をもってしてもそう言わざるを得なかったであろう。それでも、同書には、実に豊かな哲学的思索の泉が今もなお滾滾と湧き出ているかのごとくであることに変わりはない。しかし、浅学非才の我が身の途方もない不遜であることを承知のうえで、しかも井筒の哲学的直観が到達している意識の深みにこちらが触れるところまでさえ行っていないことを認めたうえで、敢えて言えば、私はこの「共時的構造化」にいささか懐疑的である。いったいこれが共有可能な方法として成立するであろうか、という意味において。講義では、もちろん、拙速な批判的言辞を弄することなく、まずは井筒のテキストそのものを、たとえごく僅かであっても、丁寧に読む。











三酔人、パリのモロッコ料理店で談論風発

2013-12-08 01:00:00 | 雑感

 昨晩(6日)は、パリの大学に長年勤務している日本人の先生二人、YさんとKさんと会食。Yさんは社会学者で、フランスの週刊新聞に二十年以上にわたってコラムを連載しているジャーナリストでもある。Kさんは社会心理学者で、フランス語での著書が二つ、日本語では十冊近くあり、今年も一冊出版、売れ行き好調とのこと。ここ数年著書が出版されるたびに手ずから恵贈してくれる。二人ともパリの大学で専任教員としてすでに二十数年教鞭をとっており、滞仏は三十年以上。
 最初に三人で会食したのいつだったか、もう正確には覚えていないが、ここ数年、年に一度か二度、会食しては、大いに歓談・議論する。三人とも食べるのも飲むのも好き。Yさんは美味しいレストランをよく知っている。それぞれ研究分野も思想的立場も違い、生活一般についての考え方も違うところがあり、肝胆相照らすとまではいかないが、どこかお互い気持ちが通じ合うところがあり、いつも何の気兼ねもなしに、自由に議論ができる。だいたいKさんが極端な説を主張し、私がそれに強く反論し、それに対してKさんは容易には納得せず、Yさんが収めるという構図になることが多いが、どんなに激しい議論をしても、それで気まずくなるということはない。お二人から学ぶことはたくさんあり、議論しながら、こちらの考えが明確になったり、逆にわかっているつもりのことが実は不確かだと気づかされたり、これから考えていくべきことへのヒントをもらったりと、会食はいつも楽しい。昨晩もレストラン開店から閉店まで話がはずんだ。
 昨晩のレストランは、Yさんが二十年近く贔屓にしているモロッコ料理レストラン L’Atlas(紹介記事はこちら)。パリ五区、アラブ世界研究所のすぐ近く。内装はモロッコにある宮殿風。クスクスの種類も豊富。上品な味と香り。私はクスクスにかける野菜スープが特に気に入った。ボリュームもたっぷり。三人ともよく食べる方だが食べきれなかった。ワインはやっぱりモロッコのワインが合う。三人で二本開けた。デザートも含めて、一人あたり50ユーロくらい。お勧めです。












稀なる冬の青空の下、セーヌの上を泳ぐ。そして来夏の集中講義に心を向ける

2013-12-07 01:46:00 | 雑感

 今日(6日金曜日)、午前中は大学関係のメールの処理に費やす。昼にアパルトマンの大家さんが二つの不動産屋とそれぞれ別々に来訪。来年7月以降にこのアパルトマンを売りたいからで、したがって私は6月末までに退去しなくてはならない。パリのアパルトマン探しは容易ではなく、今からそれを思うととても憂鬱。午後は、2時半頃に昨日と同じプールに行く。今日もとても空いていて、一コースに平均二人。しばらく一人だけという時間もあった。それに今日は、パリの冬にしては珍しい青空が広がる気持ちのよい天気。天井もすべてガラス張りだから、背泳ぎで泳ぐときはその青空を見ながら泳ぐことになり、それがさらに解放感を高めてくれる。アパルトマンのことは今考えてもしかたのないことだと気持ちを切り替える。
 来年度前期末に過去三年間と同様、東京のある大学で大学院修士課程の夏期集中講義を担当することが今週月曜日にわかった。一回一時間半の授業を15回分行って、他の学期を通じて行われる平常講義・演習と同様に単位が与えられる。過去三年間は一日三コマ五日間にまとめた。来年度もそうするつもり。もう少しゆっくりとしたリズムにしたいとも思うが、前期の平常授業が終わるのが7月末で、それからようやく集中講義週間が始まるので、酷暑の中ずるずるとやるよりはむしろいいのかと思う。この集中講義については、このブログでも度々記事にし、特に今年の夏の集中講義「鏡の中フィロソフィア」の内容については、このブログでもシリーズ化して7月から8月にかけて延々と記事にしたが、それだけこれは私にとって貴重な機会なのである。なぜなら、この集中講義が大学教育という枠の中で自分の専門の哲学について日本語で話せる唯一の機会だからである。しかも、この「現代哲学特殊演習」という科目名の集中講義では、担当教員が自分の現在の研究内容について自由に話していいのである。それだけに、講義内容を考えるのが楽しみでもある。来年からの長期的研究計画の中の最初の里程標と位置づけて、シラバスを提出締め切りの1月15日までじっくり時間をかけて作成していきたい。












黄昏時の光の戯れの中、セーヌに浮かぶプールで泳ぐ

2013-12-06 05:47:00 | 雑感

 今日(5日木曜日)、二年生の「日本近代史」、これが今年最後の学部の講義。丸山眞男の「明治国家の思想」という、1946年10月に歴史学研究会主催講習会「日本社会の史的究明」の一講として発表され、のち『日本社会の史的究明』という1949年に岩波書店から出版された共著に収録され、さらに『戦中と戦後の間』(1976年)にも再録された講義録を基にして、「明治時代の全体を貫く国家思想の性格」について話した。丸山自身、これは「非常にむずかしい問題」だと冒頭で述べており、時間も限られているから、「話がドグマチックになるのではないか」という懸念を表明しているが、それだけに話が非常に明快な図式性をもっていて、学生たちに明治時代を通観するための手掛かりとして役に立つであろうと、このテキストを選んだ。もちろん仏訳があるということも、もう一つの大きな選択理由である。丸山はまず、「明治維新の精神的な立地点」として二点挙げる。尊皇攘夷論と公議輿論思潮である。この二つの関係および絡み合いの中に、明治の精神のその後の発展が見られる。尊王論は、明治維新における政治的集中の表現、公議輿論思潮は、政治的拡大の原理として登場した。尊王論が政治的頂点への集中であるのに対して、公議輿論は政治的底辺への拡大であるとして捉えることができる。明治国家は、この二つの要素の対立の統一である。以上が丸山の描く明治国家の思想の基本構造である。非常にわかりやすい話だが、学生たちがどこまで理解してくれたかは、試験の結果を見てみないとわからない。
 この講義の後は、二つの演習の学期末試験。この試験監督というのがなんともつらい。ただ座って答案を書いている学生たちを見ていればいいわけだが、だからこそ、他に何もするわけにはいかず、ほとんど毎回睡魔との戦いである。今日も何度となく瞼が閉じそうになるのを堪え、立ち上がって学生たちの席の間を巡回したりしたが、それぞれたった一時間なのに、なんとそれが長く感じられたことか。この「苦役」(答案に真剣に取り組んでいる学生たちに失礼ですね)から解放されるやいなや、パリに戻る電車に飛び乗り、やれやれこれで今年も後は講義・演習としては来週と再来週の本務校の修士一コマとイナルコの講義一コマを残すのみだと解放感に浸り、堪えていた睡魔の再来に体もなくやられ、車中船を漕ぎ続ける。
 だが、そのまま帰宅したのではない。セーヌ川に浮かぶプール Joséphine Baker に直行したのである。プールに着いたのがちょうど午後5時。まあまあ空いている。解放感も手伝ってか、最初から飛ばし気味、体も軽く感じる。水に乗れている感じ。こういうときはまるで水上を滑るような、あるいは水中をすり抜けるような感覚で泳げる。同じコースの人たちも比較的よく泳げる人たちばかりだったし、みんな他の泳者の速度に気を使い、自分より速いと見るとすぐに譲る(いつもこうだと本当に快適なんだけどなあ)。黄昏時でガラス張りの向こうの空が薔薇色に染まり、セーヌの対岸の自動車専用道路の車のヘッドライトが川の流れのようにセーヌにそって動き、セーヌを渡る高架を通過するメトロ6番線の光がそれに交差する。プール内は天上の照明と水中の照明で、プール水面上の空間も含めて、施設内全体が黄昏時の柔らかな光の戯れに包まれ、その中を泳いでいると、その空間の中に溶けこむような不思議な感覚。一時間余り泳いで、程よい疲れを感じ出したところで上がる。
 今、夕食を終え、ワインを飲みながら、この記事を書いている。さあ、明日から、また気分も新たに研究を続けよう。











自ら生きる歴史の内在的理解 ― 慈円と丸山眞男

2013-12-05 06:40:00 | 講義の余白から

 今日(4日水曜日)の二つの講義について。結果を野球に例えて言えば、一発ホームラン狙い、打ち気満々で打席に臨んだが、相手の超スローボールに翻弄され、ニ打席ともタイミングが合わず、敢えなく空振り三振、あるいはせいぜいボテボテのピッチャー前ゴロで凡退といったところだろうか。少なくともこちらの「目論見」という観点からすると、そんな感じである。
 まず朝一番の本務校での一年生対象必修講義「日本文明」についてだが、一昨日の記事で話題にしたように、鎌倉新仏教がテーマ。まず先週の復習として、慈円の『愚管抄』の歴史観のおさらいをした後、臨済宗と曹洞宗とには時間の都合で触れないと予告した上で、「他力」と「自力」を基軸概念として、法然、親鸞、日蓮、一遍の順で各宗派を歴史的コンテクストと教説内容にしたがって位置づけていく。あくまで鎌倉時代に誕生したオリジナルな思想として紹介しようとしたが、宗教の話というだけで、明らかに学生たちは引き気味。「弥陀の本願」とか「一切衆生の救済」とかいうともうダメである。ごく少数の学生を除いて、ノートを取るのをやめている。終盤、一遍の踊り念仏に話が及んだとき、少しは興味を持ったようだが、時間切れ。なんともパッとしない終わり方であった。
 「今日は失敗だったなあ」とパワーポイントを閉じながら独り内語していると、一人の女子学生が授業後に「慈円の歴史観についてもう少し説明してほしい」と質問に来た。答えとして、その時代を生きながら、そこでのもろもろの出来事を、その内側から、歴史を動かす根本的モメントとしての「道理」を基礎概念として、一つの歴史観にしたがって理解しようとした試みとして日本思想史上画期的であり、比較の対象として先に触れた鴨長明(慈円と同じ1155年生れ)の『方丈記』が、無常観というそれ自体非歴史的な感覚に浸されているのと対称をなしているのです、と説明した(納得してくれていだようだけれど、実のところ、どうでしょうかね)。
 そして水曜日を締め括る午後5時半からのイナルコの講義。丸山眞男がテーマ。私がこの講義で今年度取り上げる十人の日本の哲学者・思想家の中で、フランスにおいてより本格的な仕方でまず紹介されるべきだと考えているのが丸山眞男である。それは、丸山の思想と行動が他の九人のそれに比べて近現代日本思想史においてより重要だと考えるからではない。慈円と同じように、自ら生きつつある歴史的現在をその内側から理解しようとした日本人の思想的営為として、丸山の生涯をかけての思索の歩みをよりよくフランス人たちに知ってほしいからである。
 だか、今日の講義に関して言えば、明らかにバランスを欠いていた。講義の準備段階では、取り上げる原テキストや参考文献を読みながら講義内容のイメージトレーニングを繰り返し、講義そのものはいつもノートなしで話すのだが、このやり方はそれだけその時その時の教室の空気や反応に影響されやすい。今日はそれが裏目に出た。まず丸山眞男の思想的境位を、これまで取り上げてきた哲学者・思想家たちと関係づけながら、描き出すことから始めたのだが、そこまではまあまあ順調だった。ところが、その後、丸山の生涯に触れるところでブレーキが効かなくなった。触れるにとどめるどころか、延々と話し過ぎた。丸山が九歳の時、関東大震災直後に書いた作文の話、一高生だった19歳の時、長谷川如是閑の講演を聴きに行って特高に連行された話、南原繁に勧められる、というか、半ば強制されるような形で始めた日本政治思想史研究の話、広島での被曝体験(これについて丸山は公刊文書では決して言及しなかったが、あるインタヴューではかなり立ち入って語っている)、戦後の政治的行動、サルトル、レヴィ・ストロース、ミッシェル・フーコーとの関係・交流等々。気がつけば、残り50分。ようやく最初の著作『日本政治思想史研究』における根本問題、日本近代化の内発的モメントを江戸期の思想に探るというモティーフについて話し始める。そこで質問続出。テキスト読解は、「超国家主義の論理と心理」からの二つの短い抜粋だけで精一杯(よく知られた二箇所なのだが、これが語学的にはかなり難しい)。資料として用意しておいた『日本の思想』からの二つの引用はキーワードを示すだけ。「歴史意識の古層」については、一言も触れず仕舞いであった(看板に偽りありと誹られても仕方がない)。
 この講義も「失敗だったなあ」とちょっと悄気げていると、ここでも講義の後一人の女子学生が「丸山が九歳の時に書いたという関東大震災についての作文はどの本に収録されていますか」と聞いてきた。みすず書房から出ている『丸山眞男の世界』に収録されていると持参した実物を見せた。
 本務校でもイナルコでも、講義としては明らかに失敗であったが、こちらが予期せぬところで学生たちが関心を示してくれたのがせめてもの救いであった。












セーヌの流れとともに泳ぐ ― プール1000回記念

2013-12-04 01:39:00 | 雑感

 今日(3日火曜日)、三ヶ月間余り船底掃除のために閉鎖になっていた、セーヌ川に浮かぶ市営プール Joséphine Baker に午後2時過ぎに行ってきた(このプールについては6月18日の記事で話題にした)。これだけ長期間閉鎖になっているとそれまで常連だった人たちもつい習慣を失い、再開したては利用者が少ないだろうと見込んでのことだったが、読みがズバリ的中(競馬じゃあるまいし)。がらがらであった。一コースに平均二人。私がこのプールで選ぶのはいつも平泳ぎ禁止コースで、その分利用者がさらに少なく、今日も一時私一人になった。全部で4コースしかない小さいプールなのだが、全面ガラス張りでセーヌの流れと平行して泳ぐことになり、夕刻に行けば、セーヌ川上に沈む夕日を眺めることもできる。水泳用のプールの脇に、小さな子供を遊ばせることもできる浅い小プールもあり、そこは水温も高く、大人でもただそこに浸かりに来ているのかと思われる人たちもいる。
 今日は私個人にとって、ちょっと大げさだが、記念すべき日であった。というのは、四年前の2009年8月1日からパリの市営プールに通い始めて、今日がちょうど1000回目だったのだ。子供の頃にスイミングスクールに通っていたこともあり、水泳は得意なスポーツなのだが、フランスに来てしばらくはまったく泳ぐ機会もなく、博論の追い込みの時期は、毎日12時間は机に向かい、まったく運動をしなかった。当然体力も落ちてしまったし、えらく太ってもしまった。これではイカンと、博論を終えた2003年4月から運動を再開した。最初はウォーキングから始めたが、30分も歩くと息が上がってしまうという体たらくであった。その後、ウォーキングからジョギングへとステップアップ、時には水泳にも行くようになり、二年後には体力も回復、体重も10キロ減量に成功し、ほぼベスト体重に戻ったのだが、2005年に三ヶ月ほど帰国したときに、その習慣が途切れてしまった。2006年2月に今の大学に赴任してからも、以前のようには運動を規則的にできず、どこといって体に不調はなかったが、運動不足は否めなかった。
 それから3年半経ち、ある人と一緒にプールに行くようになった。最初の日は、数百メートル泳ぐともうぐったりするほど体力が落ちていて愕然とした。そこで、決意した。今度は是が非でも続ける、と自分に誓った。そのためにエクセルで表を作ってプールに行くたびに記録をつけた。そしてそれから4年4ヶ月たった今、1000回に到達した。4年前には想像もできなかったほど体形も改善され、体力的にも今がベストなのではないかとさえ思える。体脂肪率は9%前後をキープ、筋肉量は大幅に増え、基礎代謝量は1400キロカロリーを超えている。肥満とはまったく無縁。この2年間は風邪一つ引かず、医者にかかったこともまったくない。この8月、生まれて初めて人間ドックで検査してもらったが、そのときも看護師さんに計測数値をえらく褒められ、うれしかった(単純なつくりである)。
 日々の暮らしの中では、ままならぬことばかりで溜息をつくことも多いが、水泳だけは何があっても続けていきたい(なんか小学生の作文の結びみたいですが、心からそう思っています)。












道元の神秘性と親鸞の徹底性 ― フランスにおける鎌倉新仏教受容の格差

2013-12-03 03:02:00 | 講義の余白から

 今日(2日月曜日)は、朝から水曜日の一年生の「日本文明」の講義の準備。今学期の講義の最終回にあたり、鎌倉新仏教について話す。一時間でとても話し切れるテーマではないわけだが、せめて親鸞だけでも知ってもらいたいと思っている。それは以下の理由による。
 フランスでは、禅についての関心は、高度に学問的な関心から非常に卑俗なレベルのそれまでをすべて含めて考えればかなり広い。それが証拠に、 « zen » という言葉は、「落ち着き払った、心静かな」「(極めて困難・過酷な状況にあっても、あるいは突然の予期せぬ事態に遭遇しても)冷静さを失わない、平静な気持ちでいる」というほどの意味で、形容詞あるいは副詞として日常のフランス語の中で普通に使用されており、小中高生だって使うほどである。日本でよりも日常的に頻繁に使われ、接する機会のある言葉だと断言して差し支えないであろう。 « Zen » と銘うたれた商品もあり、テレビのコマーシャルでもよく使われている(もう呆れてものも言えません)。今では、だから、もうどうしようもないと諦めているが、17年前にフランスに来て、初めてその無節操な普及ぶりに接したときには、禅に対して持たれている一般的イメージがかくも日仏で違うのかと唖然としたものである。もちろん、本気で禅に関心を持っているフランス人たちもいる。座禅を組む人だっている。禅宗の日本人僧侶もいるし、座禅道場もある。禅に関する著作も多数あり、道元の『正法眼蔵』の全訳が出版されつつもある。
 このような禅仏教のフランスにおける「浸透ぶり」に引き比べると、浄土宗・浄土真宗についてのフランス人たちの関心はお世辞にも高いとは言えず、概説書も乏しく、経典の仏訳もほとんどない。わずかに『歎異抄』の仏訳があるだけである。2011年に出た新訳は未見で、その質についてはなんとも言えない。この日本思想史に燦然と屹立する宗教思想の両巨峰の間のフランスにおける受容の「格差」は、いったい何に由来するのであろうか。
 それは、フランス人がどちらに神秘性を感じるかというところに少なくとも一つの理由があるように私には思われる。禅とマイスター・エックハルトとが真剣に比較されてたりするのも、両者が神秘主義的な言説において接近するかに見えるからであろう(ちなみに私自身はこの類の比較論に極めて懐疑的である)。こうした傾向に与って力があったのが京都学派の哲学者たちであったことは論を俟たないであろう。
 『正法眼蔵』の難解な言説が醸し出す秘教的な雰囲気(もちろん道元の言説をこう見なすこと自体が皮相な理解に過ぎないこと、断るまでもないであろう)に対して、親鸞の『歎異抄』に示されたラディカルな思想性は魅力的に見えないのだろうか。日本ではよく、『歎異抄』での親鸞の教えと『福音書』のイエスの教えの類似性が指摘されたりしているが、まさにそれと同じ理由で親鸞の教説にオリジナリティを見出しにくいのでもあろうか。しかし、親鸞自身の根源的思想は、新約聖書のパウロ書簡にはすでに見られる教団形成の志向さえ、微塵に砕くところまで徹底化されているのだから、その思想的衝撃は、その意味で、道元のそれよりもカトリック社会にとっては強烈だと思うのだが。
 もちろんこんなところまで一年生相手の講義で話せるわけではなく、「他力本願」と「悪人正機」について無用な誤解を予め与えないように注意しつつ、ごく概説的な話をするだけにとどめることになるだろう。











論理と生命、倫理と論理、哲学と詩作

2013-12-02 02:45:00 | 哲学

 今日(1日日曜日)は、朝いつものように一時間泳いだ後は、一日講義の準備。今週の講義は、イナルコでの「同時代思想」が丸山眞男をテーマとしているだけでなく、本務校での二つの講義「日本文明」「日本近代史」のテーマも丸山眞男と関係しているので、丸山の著作と丸山研究書で手元にあるものすべて計十数冊を机の上に積み上げて、それらのあちこちを読み、主にイナルコの講義のために学生たちに予め送る講義資料の作成をしながら、同時に、学部一年生の講義のために、鎌倉新仏教を「原型」を「突き破って烈々とした光を放った思想と運動」として高く丸山が評価している東大での講義録の箇所を読み直し、かつ、学部二年生の講義のために、戦後間もない時期に発表された「明治国家の思想」(1946)と「自由民権運動史」(1948)も読み直す。イナルコの講義では、主に論文「歴史意識の古層」の基本概念と方法論について話すつもりなのだが、その前置きとして言っておくべきことも多く、それだけでも相当時間がかかりそうで、当の論文の紹介はほんの「さわり」だけということになるかもしれない。
 さて、昨日の記事で予告した来年からの長期的研究計画の話だが、今日の記事のタイトルとして掲げたのが、その鍵となる三つの対概念である。「論理と生命」は、西田が1936年に発表した後期西田哲学の主要論文の一つのタイトルで、私自身博論で詳細に検討した論文でもあるのだが、それを直接の対象とするということではなく、9月来頻繁に取り上げてきた「種」の問題をさらに広くかつ深く考察するために導入されるべき対概念として掲げた。この問題系では、生命が自らの論理を自覚する過程、そして西田が言う歴史的生命において論理が形成する過程において〈種〉をどう位置づけるかによって異なってくる論理の諸型を考察する。「倫理と論理」は、田辺が「種の論理」期に発表した論文の一つのタイトルでもあるが、西田の場合と同じく、この論文だけを特に対象とするのではなく、「種の論理」における論理と倫理の関係の問題を広く考察することを目的としている。社会的実践、政治的行動、法的正義、倫理的価値、道徳的善、宗教的経験等の問題もここで問われることになる。三つ目の対概念として掲げた「哲学と詩作」という問題系では、哲学的思索と文学的創造との関係、さらには生きられれる世界における言語活動そのものの想像力と創造性が考察の対象となる。
 この一年の最後一月、新しい社会存在の哲学のための基礎概念としての可塑的〈種〉についての論文を書きつつ、来年からの長期的研究計画を練っていこう。たとえ蝸牛のごときささやかで遅々たる歩みであっても、焦らず怠らず、日々考えてゆこう。