内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

無に入って無をも見るな ― 井筒俊彦が父から学んだ内観法について

2013-12-10 03:16:00 | 講義の余白から

 今日(9日月曜日)も、朝から、水曜日の講義「同時代思想」の準備として井筒俊彦の著作を読み続ける。主な準備作業は、講義中に参照する資料として学生たちに予め送る『意識と本質』第一章からの引用集の作成。それぞれの引用にフランス語で一言あるいは一文で見出しを付け、ひと目で何が主題かわかるようにする。仏訳そのものは当日口頭でコメントを交えながら与える。最初から仏訳を与えてしまうと、どうしても学生たちはそちらに頼り、原文から注意が逸れてしまいがちだからである。この引用集の作成が終了するとすぐに、Google Driveで学生たちがそれを共有・ダウンロードできるようにする。これが毎回のパターン。こうして準備作業に区切りがついたところで、プール Joséphine Baker に午後2時半過ぎに出かける。月曜日はほとんどのパリ市営プールが閉まっていることもあるし、3ヶ月間閉鎖されていた後の再開直後の先週とは違って、このプールの以前の利用客も戻ってきたということもあるのだろう、3時半過ぎになってかなり混んできた。それを潮に上がる。
 『意識と本質』以外では、特に『神秘哲学』(初版1949年、手元にあるのは慶応義塾大学出版会から2010年に出版された復刻版)と『読むと書く 井筒俊彦エッセイ集』(慶応義塾大学出版会、2009年)とをあちこち読み返し、授業で言及する箇所を確認する。後者は、井筒の人と学問を知るのに好適なエッセイがいろいろと収めてあり、講義の冒頭の伝記的紹介部分で使うつもり(ただ先週の丸山眞男のときのようにブレーキが効かなくならないように注意しないといけないですね)。前者からは、その序文の一部を引用する。その引用箇所とは、井筒が父親から教わった、「というよりもむしろ無理やりに教えこまれた」、「彼独特の内観法」を語っているところである。この内観法というのが実に興味深く、井筒の哲学的志向に決定的な影響を与えていると私には思われる。この箇所は、見事に凝縮され、かつ生き生きとした仕方でその内観法を説明しているので、そのまま引用する。

彼の方法というのは、先ず墨痕淋漓たる『心』の一字を書き与え、一定の時間を限って来る日も来る日もそれを凝視させ、やがて機熟すと見るやその紙片を破棄し、「紙上に書かれた文字ではなく汝の心中に書かれた文字を視よ、二十四時の間一瞬も休みなくそれを凝視して念慮の散乱を一点に集定せよ」と命じ、更に時を経て、「汝の心中に書かれた文字をも剰すところなく掃蕩し尽せ。『心』の文字ではなく文字の背後に汝自身の生きる『心』を見よ」と命じ、なお一歩進めると「汝の心をも見るな、内外一切の錯乱を去ってひたすら無に帰没せよ。無に入って無をも見るな」といった具合であった(『神秘哲学』序文、慶応義塾大学出版会、2010年、viii頁)。

 しかも、この観照的生の修行の途上あるいはたとえ最終的な段階に到達しても、その成果は「日常的生活の分野に内的自由となって発露すべきものであって」、それに「知的詮索を加えることは恐るべき邪解であると教えられた」という。つまり、観照的生は、徹頭徹尾実践道であって、思索を事とする哲学や形而上学とは相容れないというわけである。
 ところが、後日、西欧の神秘家たちは、井筒にそれとまったく反対の事実を教える。そして特にギリシアの哲人たちが、彼らの哲学的思惟の根源として、まさしく観照的生の脱自的体験を予想していることを知った時、井筒は驚き、感激する。この「私のギリシア」の発見が、十数年を経て、『神秘哲学』という著作へと結実する。井筒三十五歳のときである。この若き日の発見以後の井筒の哲学的生涯とは、父親から親しくかつ厳しく伝授された意識の深層への段階的かつ方法的な実践的遡行と哲学的探究の実践とをどのように統合するか、という問いに対する答えを索めての果てしない実践的思索の旅だったと言えるのではないだろうか。