内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

青空から虚空へ ― 西から東への哲学的架橋の試み(8)

2018-04-01 13:38:57 | 哲学

 バシュラールに〈空〉の道案内をしてもらっていながら、なかなか〈西〉の青空から〈東〉の虚空へと辿り着くことができないでいる。
 バシュラールが援用している詩人たちはまだ数人いる。その中から二人のドイツ人を召喚しよう。ヘルダーリンとゲーテである。
 今日の記事では、ヘルダーリンにのみ言及する。
 〈青空〉は、ヘルダーリンにあっては、「エーテル」と呼ばれる。しかし、それは世界を構成する第五番目の要素としてではない。バシュラールは、フランスのドイツ文学研究者・翻訳家のジュヌヴィエーヴ・ビアンキによる、ヘルダーリンにおけるエーテルの定義を引用している(op. cit., p. 224)。
 エーテルは、世界の魂であり、聖なる大気である。それは、山巓の純粋で自由な空気であり、季節と時候、雲と雨、光と雷が私たちへとそこからおりてくる気圏である。空の〈青〉は、純粋さ、高み、透明性の象徴であり、多元的な価値をもった一つの神話である。
 そして、ビアンキは、ヘルダーリンの『ヒュペ―リオン』の次の一節を引用する。

O Schwester des Geistes, der feurigmächtig in uns waltet und lebt, heilige Luft! wie schön ists, daß du, wohin ich wandre, mich geleitest, Allgegenwärtige, Unsterbliche!

おお、精神の兄弟よ、汝はその炎で私たちを力強く活かす。聖なる大気よ。汝は私がどこへ行こうとも付き添ってくれる。遍在するもの、不死なるもの!

 このようなエーテルに包まれた生は、父なるものの加護への回帰だとバシュラールは言う。事実、ヘルダーリンは、 « An den Aether » と題された別の詩の中で、「おお、父なるエーテルよ!」(« o Vater Aether! »)と呼びかけている。












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1 コメント

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そら…先生… (あ*=franoma)
2018-04-01 21:30:33
全人類にとって観測・記述して認識が可能な宇宙=我々の宇宙は、ひとつ。それを地球表面から肉眼で見れば、どこまでも続く青い空です。PTSDの世紀においては、マグリットの絵が癒しなのかも知れません。

どうも、お邪魔しました。
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