蜃気楼は、現実的なものと想像的なものとのからなる組織を研究するための手掛かりを与えてくれる。蜃気楼が立ち現れるとき、幻影はそれよりも恒常的な現象の組成の上に形成される。それとは逆に、地上の確からしい諸現象は、そららの観念性を蜃気楼の中で顕にする。空虚な形象が青空の上に現れて来ることは、その空間に一種の現実性を与える。その空間は、本質的にある色を保っている。
ゲーテは、空の〈青〉について、それは一つの根本現象ないし根源現象(Urphänomen)であると言う。
Die Bläue des Himmels offenbart uns das Grundgesetz der Chromatik. Man suche nur nichts hinter den Phänomenen: sie selbst sind die Lehre.
空の青はわれわれに色彩学の根本法則を啓示している。さまざまな現象の背後に何かを探し求めてはならない。それら自らが学理である。(『箴言と考察』、木村直司訳『色彩論』ちくま学芸文庫「文庫版あとがき」からの引用)
ゲーテの色彩論は、青空がそれを思惟する個体からもっとも自由なイメージであることを私たちに示している。この青空というイメージは、大気中に浮遊する想像力を見事に集約している。それはこの上ない昇華のあり方を示している。絶対的で解体しようのない単純この上ないイメージへの透入のあり方を示している。
青空を前にするとき、世界は、私にとって、青く、浮遊し、彼方なる表象である。青空は、私にとって夢現である。
私たちは、ここでゲーテの地球生成論が凝縮されているエッセイ「花崗岩について」(« Über den Granit »)から、世界の始原との接触の経験を記述した一節を引くことで、〈西〉の空についての考察を締めくくることにする。
So einsam, sage ich zu mir selber, indem ich diesen ganz nackten Gipfel hinabsehe und kaum in der Ferne am Fuße ein geringwachsendes Moos erblicke, so einsam, sage ich, wird es dem Menschen zumute, der nur den ältsten, ersten, tiefsten Gefühlen der Wahrheit seine Seele eröffnen will. Ja, er kann zu sich sagen: Hier auf dem ältesten, ewigen Altare, der unmittelbar auf die Tiefe der Schöpfung gebaut ist, bring ich dem Wesen aller Wesen ein Opfer. Ich fühle die ersten, festesten Anfänge unsers Daseins, ich überschaue die Welt, ihre schrofferen und gelinderen Täler und ihre fernen fruchtbaren Weiden, meine Seele wird über sich selbst und über alles erhaben und sehnt sich nach dem nähern Himmel.
私はひとりごとを洩らす。この何もないむきだしの頂上から見下ろし、足許からあまり遠くないところに苔がわずかに生えているのを見ると、思わずにはいられない、真理の最古最深の始原的な感情に自分のたましいを開こうとする人間は、このような孤独な気分になるのだ、と。そうだ、こう言ってもいいのだ、被造世界の深所のうえに直接築かれているこの永遠の最古の祭壇の上で、万物の創造主に犠牲をささげよう、と。私はわれわれの存在の確固きわまりない始原を感じる。私は世界の険しい、あるいはなだらかな渓谷と遠くの肥沃な平原を眺望する。すると私の魂は自分自身を超え、万物をこえて高まり、身近な天に向かってあこがれる。(木村直司訳『ゲーテ地質学論集・鉱物篇』ちくま学芸文庫)
明日からは、日本の詩歌の中に表れた〈空〉をしばらく眺めてみよう。
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