内的自己対話-川の畔のささめごと

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世阿弥『遊楽習道風見』における「器用」と「器物」の意味論的差異について(中)

2020-06-29 15:17:58 | 読游摘録

 「器」という言葉は、今日でも、物を入れる容器を指す一方で、「あいつは人の上に立つ器ではない」(俺のことか)などと、人の能力・包容力を意味するときもある。この意味では、「器量」という言葉がその同義語になる。
 さて、昨日の記事で取り上げた世阿弥の『遊楽習道風見』の中での「器」の用法を見てみよう。同じ漢字が文脈によって、「うつはもの」と「き」の二通りに読み分けられている。まず前者の例。

ただ、舞歌二曲の風ばかりを嗜むべし。これ、器たるべし。

舞と歌との基本芸だけを身につけるがよい。この舞と歌の二曲は、あらゆる芸を包摂する容器だといえよう。(小西甚一訳)

この二曲をよくよく習ひ得ぬれば、次第々々に大人しくなるに従ひて、物数揃ひて、すでに三体に至る時分、何になりても、謡へば感ありて、舞へば面白きは、かねて舞歌の器を蓄して持ちたる徳にあらずや。かへすがへす、二曲を惣物の器になして、物まね態にする所、よくよく案得すべし。

この両者を十分に習得しておけば、だんだん成人するに従って、不足な芸も揃って来、三体を演ずる時期になったころ、何に扮しても、謡えば感心させ、舞えば興趣を生ずるが、これは、以前に、舞歌という基礎的な容器を充実させている効果でなくて何であろう。あくまでも、二曲を、あらゆる芸を包摂する容器とし、その上に劇的所作をまなぶのだという点を、十分に理解してほしい。(同訳)

 これらの箇所からわかることは、「器」(うつはもの)という言葉が使われているのは、舞と歌とが諸芸の基礎中の基礎であり、その他の諸芸はその上でこそ成り立つものであり、その意味で、すべてがそこから生まれ出て来る容器のようなものだということを言うためであるということである。
 「うつはもの」という言葉は中古からあり、『源氏物語』では、「才能・能力・手腕。またそれのある人物」という意味で使われている。世阿弥がこの語に込めている意味は、だから、それとは異なっており、単に才能があるとか有能であるとかいうことではなく、あらゆる才能がその上ではじめて真に持続的に開花するようなもっとも基本的なもののことである。
 それはまた、生得的なものではない。稽古を通じて獲得されるものである。もって生まれた資質のままに少年期にこの基礎をおろそかにしてあれこれ演じてしまうと、たとえそれが人々の称賛を集めるような芸だったとしても、大人になる前に器が固まってしまい、大人になってからは、もう詰まらない芸しかできなくなってしまうことを世阿弥は戒めている。
 次に、「器」(き)の用法を見てみよう。
 『遊楽習道風見』は内容から四部に分かれているが、その最終第四部は『論語』の引用から始まる。そこに「器」が出て来る。引用されている論語の箇所(公治長篇)で、弟子の子貢が孔子に「私を物にたとえたら、どんな物でしょうか」と尋ねたのに対して、「お前は器だ」と答える。その答えに対して、子貢はさらに、「器といっても、どんな器でしょうか」と尋ねる。それに対して孔子は、「瑚璉だ」と答える。「瑚璉」について、大系本の頭注は、世阿弥自身が参照した苞子の注釈に倣って、「神に備える食物を盛る容器で貴重品らしい」としている。それを世阿弥は「当芸」、つまり能芸にあてはめる。その段落で、「器用」と「器物」(きもつ)とが出て来る。
 当初の予定では、今日の記事で「器用」と「器物」との意味論的差異にまで説き及ぶつもりでいたが、ここまでですでにかなり長い記事になってしまったので、それは明日の記事に譲ることにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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