内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

新カリキュラム導入にともなう移行措置とそれに伴う問題

2018-10-22 23:59:59 | 講義の余白から

 今年度前期、学部最終学年である三年生の授業を三コマ担当している。「古典文学」「近代日本の歴史と社会」「日本文明文化講座」の三コマである。今週は、他の多くの科目と同様、それらの科目の中間試験を行う。古典文学の課題については、今週木曜日の試験以降に話題にする。先日の記事で言及したように、この科目の今回の課題は私にとって初めての試みなので、結果を見てから考察したいからである。文明講座の試験問題については、一昨日の記事で話題にした。
 「近代日本の歴史と社会」では、今年度に限ってのことだが、旧カリキュラムから新カリキュラムへの移行措置として、授業のタイトルに反して、中世から話し始めた。そうしないと、中世と近世について学生たちは何も学ばずに学部を修了してしまうことになるからだ。
 日本の大学であれば、入学時のカリキュラムがそのまま最終学年まで維持され、新カリキュラム導入の際は、一年次から順次導入していくのが一般的であろう。それは、移行によって学生たちに不利益・混乱が生じないようにするためには当然の措置である。ところが、フランスの大学は、懐事情もあり、いきなり全学年のカリキュラムを変更してしまう。だから、現在の二年生と三年生は、新旧二つのカリキュラムの違いによって様々な不都合を強いられることになる。それは教員にとっても同じである。
 昨年までのカリキュラムでは、中世・近世・近代前期(明治)・近代後期(大正・昭和)について、それぞれ一セメスターの授業が三年次にあり、学生たちは、二年時の古代史(縄文・弥生から平安末期まで)とあわせて、二年掛けて日本史を古代から近代まで学んでいた。それはそれで大切なことだったのだが、それらの授業であまりにも日本語のテキスト読解の負担が大きいこと、三年次の授業内容に多様性が欠けていること、実践的な日本語教育の時間が不足していることなどの理由から、歴史の授業時間数を新カリキュラムでは一挙に半分に減らしたために、このような措置が必要になった。
 授業数が半分になってしまったのだから、それぞれの時代に割ける時間数も当然半分になってしまう。そこで、この前期は、中間試験までの六週間で中世を、期末試験までの六週間で近世を一通り終えなくてはならない。昨年までのように日本語の歴史教科書を基礎テキストとしていてはとても間に合わないので、フランス語のテキストを基礎として、それに関連して、主にここ十年間に日本で出版された歴史書を随時紹介するというスタイルを取ることにした。それにしても駆け足であることにはかわりない。
 学生たちにとっては、歴史の教科書でありながらその日本語の読解に四苦八苦していた昨年までに比べれば、日本語学習の負担は大幅に軽減されたことになる。それには確かにマイナス面もあるが、現状では全体の授業時間数そのものを増やすことは極めて困難なので、致し方ないところである。












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