内的自己対話-川の畔のささめごと

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「一物も貯へず、其身其儘なり」― 江戸時代、旅に生きたマルチタレントな女性、田上菊舎

2021-01-26 08:12:55 | 読游摘録

 無知は無知なりに楽しい。他の人が知っていることを聞いて、「へぇ~」「ほぉ~」「えっ、うそ!」と感心したり驚いたりして、その都度世界がちょっと広がったような気がする。傍から見ればただのおバカかも知れないが、本人が嬉しければそれでよいではないか。なんでもご存知の物知りには味わえない境地である。
 立川昭二の『日本人の死生観』を読んで、江戸時代の女性俳人たちを私的に楽しく「発見」できたのも、そんな無知のおかげである。江戸時代の女性の俳人として、千代女(一七〇三-一七七五)の名前と「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」は知っていたが、江戸期のその他の女性俳人たちについてはまったく無知だった。そのおかげで、今回、田上菊舎を初めて知ることができた。
 菊舎は、宝暦三年(一七五三)に長門国(山口県)長府藩士の娘として生まれた。十六歳で村田氏に嫁したが、二十四歳で夫に死別、実家に帰った。二十九歳のとき剃髪、旅に出て美濃派の傘狂に師事。北陸・奥羽を経て江戸に長期滞留し、三十二歳の冬いったん帰郷、その後もさらに旅を続け、上洛は数度、九州行きも数回に及ぶ。詩・書・画のほか茶道・香道・琴曲にも長じ、当時の女性としては珍しく多彩な一生を送った。生涯を旅に明け暮れた驚異的にマルチタレントな女性である。編著に『手折菊』がある。
 『手折菊』の巻頭句、「月を笠に着て遊ばゞや旅のそら」は、最初の大旅行の前年の二十八歳のときの句だが、軽やかにして決然、闊達自在、こんなに自由で自立した女性が江戸時代にいたことに私はただ驚嘆する。
 最晩年には、「塵取に仏生ありや花の陰」という境地に至り、文政九年(一八二六)に七三歳で逝去。
 同時代人の神沢杜口は『翁草』の中で菊舎をこう称賛している。

京に在かと見れば忽焉として東武にあり、候家に召されて、風塵の境界を賞せらるれども、夫を忝しとせず、忽去て野に伏し山にふし、六欲を脱して、風雅を友とするの外他なし。……四季折々の衣も、所々にて施され、衣食乏しからず、垢づき破れば脱捨て、一物も貯へず、其身其儘なり。

 小学館の日本古典文学全集中の『近世俳句集』には『手折菊』から五句採られている。その最初一句は春の句。

解て行物みな青しはるの雪

 この句の同集の鑑賞を引いておく。

奥羽・東海の大旅行を終え、久しぶりに帰郷、父母のもので新春を迎えたときの吟である。野山をうっすらとおおっていた春の淡雪が、暖かい日ざしに解けはじめる。その下からは若草が姿を現し、見る見るあたりを青くそめてゆく。大地にたちまち生色がよみがえるような感じである。「物みな青し」はいかにも新鮮な把握であり、久しぶりに生家で春を迎えた喜びにあふれている。

 まだ真冬、春は遠い。でも、こんな句を読むと、心がほのかに明るく暖かくなるのを覚える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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