内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

神なき時代の終わりなき終末論的世界の只中にあって、「ぐじぐじ」話すのはやめようと思ったのですが…

2021-01-25 23:59:59 | 雑感

 いつまで続くかわからないコロナ禍の渦中にあって、いずこにあっても皆様不安な毎日をお過ごしのことと拝察申し上げます。皆様におかれましては、どうぞできる範囲で気持ちを健やかに保ち、この困難な状況をなんとかノラリクラリと生き延びられますよう心より祈念申し上げます。
 私の勤務しておりますおフランスの大学でも、後期開始二週目の現時点で、ほとんどカオス状態といっても過言ではないほどに事態は混迷いたしております。為政者たち及び大学執行部の言説の不条理さ加減は、カフカやカミュの文学的世界のそれをも凌駕し、ひょっとしてコロナウイルスが彼らの脳を冒しているのではないかと疑われるほどであります(― そういうあんたは大丈夫なの?)。
 まことに末法の世とはかくの如きかと慨嘆され、厭離穢土欣求浄土の願いが強まるばかりでございます、とは仏教徒ではない老生は申し上げられませんが、神なき時代の終わりなき終末論的世界を私たちは今生きつつあるのだとの実感を噛みしめつつある今日このごろでございます。
 だからといって、こんな話をぐじぐじしても、する本人も面白くないし、読まされる方もそもそも読む気にもならないですよね。
 と書いて、さて、「ぐじぐじ」とはいつ頃から使われているのかしらと『ジャパンナレッジ』内の『日本国語大辞典』で調べてみたら、「ぐぢぐぢ」という表記で室町末期から使われていることがわかりました。説明として、「物言いや物音などがはっきりしなくて、聞きとりにくいさま、また、口の中でつぶやくように、不平などを言うさまを表わす語」とあります。今日もほぼそのままの意味で使われていますね。第二の用法として、「態度などがはっきりしなくて、どっちつかずのさま、歯切れの悪いさまを表わす語」とあり、こちらは江戸時代に広まった用法です。こちらの用法も現役ですね。昔から人間は「ぐぢぐぢ」しがちな生き物であったようです。
 わたくしも度し難い「ぐじぐじ」人間でございますが、どうか皆様の寛容なお心でそのまま受け入れていただければ幸甚に存じます(― って、オチになってないし、そもそも意味不明なんですけど)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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