内的自己対話-川の畔のささめごと

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五里霧中を彷徨っているかのような心細さ ― ジルベール・シモンドンを読む(135)

2016-10-24 15:05:06 | 哲学

 Information 概念について論じているシモンドンのテキストを目の前にしながら、五里霧中を彷徨っているかのような心細さを感じている。いったいどこに向かおうとしているのかよくわからない。
 Information は、一つの個体化を実現させながら、他の個体化の起点にもなりうる。個体化以前の前個体化的なものを個体化されたものに伝えるものでもある。ある問題から他の問題へと移り、個体化のある分野から他の個体化の分野へと広がっていくものでもある。
 このような拡散の仕方だけを見れば、シモンドンが知る由もなかったコンピューター・ウイルスがそれに感染したコンピューターを次々と機能不全に陥らせる仕方とそっくりではないか。言うまでもなく、ウイルスは、個体あるいはそれが属する組織を破壊するのであるから、シモンドンの言う information とはまったく逆の否定的な働き方をする。それに対して、information は、どこまでも個体形成に積極的に転導的に働く。
 Information は類比的にどこまでも拡張されていくもののようである。では、その無限拡張の可能性の条件はどのようものか。それは、information がその中で機能する個体化の下位集合を包摂する全体集合の存在である。この全体集合が一つの下位集合から他の下位集合へと information が転導的に拡張されていくことを可能にしているというわけである。
 このシモンドンの答えは、にわかには私を納得させない。そもそもいったいいつどこでその全体集合は形成されたのか。これまでの議論からすれば、むしろ information がある分野での個体化を実現するレベルから飛躍して複数の分野を包摂するより高次のレベルの個体化を実現することによって全体集合が形成されると考えるべきであって、逆ではないはずである。しかも、この全体集合は、生成過程としてしかありえず、それだけで存在するような実体性を有たないはずである。
 確かに、シモンドンは、全体集合が information に対して先在するとは言っていない。むしろ、後者によって前者の個体化が実現されると明言している。

Elle [=l’information] est résonance interne de l’ensemble en tant qu’il comporte des sous-ensembles : elle réalise l’individuation de l’ensemble comme cheminement de solutions entre les sous-ensembles qui le constituent : elle est résonance interne des structures des sous-ensembles à l’intérieur de l’ensemble : cet échange est intérieur par rapport à l’ensemble et extérieur par rapport à chacun des sous-ensembles (p. 329-330).

それ [=l’information] は、全体集合がその内に複数の下位集合を包摂するかぎりにおいて、その全体集合の内的共鳴である。それは、全体集合の個体化をその集合を構成する全下位集合間の問題解決過程として実現する。つまり、それは、全体集合の内部での全下位集合の構造間の内的共鳴である。この(下位集合間の構造間の共鳴という)交換は、全体集合に対しては内的であり、それぞれの下位集合に対しては外的である。

 Information がある下位集合から別のある下位集合へと個体形成因子として或いは個体間の問題解決因子として互いに転送されることによって、複数の下位集合間にネットワークが形成され、そのネットワークがその内にそれら複数の下位集合を包摂した全体集合として個体化される。これらすべての過程を information は表現している。
 今日のところは、ここまで理解できたことにして、筆を置く。
 明日の記事では、当該段落の最後の数行を読みながら、もう一回 information について考えてみよう。












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