内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

教科書的記述を超えて歴史を読むための良書

2019-03-23 23:59:59 | 講義の余白から

 今週の「近代日本の歴史と社会」の授業では、大正デモクラシーを主題として、1923年の関東大震災、1925年の普通選挙法と治安維持法制定、1928年の初の普通選挙実施まで辿り着いた。
 来週は、吉野作造の民本主義と美濃部達吉の天皇機関説の概略を説明した後、1930年代に入る。このあたりまで来ると、学生たちに紹介する日本語文献で使用されている語彙の中に彼らにとって比較的馴染みがある語が増えてくるし、現代日本社会とも密接に関わってくる論点が多くなるので、その意味では私の方もやりやすい。反面、教科書的な通り一遍の説明だと、漏れてしまうことも多い。それに、最新の昭和史研究は、その教科書的な記述に大幅な修正をせまる点も多々ある。しかし、そこまで立ち入っている時間はない。
 日本人学生にとっては手頃な新書版の良書も、こちらの学生たちにただ推薦しても意味はない。図書館で借りようもないし、電子書籍は買えるにしても、まあまず彼らは買おうとはしない。仮に買う気があっても、何冊も買うことを強制することはできない。授業では、それでも毎回数冊推薦図書を挙げ、それぞれについてごく簡単に内容を紹介してはいる。
 来週の授業では、まず山川出版社の『詳説日本史B』の第IV部第10章「二つの世界大戦とアジア」第5節「軍部の台頭」を読んだ後、井上寿一先生の『教養としての「昭和史」集中講義 教科書では語られていない現代への教訓』(SB新書、2016年)の中の「天皇機関説問題を政治利用した政友会」と題された節を読む。
 そこでの問題は、1930年代前半には、国民の間に二大政党制を目指そうという流れができかけていたのに、実際にはなぜできなかったのか、という問題である。
 この問題について、井上先生が上掲書で考察対象としていた『日本史B』に比べれば、かなり記述が詳しい『詳説日本史B』では、次のように説明されている。

天皇機関説はそれまで明治憲法体制を支えてきたいわば正統学説であったが、現状打破をのぞむ陸軍、立憲政友会の一部、右翼、在郷軍人会などが全国的に激しい排撃運動を展開したので、岡田内閣は屈服して国体明徴声明を出し、天皇機関説を否認した。こうして、政党政治や政党内閣制は、民本主義と並ぶ理論的支柱を失った。

『日本史B』に比べれば確かに含みのある記述になっており、単純に内閣が軍部に屈服させられたわけではないことが読み取れる。しかし、井上書は、さらに踏み込んで次のように当時の状況を説明している。

[…]問題となるのは、軍部の台頭よりも、政党の側の自爆行為なのです。それが1935(昭和10)年に起きた天皇機関説問題です。[…]
天皇機関説とは政党政治を支える憲法学説のことで、政府の公式見解でもありました。「天皇は法人である日本国家の最高機関である。機関の大臣は、首相を含めて、国会議員が務める」。政党にとってはありがたい学説です。
これに対し政友会は、政党にもかかわらず、「天皇陛下を機関と捉えるとは何事か」と文句をつけたのです。要は、天皇機関説のうえに成り立っている政府はおかしいと。先に述べた民政党と無産政党による連立政権として政党内閣が復活することを最も恐れたのが政友会でした。その政友会が政党内閣の枠組みを崩すために、手っ取り早く、天皇機関説問題を利用したのです。
[…]
軍部が力を増してきたために政党内閣が復活できなかったというよりも、政党の側にも問題があったことは明確に押さえておくべきでしょう。

 本書は、教科書の記述をただ否定するのではなく、そこには語られていないことは何かを示し、どのような問題意識をもって歴史を読むべきかを教えてくれる。












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