内的自己対話-川の畔のささめごと

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芭蕉と捨子 ― 井本農一『芭蕉 その人生と芸術』より

2018-12-26 23:29:06 | 講義の余白から

 タイトルに掲げた井本農一の本の初版は1968年に刊行された講談社現代新書版。23日の記事で取り上げた廣末保の文章の初版『芭蕉』(NHKブックス)刊行の翌年のことである。
 井本もこの一条を虚構だとする説に反対する。それに、『野ざらし紀行』には、後に『笈の小文』や『おくのほそ道』に見られるような大きな虚構性はないと井本は言う。
 富士川のほとりで、芭蕉は、捨て子を見ても、わずかに袂から喰いものを与えて通り過ぎるのみだった。当時、農村地区では、捨て子は多く、捨て子を収容する施設もなきに等しかったという。ましてや、実事を捨てて俳諧道探究の旅に出た芭蕉には、喰いものを投げ与えて通り過ぎるほか、なにができたであろうか。
 しかし、ただそれだけのことだったのなら、富士川のくだりが書かれることもなく、「猿を聞く人捨子に秋の風いかに」という句が詠まれることもなかっただろう。
 猿の鳴き声を聞くと断腸の思いがすることを、中国の詩人たちは詩文の中で書き続けてきた。その文学伝統は日本文学の中にも移入・継承され、芭蕉もその伝統を踏まえてこの句を詠んでいる。この句は、そのような伝統的な文学的感性を持った詩人たちに向かって、この眼前の捨て子の酷薄な現実を君たち詩人はどう受け止めるのか、と問いかけている。この問いは、もちろん、風狂精神に徹しようとする芭蕉自身にも向けられている。

現実を捨てて芸術に専念する決心をしたのだが、捨て子を眼前に見て、自分の現実的無力に対する痛切な反省が、その決心を動揺させるのである。しかし、ただ安易に現実を無視するのでなく、この痛切な反省の上に立って芸術に献身しようとするところに、強く、激しく、純粋なものがあるといってよいであろう。(井本前掲書)

 このような「芸術至上主義」に生きる詩人という芭蕉像は、今でも私たちを惹きつけてやまない。しかし、最近の芭蕉研究は、それとは違った芭蕉像を描き出そうとしている。明日の記事ではそれを見てみよう。













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