内的自己対話-川の畔のささめごと

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絶望は「私事」だが、希望は生の世界の事柄である ― ウジェーヌ・ミンコフスキー臨床医学論集より

2018-05-26 17:02:27 | 哲学

 La schizophrénie (1927)(邦訳『精神分裂病』みすず書房)、Le temps vécu (1933)(邦訳『生きられる時間』みすず書房)、Vers une cosmologie (1936)(邦訳『精神のコスモロジーへ』人文書院)等の著作で日本でもその名がよく知られている(現在では、むしろ、かつては知られていた、と言わなければならないかもしれないが)精神医学者ウジェーヌ・ミンコフスキー(1885-1972)が1923年から1963年の間に書いた臨床医学関係の論文を集めた論文集 Écrits cliniques(textes rassmenblés par Bernard Granger, Éditions érès, 2002)は、自身も精神科医である編者ベルナール・グランジェのミンコフスキーの人と学問に対する深い敬愛と造詣に裏打ちされた優れた編集のおかげで、ミンコフスキーの医学思想の四十年間に渡る進展と深化をその時系列に沿ってバランスよく辿ることができる一書になっている。
 本書に収められた十五の論文の一つ « Le contact humain [人間的接触] » は、1948年にアムステルダムで開催された国際哲学大会で発表された原稿を基にしており、二年後の1950年に Revue de métaphysique et de morale に掲載された。
 同論文には、人間存在を、分析的にではなく総合的に、独立の個体としてではなく世界との関係存在として、実体としてではなく形成過程として、その関係性の中に立ち入って捉えようとするミンコフスキーの学問的立場がよく表現されている。ハイデガー、ビンスワンガー、マルティン・ブーバーらの立場と自分の立場の近接点を認めながら、それらの立場とはどこで一線が画されるかが、奇を衒うことのまったくない平明なフランス語で明確に示されている。
 次のような一節にミンコフスキーの人柄がよく表れていると私は思う。

 Le désespoir est une « affaire privée » ; elle retranche l’individu du flux de la vie et l’accable. L’espérance, toute proche de l’aspiration, sur ses ailes emporte l’individu bien au-delà de ses propres limites et le fait participer à l’horizon que largement elle ouvre devant elle. Elle est un des facteurs constitutifs de la vie et du monde. Et quelles que soient les déceptions, les désillusions, les peines, les épreuves infligées par la dure réalité, nous ne saurions, nous ne pourrions renoncer à l’espérance : car, d’une autre essence que ces expériences, elle nous porte comme elle porte le monde (op. cit., p. 151).

 絶望は、「私事」である。個人を生の流れから切り離し、苦しめる。希望は、希求に似て、その翼に個人を乗せてその個人自身の限界を遥かに超えさせ、希望が希望自身の前に大きく開く地平に個人を参加させる。希望は、生と世界との構成要因の一つである。そして、過酷な現実によって課される失望・幻滅・苦痛・試練がどのようなものであれ、私たちは希望をけっして放棄できはしない。なぜなら、それらの過酷な経験とは異なったその本質によって、希望は、世界を支えるように、私たちを支えてもいるからである。

 一言で言えば、希望は、それをもつことそのことが現に生いきることにほかならず、世界において私たちを生かしている、ということになるだろう。












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