内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

近世日本の「かぶき者」と西洋近代の「ダンディー」との比較論

2019-01-23 23:59:59 | 講義の余白から

 今日の「古典文学」の授業の前半は、江戸期の歌舞伎について一通り教科書的に説明しました。公教育システムの中で授業を担当する立場にある以上、「どこに行っても通用する」基礎知識、言い換えれば、どの教科書にも書いてあるようなあまり面白くもないことを学生たちに身につけさせることが教員には要求されるわけですから、そこから帰結する当然の義務としてそのような説明をしたまでです。
 ただ、それだけですと、それこそ穏当な参考書を一冊読めばすむことですから、説明しているこちらもあまり気が入らないし、それを聞かされる側も退屈してしまいがちです。そこで、彼らの眠気を覚ますためにどんな「ひねり」を加えるか、ということが毎回の授業の工夫のしどころになります。
 今日の場合、まず、「かぶき」の語源である「かぶく」という動詞の意味(「傾く」=「異様な身なりをして常識はずれの行動をする」)を示し、「芸能としての歌舞伎は、近世初頭のそうした自由奔放な時代精神を背景にして発生したのです」と教科書通りに説明した後、参考文献の次の箇所を読ませました。

Au niveau des premiers spectacles d’Okuni, ce terme renvoie au côté ludique des danses, à l’extravagance des tenues, aux aspects liés à la débauche, mais aussi à la présence dans les rangs du public de ces étranges samouraïs paradant armés de longs sabres, de ces dandys affublés de peaux de tigre et coiffés de plumes de paon fumant des pipes à la portugaise.

TSCHUDIN, Jean-Jacques, Histoire du théâtre classique japonais, Anacharsis, 2011, p. 312.

 出雲の阿国の「かぶき踊り」が人気を博していた頃、その観客の側にも、人の目を引く異様な身なりをした「かぶき者」たちがいたということですが、この説明の中に « dandy » という言葉が使われています。そこで、学生たちに「ダンディーってどういう意味でしょう。ヨーロッパでいつごろ登場したか知っていますか」と問いかけました。言葉としては当然彼らは知っているわけですが、いざこう問われると答えに窮してしまう。まさにそこが「狙い」です。
 そこで、やおら Sabine Melchior-Bonnet, Histoire du miroir, Éditions Imago, 1994 を引用しました(手元にあるのは、Hachette 社の « Pluriel » 叢書版)。この本は、2012年・2013年に二年連続で「鏡の中フィロソフィア」と題して集中講義を日本で行ったときの主要参考文献の一つで、『鏡の文化史』(法政大学出版局、「りぶらりあ選書」、2003年)という優れた邦訳もあります。本書の第三章「自己考察のための自己直視」第三節「鏡の演出」の中に「ダンディー」と題された一節があります。

La récurrence de la figure du dandy, fils des petits-maîtres du XVIIIe siècle, révèle cette exigence du sujet à devenir le spectateur de lui-même et à se dépasser en construisant une image harmonieuse à l’aide de l’artifice. La conscience du moi, la subjectivité se goûtent dans le spectacle du dédoublement et l’opération réflexive du miroir fournit à chacun l’image de sa créativité, en un « narcissisme idéalisant », selon lequel le sujet dit non pas « je m’aime comme je suis », mais « je suis ou je dois être comme je m’aime [...] Je veux paraître donc je dois augmenter ma parure » (op. cit., p.177).

十八世紀のしゃれ者たちの息子たるダンディー像の回帰は、自分自身の見物人になりたい、巧みなごまかしを使って調和のとれた像を築き上げ、それによって自己の限界を乗り越えたいという、主体の欲求を明らかにしている。自我意識や主観性は、二分化を見ることのなかで味わわれ、鏡の反射作用は各人に、「理想化するナルシシズム」のなかで各人の創造性が生み出した映像を提供する。そしてこのナルシシズムに従って、主体は「わたしは今の私が好き」とは言わずに、「わたしは自分がありたいと思うようなわたしである、あるいはそんなわたしでなければならない[……]。わたしは目立ちたい、だからわたしは飾りを増やさなければならない」と語るのである。(邦訳192頁)

 近世日本の「かぶき者」たちの像がこのダンディー像と重なり合う度合いに応じて、近世日本の近代性とその特異性と限界を規定しうるのではないでしょうか。
 ここから話をさらに飛躍させて、ナルシストとダンディーの決定的な違いはどこにあるのか、というところまで考察を広げることができるのですが、さすがに授業中はそこまで行かず、ヨーロッパでの鏡の普及が自己認識を変容させたことに注意を促し、そのような自己認識の転回点を近世日本にも見出すことができるだろうか、と問いかけたところで話を切り上げました。
 『鏡の文化史』の当該箇所については、こちらの記事を参照されたし。












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