内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

鏡の中のフィロソフィア(準備編8) ― 講義ノートから(11)

2013-07-23 16:00:00 | 哲学

 19世紀に誕生したダンディズムの最も洗練された表現は、詩人ボードレールの作品の中に見出される。アルベール・カミュは、ボードレールを引用しながら、ダンディの標語は、「鏡の前で生き、死ぬ」ことであるとする。しかし、それは単に見てくれに浮き身を窶すということではない。自らの外面と内面との間の乗り越え難い隔たりを正確に認識しつつ、自分が外面において芝居を演じていることをどこまでも自覚し続けること、それがダンディの覚悟である。このストイックとも言える覚悟は、因習に囚われたブルジョア社会の外面的価値観への徹底した反抗の姿勢として生まれたのである。
 「ダンディは、鏡の前で暮らす。なぜなら、自分の外見に気を配り、自分の独自性を養い、自分自身のうちにのみ自分の基準を探すからである」(『鏡の文化史』、194頁)。ダンディは、だから、自分の影に心を奪われたナルシストとはまったく違う。彼が鏡で自分の見かけを絶えず注意深く観察するのは、自分の外見を自らに課した基準に従って修正し続けるためであり、それを他者たちの容赦ない視線の中に突き放すためなのである。ダンディは、だから、他者の視線に晒されている自己像の最も冷静な観察者であり、外見への自惚れから最も遠いところに立っている。
 「社交界で生まれ、文学生活への移っていったダンディは、風習のはらむ倦怠と偽善にたいして抵抗するために現れた。その偉大さは、いかなるものによっても自己からそらされることのないこの凝視と、外見にたいするこの嘲弄の上に成り立っている」(同書、196頁)。
 「彼は主体であると同時に対象でもあり、裁く者でありかつ裁かれる者であり、処刑者であるとともに処刑される者でもあり、実際に自分がそうであるところのものと自分が知っていることとの間で引き裂かれている。彼は映った像に与し続けているにもかかわらず、像との隔たりは自覚しており、この中途半端な同意から彼の不幸が生まれる。ダンディは自意識のこの最終的形態を体現しており、ゆえに自分自身の役者である彼は、実在物と見かけとのつらい分離を熟視し続け、そして鏡に映った自我と一体化し続ける。ダンディには、『喪の悲しみに沈む黄昏の美しさ』がある。」(同書、292頁、一部変更して引用)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿