内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

陶淵明 雑詩 其一 最後の二句「及時当勉励 歳月不待人」を詩全体の中で味わいなおす

2020-04-26 11:30:33 | 読游摘録

 三日前、「KADOKAWA 電子書籍全品25%引きクーポン」という宣伝文句につられて、ふらふらと四冊購入した。いずれも角川ソフィア文庫で、三冊は『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典』シリーズの中の『陶淵明』(釜谷武志)『杜甫』(黒川洋一)『李白』(筧久美子)、もう一冊は林賴子著『フェルメール 作品と生涯』。〆て千二百六十八円也。
 『陶淵明』の「はじめに」にこんな一節があり、目に留まった。

 わたしは高校時代に、国語の漢文の授業で、次のような句を教わりました。
「時に及んでまさに勉励すべし、歳月、人を待たず」
 その時わたしは、時間の流れは速くて人を待ってくれないから、わかいうちにしっかり勉強しないといけない、という意味だと思っていました。
 じつはこの二句は、陶淵明の詩(「雑詩」其の一)の一部なのです。しかもそれは、勉学にいそしむようにすすめているのではなく、わかいときにこそ、大いに楽しみ遊びなさい、といっているのです。それを知って意外でした。「勉励」という字面にひきずられてしまったのでしょうが、わたしをふくめて、この句を誤解している人が多いように思います。わかったつもりでいても、じつは誤解していることもあります。

 私もまさにこの誤解していた一人だ。石川忠久も『漢詩鑑賞事典』(講談社学術文庫 2009年)も同詩の鑑賞欄に「この詩ほど人々に誤解され愛唱(?)された詩も珍しい。もっとも、それはこの詩の最後の二句あるいは四句だけ切り離しているのであるが、つまり、「時に及んで当に勉励すべし」を、「若い時に勉強しなさい」と取るのである。原作はごらんのとおり、「チャンスを逃さず遊べ」というのだから、全く反対だ。陶潜先生もさぞ草葉の陰で驚いているだろう。」とユーモアを込めて注記している(57‐58頁)。
 この詩の原文、書き下し文、釜谷武志訳を掲げて、味わいなおすことにする。

陶淵明
雑詩
其一

人生無根蔕
飄如陌上塵
分散逐風転
此已非常身
落地為兄弟
何必骨肉親
得歓当作楽
斗酒聚比隣
盛年不重来
一日難再晨
及時当勉励
歳月不待人

人生 根蔕無く
飄たること 陌上の塵の如し
分散し風を逐うて転ず
此れ已に常身に非ず
地に落ちては兄弟と為る
何ぞ必ずしも骨肉の親のみならんや
歓を得ては当に楽しみを作すべし
斗酒もて比隣を聚めん
盛年 重ねては来たらず
一日 再びは晨なり難し
時に及んで当に勉励すべし
歳月 人を待たず

人の一生は木の根や蔕のようにつなぎとめておくものもなく、
路上の塵のごとくただよい飛び散る。
風のまにまに散ってころがりゆく、
この体はもう不変の身ではないのだ。
この世に生まれおちるやみな兄弟となるのであって、
決して肉親だけに限らない。
喜ばしい時には楽しむべきである、
少しの酒であっても隣近所を寄せ集めよう。
若い時は二度とやってくることはない。
一日に朝が二度やってくることはない。
しかるべき時に楽しみ遊ぶべきである、
歳月は人を待ってはくれないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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