内的自己対話-川の畔のささめごと

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「問題提起的で近代の本質に迫る」には、天皇機関説および天皇機関説事件は言及するに値しないのだろうか(上)

2019-03-26 05:45:06 | 講義の余白から

 もともとだらしのない日和見主義的ノンポリだし、俄に血迷って政治づいたわけでもまったくないのだが、天皇機関説および天皇機関説事件について、ちょうどそれらが授業で扱うテーマということもあり、手元にある参考文献の中でそれらがどのように記述されているか、ちょっと比較してみた。その結果、いささか気になることが見えてきた。
 まず、『大学でまなぶ日本の歴史』(吉川弘文館、2016年)は、第35章「内政・外交の変質」中の「国体明徴運動と二・二六事件」と題された節で、一頁の三分の二以上を割いて天皇機関説事件について次のように説明している(213頁)。

 1935年(昭和10年)2月、貴族院で東京帝国大学教授美濃部達吉の憲法学説が国体に反するとして、その取り締まりを要求する質疑がなされた。統治権の主体を国家であるとする美濃部の学説(いわゆる天皇機関説)に対しては、神聖不可侵の天皇を国家の「機関」になぞらえる国体破壊の邪説であるとの批判が以前からあった。衆議院でも政友会所属の議員が美濃部を攻撃し、その著書を不敬罪で告発した。
 3月に入ると、貴族院では政教刷新建議案が、衆議院では国体明徴決議案が可決された。陸相と海相は岡田啓介首相に機関説排撃を要望した。4月には、陸軍皇道派の真崎甚三郎教育総監が、機関説は国体に反すると全軍に訓示した。司法省は美濃部の著書を発売禁止とした。
 その後、右翼団体や在郷軍人会を中心とした機関説反対の国体明徴運動が全国に広がる。機関説排撃の政府声明、美濃部の処分、機関説論者の政府高官更迭を要求する決議や意見書が、政府首脳に贈りつけられた。8月、政府は声明を発表したが、反対運動はその内容が曖昧であるとして反発を強めた。10月、政府はふたたび声明を発表して、統治権の主体は天皇にあり、天皇機関説は国体に反すると表明した。国体明徴運動はようやく収束した。
 国体明徴運動は、日本の政治を取りまく言語空間を変えた。曖昧で多義的「国体」という言葉で、みずからの主張を正当化したり、対立する相手を非難・罵倒することが横行しはじめたのである。

 天皇機関説事件に関わる部分を全文引用したのは、古代から現代までをカヴァーするわずか260頁の本書の中でどれだけのスペースがこの事件について割かれているかを示すためである。そうすることで、同書が、満州事変以降敗戦までのいわゆる十五年戦争の過程においてこの事件を重要な出来事として位置づけていることが単純に量的な配分からもわかる。
 その他の参考文献、例えば、『詳説 日本史研究』(山川出版社、2008年)や『いっきに学び直す日本史 近代・現代』(東洋経済新報社、2016年)でも、天皇機関説および天皇機関説事件についてそれなりに詳細に記述されており、そこを読んだだけでも、「日本の将来を担う」若者たちに事柄の歴史的重大性は自ずとわかるようになっている。













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