内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

近代日本の最初の「建築評論家」我が祖父黒田鵬心、あるいは「氷れる音楽」について

2022-10-10 23:59:59 | 読游摘録

 HONTO書店で今月二〇日まで平凡社の電子書籍版がの四〇%引きのセール中である。こういう誘惑に私はすこぶる弱い。それでも、五冊選んだ購入候補書籍を前に熟慮を重ね、平凡社ライブラリーの二冊のみを購入した。岡倉天心『日本美術史』と石井進『鎌倉武士の実像』である。
 前者の美術史家木下長宏氏による解題・解説の中に我が祖父の名前を見つけた。岡倉天心が東京帝国文科大学で一九一〇年四月から六月にかけて行った講義「泰東巧藝史」の出席者の一人として和辻哲郎等とともに挙げられている。その年の七月に祖父は文学部哲学科美学撰修を卒業しているから、在校生としての出席である。だから、木下氏が「学外からの出席者」として挙げているのは正確ではない。和辻哲郎も在校生として出席していたはずであるから、和辻を学外からの出席者として数えるのも誤りである。九鬼周造も出席していてもおかしくはないのだが、名前は挙げられていない。
 人名辞典などには「美術史家」「美術評論家」などと紹介されている我が祖父黒田鵬心(1885-1967)は、建築学会などでは、近代日本の最初の「建築評論家」と見なされている(この論文を参照されたし)。祖父は、単に個々の建築物を個別に批評するだけでなく、建物とその周囲との調和という点にも特に注意を払っていた。多様なるものの統一性を重視する観点から都市美を論じた点もその建築批評の特徴の一つとして挙げることができる。
 他方、薬師寺東塔の美しさを形容するに「氷れる音楽」という表現を日本語として最初に使ったのが祖父であることは、今日、書誌的に証拠立てられている(この点、竹内昭氏の論文「〈凍れる音楽〉考:異芸術間における感覚の互換性について」に詳しい)。いまだにこの表現を薬師寺東塔に最初に適用したのはフェノロサだという巷説があり、旅行ガイドブックにはそのような記載が繰り返されているそうだ。
 祖父がその著作で薬師寺東塔を語るたびごとに「氷れる音楽」という表現を繰り返していることは竹内論文が実例を挙げて示している。その一例として、1917年に刊行された『美學及藝術學概論』の改訂版と思われる『美学及芸術学入門』(1952年、『鵬心選集』第三巻、趣味普及会)の一節が同論文に引用されているが、そこには「〈建築は氷れる音楽なり〉」という表現が引かれ、「氷れる音楽」の脇に「フローズンミュージック」とルビが振ってあるから、祖父は建築に関するフェノロサの所説を前提としてこの表現を使ったのかも知れない。
 しかし、この英語の表現を「氷れる」と完了の助動詞「り」の連体形を使って訳したのは、その響きの美しさからして祖父の手柄と称えたいと不肖の孫は思う。
 もう一点指摘しておきたいことは、漢字の選択についてである。竹内論文に引用された箇所で祖父は一貫して「氷れる」としている。ところが、竹内氏は同論文のタイトル及び本文では「凍れる」としている。その理由はよくわからない。ただ、「氷」と「凍」とではやり与える視覚的イメージと連想される表象が異なってくるのではないかと私は思う。前者からは光を浴びてきらめく氷の多様な形象が思い浮かべられるが、後者からは状態としての凍結へとイメージが傾きはしないであろうか(因みに、九鬼周造は『「いき」の構造』のなかで「建築は凝結した音楽といわれているが」と書いている)。もっとも、これは私の個人的な語感に過ぎないかもしれないが。
 竹内論文が詳述している通り、建築を「凍れる音楽」(erstarrte Musik)とする美学的表現はシェリングに由来し、以後ゲーテによって『箴言と省察』の中で言及され、ヘーゲルは『美学講義』の中で gefrorene Musik という表現をフリードリッヒ・シュレーゲルに帰しつつ同様な建築観に言及し、さらにその後ドイツ・ロマン主義者たちによって同様な観方は繰り返し表明されているから、建築美の評価の仕方として新しいわけではなかったし、竹内論文の引用箇所からもわかるように祖父もそのことはわかっていた。
 芸術として建築を音楽との間に類似性を認めることにどこまで妥当性があるか、異なる芸術間における感覚の互換性をどこまで認めることができるか、これらの大きな問題には今はとても考えを及ぼす準備はできていない。ただ、修士の演習で中井正一の『美学入門』を読んでいることもあり、この機会に、建築美・都市美・景観美等のテーマについて、祖父の著作を紐解きながら少し考えていきたいとは思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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