内的自己対話-川の畔のささめごと

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対談を読む楽しみ ― 和辻哲郎・谷崎潤一郎「春宵対談」(1949年)より

2024-04-26 23:59:59 | 読游摘録

 度し難い人間嫌いというわけでもなく、深刻な対人恐怖症を患っているわけでもないが、人との付き合いは極端に少なく、特にこちらから人に声を掛ける積極性は皆無に等しい。犬猫は好きだが、飼うのはちょっと面倒だと思ってしまう。
 日ごろもっぱら相手にしている、いや、相手にしてもらっているのは、書物のみである。書物にはこちらから積極的にお近づきを願う毎日である。内容的にまったく歯が立たなくて早々に暇乞いをすることもあれば、ちょっと覗いてみて気が合わないとたちまち閉じてしまうこともあるが、書物の方から無下に門前払いを食わされることはなく、こちらがそれなりに注意を払い、努力をすれば、書物の世界はどこまでも広がっていく。
 ところが、対談集や座談集の類を読んでいると、ちょっと微妙な気分になるときがある。対談者や座談会参加者当人たちは実際に顔を合わせて話し合っているわけで、特にそれが気の置けない間柄の人たちの歓談となると、それが活字化された記録を読んでいても当時の楽しそうな雰囲気が伝わってきて、それが羨ましくもなる。自分にはありえないことだなあと嘆息してしまう。まあ、でも、そんなこちらの都合はどうでもよいことであり、よい対談・座談を読むには執筆された文章を読むのとはまた違った楽しみがある。
 『和辻哲郎座談』(中公文庫、2020年)は、苅部直氏の解説によると、和辻没後六十年にあわせた刊行で、和辻の対談・座談を集めた最初の本である。対談相手、座談会出席者は、司会進行役も含めると二十人を超え、幸田露伴、柳田國男、長谷川如是閑、斎藤茂吉、寺田寅彦、志賀直哉、谷崎潤一郎など、多士済済、豪華な顔ぶれである。
 学生時代からの旧友である谷崎潤一郎との二つの対談が巻頭に置かれている。二人の話しぶりをかなり忠実に再現してあるからか、その親しげな調子が読んでいてもよく伝わってくる。
 1949年の春に行われた「春宵対談」のなかに、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を最近久しぶりに再読したという和辻が、昔「谷崎君」に原書を貸したときの思い出を語っている箇所がある。

和辻 あれを返してもらった時の挨拶の言葉を覚えてるよ。君が棒をひっぱてない所だけが面白かったというのだ(笑)。僕はパラドキシカルな警句に許り棒をひっぱって置いたからね。尤もあれはたいしたものではないね。
谷崎 僕もたいしたものではないと思う。

 苅部氏の解説によると、このエピソードを谷崎は和辻への追悼文(「若き日の和辻哲郎」1961年)のなかで紹介していて、後年、哲学者となった和辻が「僕が創作家になるのを止めて方向を変へる気になつたのは、あの時の君のあの言葉が大いに影響しているのだ」と谷崎に告げたのだという。
 和辻が作家になる夢を諦めたのは谷崎の才能を目の当たりにして己の無才をしたたか自覚したからだという漠然としたイメージしかもっていなかった私にとってはとても面白いエピソードである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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